2011年12月26日月曜日

脳力

体を鍛えた人とそうでない人の差は一瞬にして分かります。ランニングを開始して、数分で息が上がる人とそうでない人。体力は目に見える形で分かります。

一方、頭の中のことになると、事情が違います。一見しただけでは鍛えられたものかどうか分からないこともあるし、勘違いすることもあります。しかし、脳も人間の体の一部ですから、体と同じ理屈が成り立ちます。負荷をかけると鍛えた脳とそうでない脳の差がよく分かります。

中3の冬期講習は長時間です。脳の持久力の差が出てきます。普段は3時間程度ですから大して目立たないのですが、長時間になると違いが歴然としてきます。鍛えていない脳は悲鳴を上げ始めます。そうした違いを意欲の違いと考えるか、脳の持久力の違いと考えるかで、対応の仕方が変わってきます。

やる気とか意欲といった精神論のみで片付けることができるとは考えないほうがよいようです。

2011年12月25日日曜日

冬期講習初日

中3は7時間を越すロングランが毎日続きます。

初日は体がこのリズムになじめず、教えるほうも教えられるほうも手探り状態です。最後に模試をやって終了。ご苦労様でした。また、明日頑張りましょう。

2011年12月23日金曜日

中3模試

中3模試の結果が出ました。

やっている人は間違いなく結果にそれが反映されていました。勉強って本当に単純です。しっかり勉強すればその分が必ずかえってきます。こんなに分かりやすいことは人生に無いとすら思えます。

やっているのに成績が上がらないという人。それは大きく①やっているつもりだが、実はやっていない。②実際やっているがやり方が悪い。このどちらかになります。

①は実際にはやっていないのですから、問題外です。そして、このタイプの人はかなり多数存在します。

②に関しては、勉強法が分からないとか、技術的なことを気にかける人が多いのですが、問題はそれ以前に存在します。一番の問題は勉強に対する態度です。謙虚さと言い換えたほうが良いかもしれません。これが欠けていると何をやってもだめです。このタイプの人はアドヴァイスをすると『でも、先生・・・』と必ず言います。他者の意見を入れてやってみようと言う気持ちが余り無いのです。同時に人の意見を聞くことができないので、問題の意味を理解することもできません。

①②に思い当たる人。注意しましょう。

素直に、着実に勉強すればその成果は指数関数的に増加するのです。

2011年12月18日日曜日

蛍の光、窓の雪

嘗て卒業式で歌う歌と言えば『蛍の光』でした。

 蛍の光 窓の雪、書読む月日、重ねつつ
 何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く

誰でも知っているものと思っていました。

先日、古文の授業でこの歌詞の出典を読みました。

概要は以下のようになります。
東晋の時代、車胤は家が貧しく油が買えなかったために蛍を集めてそのの光で勉強していた。同じ頃、孫康は、窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世した。

設問はこの故事が由来となっている言葉を4字で答えよ。と言うものでした。勿論『蛍雪の功』なのですが、正答がありませんでした。聞いてみると、誰も『蛍の光』を歌ったことが無いとのこと。本当?

2011年12月16日金曜日

えっ?

現中2から実施される入試問題のサンプルが発表されました。

問題を見て驚きました。その問題は、1ヶ月ほど前にある中学で配られた問題と同じものだったのです。教育委員会の発表が延びていたので、どんな問題になるのか首を長くして待っていたのですが。それが、ずっと前に出ていたものと同一とは。一体どういうことなのでしょう。これでは本物の入試問題だって事前に流れかねません。

新入試制度、早くも拙速の感ありです。

2011年12月14日水曜日

一人鍋

福島産の白菜。
茨城産の水菜と葱。
アメリカ産の豚。

塾が終わって、遅い時間に一人で食事をします。最近のマイブームは一人鍋です。ビールを飲みながら、さっさと簡単に作ります。風評被害のせいか、お買い得の野菜は福島、茨城産が多いような気がします。

年寄りは多少放射性物質を含んだものを食べたとしても、その蓄積が危険な量になるまでには寿命が来る・・・らしい。1年間に摂取可能な放射線量×今後生きると考えられる時間(年)。うん。十分に生きられる。

そう考えて以来、使命感のように白菜を食べまくっています。

2011年12月10日土曜日

三者面談

中3の三者面談が終わったようです。これで私立推薦入試校、または私立の併願校が概ね確定したことになります。

公立受験希望者が私立推薦に変更する場合、併願確約が取れる私立高校より上位の高校または上位のコースに入学できるというのが一番多い理由です。そして、上位の高校、上位のコースを選ぶのは大学進学に有利だというのが最大の理由です。

それは良いのですが、問題は推薦でいくことを学校に伝えた段階(まだ推薦合格が決まっているわけでもない段階)で既に、学習意欲がかなりなくなることです。その結果、これから始まる公立前期、私立入試、公立後期まで、じっくり勉強した者と大きな差がつくはずです。そして、それは大学入試とも関係してきます。この数ヶ月で学ぶことは相当に大きいからです。

12月中旬から翌年の4月まで、どのように学習を進めていくか推薦でいく人は考えなければなりません。

2011年12月7日水曜日

願わないことは成就しない

願わないことは成就しない。それなりの時間を生きてくるとこの意味が分かるようになります。

願わなかったけれど、プロ野球選手になった。
願わなかったけれど、一億円宝くじに当たった。
願わなかったけれど、エヴェレストに登れた。
願わなかったけれど、総理大臣になった。
願わなかったけれど、オリンピックに出た。
そんなことはあり得ません。

願っても、叶わないことは沢山あります。しかし、
願わないのに、何かが叶うということはほとんどありません。
願わなければ、大抵のことは叶わないのです。

小さなことでもそうです。
勉強する気が無くて、良い点を取る。
そんな都合の良い話はないのです。
自分に問いかけてみましょう。
”私は何を願っているのか?”
と。

2011年12月3日土曜日

雨の朝

朝、冷たい雨が降っていました。 

いつも一緒に学校へ行っている娘の友達から「今日は車で行くことにした」とのメールが娘にありました。「うちも送っていこうか?」と声をかけると、「自転車で行くからいい」と言います。最近、車で送ろうとするといつも断られます。先月位まで、必ず乗っていったのにどうしたのだろう。

そのとき、ふと思い出したことがあります。修学旅行に行く早朝、最寄の駅まで送っていきました。大きな荷物があったので自転車で行くのは大変だと思ったからでした。車中で娘にこんな思い出話をしました。「高校の修学旅行のとき、朝4時か5時に起きて、ボストンバッグを自転車の荷台にしばりつけ、学校に向かったのを思い出したよ。みんなそうだったな。男も女も。10km以上の距離を学校まで自転車を飛ばして。あの頃は、雨だろうが、寒かろうが、靴がびしょびしょになっても、でも当然のように自転車でせっせと通ったもんだ。今の子供は甘いな!」

それを覚えていたようです。娘が家を出る時間になり、レインコートを捜しているときに、もう一度確認しました。「送っていこうか?」

娘はそれを断って雨の中を自転車で出て行きました。その日は中間テストの最終日でした。手がかじかんで、最初のテストはちゃんとやれないのではないかとか、送っていってやればよかったとか、考えている自分に気づきました。「なんだ、甘いのは俺の方か!」

子供を自立させるには親が子供から自立しなければならないという当たり前のことを再認識することになりました。

2011年12月1日木曜日

自立して考えるようになれるのだろうか?

最近の高校用問題集は本体より厚い解答がついているのが普通になりました。数学も英語も分からない部分が無いようにとんでもなく詳しく、そして基礎の基礎から解説してあります。嘗ては、日本中の高校で使われていた数研の「オリジナル」のようなハイレベルのしかも詳解の無い問題集を使える高校は極々、一部の進学校だけで、大抵の学校は詳しい解答のついた、もっと易しい問題集しか使用できません。

その結果、かえって分かりにくいという皮肉な状態になっているものも多く出ています。詳しすぎる解答は実は分かりにくい解答なのです。重要な、分かりにくい部分のみを詳説すれば十分なのですが、1から10まで同じように詳細に解説するため、ポイントがつかめず、どうでもいい部分にまで時間をかけざるを得なくなるからです。高校になってまでx-(x-2)=x-x+2=2などという説明は不要のはずですが、小学以降の基礎トレーニングが欠けた高校生が多いので、そうしたニーズがあるのかもしれません。更なる問題は、詳細すぎる解答によって、考えるという作業がどんどん減ってしまうことです。その問題は理解できたが、頭は少しも鍛えられず、他の類題を解けるようにならないのです。

社会や家庭が子供を甘やかしたのと機を一にして、問題集も子供を甘えさせているかのようです。

2011年11月25日金曜日

立川談志逝く

落語家・立川談志が亡くなりました。落語といえば、大家と隠居です。

嘗て、隠居というシステムがありました。家長が明確であった時代に、ある年齢になると家督を次の代に譲り隠居となるわけです。

隠居という言葉で思いつくのは落語に登場する隠居とか、旗本・大久保彦左衛門とかです。江戸時代に何歳くらいで隠居していたか知りませんが、今から考えると相当若い時期に隠居しているはずです。平均寿命がかなり違うので簡単に比較できませんが、それにしても若い時期のはずです。

この隠居という制度の良い点は若い世代に次を任せることで、新たな風を呼び込むことです。日本のような儒教の影響の大きい社会では、年齢による上下関係は大きいですから、隠居というシステムがそれに風穴を開ける役割を果たしたのでしょう。中央官庁で同期生が局長になると同期の官僚が一斉に退職するのもそうした考えだと思います。

現代の日本では、嘗ての家制度は崩壊し、核家族や単身世帯の割合が圧倒的に大きくなっています。従って、隠居という言葉自体の意味がなくなっています。ところが、会社や役所のような組織になるとそうではなく、日本的家制度がまだまだ残っています。そして、とっくに隠居するはずの人が権力を握っていたりします。

従って、昔なら表に出てこないはずの人々が政界、財界問わず、あらゆる所で顔を出してきます。政治の世界ではそうした人々は五万といるし、ある新聞社のいざこざもその類いです。

老齢化社会を迎え、どのようにその齢(よわい)を生きるか。大切な問題です。

2011年11月21日月曜日

聞き方を変えてみよう

我が心の師、ポール・アーデンは次のような話からこんな提案をしています。


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ある企画のポスター制作を任された男が、同期に尋ねました。

「こんな感じで作ってみたんだけど、どう思う?」

その同期は全体を見渡した後に答えました。
「ん、いいんじゃない?」
と。

しかし、何かが足りない。
そう感じた男は今度は別の同期にこう尋ねました。


「このポスター、どこを直した方が良いと思う?」


その同期はう~んと唸りながらポスターをじっくり見渡した後、いくつかの点を指摘しました。
それに「なるほど」と思った男は早速ポスターを修正し、また別の同期に尋ねました。

「こんな感じで作ってみたんだけど、どう思う?」

その同期は答えました。
「素晴らしいじゃないか!!!」

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自分が全く気がつかない所に、他人はよく気がつくものです。
聞き方を変えてみましょう。彼らは真摯に相談に乗ってくれるはずです。

2011年11月18日金曜日

新入試問題

一部の中学校で現中2から実施される入試問題の例が配布されたという話を聞きました。

教育委員会のHPでは12月の発表となっており、まだ公開されていません。もし、その配布された問題例が本物ならば、教育委員会の管理体制はどうなっているのでしょう。

一方、中3は前期中間が終わり、臨戦態勢に入りました。生徒のやる気が無言の内にも伝わってきます。後2~3ヶ月。勉強が最も楽しめるときです。


2011年11月16日水曜日

低温火傷と焼き芋

低温で長時間火傷をすると皮膚の表面だけでなく、深い部分まで火傷します。

高校時代、豆炭あんかで低温やけどをしたことがあります。あんかそのものは少し暖かいだけでしたから、それで火傷するとは夢にも思いませんでした。その、あまり強くない熱源が長時間(一晩)脚の一部にあたり、火傷したのです。強い熱で火傷した場合は短時間のため、皮膚の表面のみ水脹れになったりするとしてもその下の肉の部分は大丈夫なことが多いのです。一方、低温火傷は低温ゆえに、それに気づきません。その分長時間かけて熱が伝わり、ひどい火傷になります。

昨日、塾で焼き芋を作りました。ポイントは低温で長時間焼くことです。つまり、さつま芋を低温火傷させるわけです。できる限り低温で、長時間かければ、奥の奥まで熱が伝わり、驚くほどやわらかい(スイートポテトのような)焼き芋になるはずです。

残念ながら、時間が足りず、満足いく柔らかさにはなりませんでした。休憩時間に小学生と、自習していた高校生にもおすそ分けし、今回の実験は終了です。

2011年11月13日日曜日

脱皮

小学生は闊達で生き生きとしています。彼らと共に勉強するのはその意味でとても楽しいことです。

中1はまだ小学生を引きずっていますから、それなりに元気でエネルギッシュです。

中2になると、様相が変わります。生き生きとした感じが減ってきます。あれほど元気だったのにという子が無表情になったりします。もう無邪気な子供じゃないよと体全体で表現しています。勉強に関しての意欲が減退しているかのようにみえることもあります。子供から大人へと変わり始めているのです。

中3になると、また、頑張り始めます。目前の現実的な目標があるからです。

高1になると、すっかり大人びて安定してきます。

この夏、庭の精霊ばったが脱皮する様子をじっと見ていました。人間が脱皮する生物だったら、この時期に起こっている画期的な変化を見届けることができるのですが、実際はそうはいきません。

僅か2~3年。本当は大きな変化が起こっているのです。そうした時期に共に学ぶことの喜びと困難をいつも感じています。

全文証明と英作文

現在1教科50点満点の神奈川県公立高校入試が再来年から1教科100点になります。試験時間は変更がないようなので、小さな点数差を大きく見せるだけなのか、そうでないのか。12月に発表される出題例が待たれます。

一部では数学の全文証明や英作文の出題があるだろうと噂されています。図形の証明問題は記号を選ぶだけの問題でしたし、英作文にいたってはその痕跡もありませんでしたから、実施されればそれなりの勉強が必要になります。

実は、首都圏の東京・埼玉・千葉の公立高校の問題は当たり前のように、全文証明があり、数行の英作文があります。神奈川県になぜないのか、たいへん不思議です。さらに、理科、社会も記述の部分はほとんどありません。

これをゆとりのせいだという向きもありますが、他県ではそういうわけでもないので、当たっているとは言えません。採点上の理由(記号の選択は確かに採点が楽です)という意見もありますが、もしそうだとしたら、それは怠慢のそしりを免れないでしょう。試験から発表まで驚くほど時間をかけているのもこの県の特徴だからです。

いったいどんな出題例が出てくるのか期待と不安と半々というところです。

2011年11月10日木曜日

新高校入学者選抜制度 その2

神奈川県教育委員会のHPに新入学者選抜制度の案内がアップされました。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/382752_510633_misc.pdf
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/382752_543840_misc.pdf
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/382752_543841_misc.pdf

更なる詳細の発表を急ぐべきだと思います。来年の7月に学校別の詳細が出るようですが、やることが遅い。準備が追いつかないうちに見切り発車したかのようです。そんなに急ぐ理由があるとも思えませんが・・・。

2011年11月6日日曜日

悠々会のお知らせ

11月10日(木)夜7:00~悠々会行います。時間を早めることができました。多数の参加を待っています。

2011年11月2日水曜日

24年度高校入学者定員

高校入学者定員が発表されました。この周辺では

茅ヶ崎、鶴峰、茅ヶ崎西浜、平塚湘風、七里ヶ浜、大船が1クラス分定員増です。

大原高校の高校募集が無くなり、その減少4クラス分がどのように補われるか気になっていましたが、旧平塚・二宮学区では平塚湘風の1クラス増だけでした。平塚中等一貫校に同世代の平塚の生徒が多数在籍していることを考えると、全体的にはトントンということかもしれません。

大原とレベル的に近く、平塚からも通いやすい鶴峰、茅ヶ崎はそれぞれ1クラスの増加です。

来週の前期中間を経て、一気に受験体制突入です。

2011年11月1日火曜日

ハロウィンの日に思い出さなければならないこと

ハロウィンを日本でも祝う人が増えているようです。僕自身は、陽気に騒ぐ人々のニュースを見てもあまり楽しくありません。どうせ、バレンタインと同じで、どこかの商売に乗せられているだけだと思えることが一つの理由ですが、もっと大きな理由は”服部君事件”です。

服部君は東大合格者数十人を出す愛知県の進学校、一宮高校の生徒でした。AFSの留学生としてアメリカに行っていましたから、彼自身も相当優秀な人だったと思います。当時、この事件は日本ではかなり騒がれました。以下のような事件です。

日本人留学生、服部剛丈(はっとり よしひろ、当時16歳)が、寄宿先のホストブラザーとともにハロウィンのパーティに出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため、家人ロドニー・ピアーズ(当時30歳)から侵入者と判断されてスミス&ウェッソン社製の.マグナム装填銃を突きつけられ、「フリーズ(Freeze「動くな」の意)」と警告された。しかしながら服部は仮装の際にメガネを外していたため状況が分からず、「パーティに来たんです」と説明しながらピアーズの方に進んだところ、玄関先、ピアーズから約2.5mの距離で射殺された。

 ピアーズは、日本の刑法では障害致死罪に相当する計画性のない殺人罪で起訴されたが、同州の東バトンルージュ郡地方裁判所陪審員は12名(白人10名、黒人2名)全員一致で無罪の評決を下した。評決の理由は裁判において、明らかにされていない。ルイジアナ州の法律では、屋内への侵入者については発砲が容認されているが、服部は屋内に入っていない。ただし、裁判では、服部が屋内に入ったとの証言があった。この裁判の場合、傷害致死罪を適用するのは最初から無理があり、無罪評決は正当防衛を認めたものか、傷害致死罪の構成要因を満たしていないと陪審員が判断した結果なのかは不明である。評決後の陪審員の記者会見の「外国人が米国の制度に口出しをするのが不快だった」という言葉に見られるように、過剰防衛という刑事上の問題を銃規制という文化批判にすり替えてしまった遺族側の失策に起因するとも考えられる。

 この後行われた、遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、刑事裁判とは正反対の結果となった。ピアーズが家に何丁も銃を持つガンマニアであり、しばしば近所の野良犬や自宅敷地内に入ってきた犬猫を射殺しており、当日は酒に酔っていたことなどが実証されたため、正当防衛であると認められないとして653000ドル(およそ7000万円)を支払うよう命令する判決が出され、同州高等裁も控訴を棄却したため確定した。ただし、ピアーズは自己破産をしたため免責となり、実際の支払いはほとんどなされていない模様。 

 服部の両親はAFSと友人たちの協力で「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動を開始、1年余で170万人分を超える署名を集めた。199311月、当時の大統領、ビル・クリントンに署名を届けるために面会した。服部夫妻がワシントン.に滞在していた間に、アメリカにおける銃規制の重要法案であったブレディ法が可決された。” (ウィキペディアより引用)

ちなみに、ブレディ法はレーガン大統領暗殺未遂事件の際、頭に銃弾を受け半身不随となった大統領補佐官ジェイムズ・フレディが成立のため奔走した銃規制のための法律です。後のブッシュ大統領(全米ライフル協会会員)のとき、この法律は廃止されます。確か、レーガン大統領も全米ライフル協会の会員だったはずです。

僕にとってのハロウィンは服部君事件であり、銃規制です。仮装して大騒ぎをしている日本人を非難する気はありませんが、年に一度、この日は日米の多くの人々の銃規制に対する努力に敬意を払う日であり、一向に変わらない銃の現実を憂う日であり、そして何よりも、服部君の鎮魂の日なのです。合掌。

2011年10月30日日曜日

ドラフト会議

NHK白熱教室「明治大学編」であなたは「就職する」のか「就社する」のかという話をやっていました。誤解があるかもしれませんが、欧米人は組織の中で「機能」を担おうとする。一方、日本人は組織の中で「役割」を担おうとする。その結果、日本人は就職ではなく就社をするのだというような話でした。その真偽をここで論ずる気はありませんが、その議論の延長上のような話が最近ありました。

プロ野球のドラフトです。巨人・原監督の甥で東海大菅野投手が、巨人ではなく、日本ハムに指名されました。

上記の白熱教室の議論を前提にすると、プロ野球の選手として「日本野球機構に参加したい」のか、それとも「巨人軍に帰属したい」のかという違いです。

アメリカではドラフトの指名拒否はほとんど無いようです。野球選手として、打つこと、投げること等、機能の一部を負担したいから、月並みな表現では、「どこのチームでも野球ができればよい」という考えでしょうか。一方日本では、希望球団以外の指名を拒否するケースは珍しくありません。あるチームに帰属して、単に機能としてではなく、そのチームの役割を担いたい。つまり、ある特定の球団の中で自分の役割を得たいからということでしょうか。

白熱教室の議論を応用してみましたが、自分自身でもはっきり分かっているわけではありません。ドラフトというアメリカの制度を日本がどのように運用していくのか、今後のニュースを注目したいと思います。

2011年10月25日火曜日

トイレ掃除は体罰か?

宿題をやってこなかったらどうするか?
①授業後、残ってやる。
②別の日に塾に来てやる。
③前回の2倍の宿題をやる。
④トイレ掃除をする。

小学生に希望を聞いたら、圧倒的に④のトイレ掃除でした。予想外でした。中学、高校と学年が上がるにつれ、トイレ掃除の人気は下がり、①か②が人気でした。

そうか。小学生はトイレ掃除に抵抗がないのか。うーん、一度やらせてみるか。

とそのとき、ある高校生が、「それって、体罰じゃないですか?」
「えっ? 体罰?」
そんなあ・・・・・便器を磨くことは心を磨くことなんだよ。

2011年10月23日日曜日

韋編三絶(いへんさんぜつ)のすすめ

久しぶりのブログ更新となります。

今日は葦編三絶(いへんさんぜつ)について。

葦編三絶とは、「一冊の書物を繰り返し読むこと」です。
僕はこのことの大切さを最近改めて感じています。

人の心は時間と共に移ろいゆくもので、1回目、2回目と同じ本を読んでいく
たびに、心に”沁みる(しみる)”部分が変わってきます。
「あ、こんなこと書いてあったんだ」、と今の自分の心が求めている言葉に出会うと
ちょっとした感動を覚えます。

楽器を習っている人は、勉学にもその力を発揮すると良く言われます。
なぜか。 
それも、葦編三絶によるものだと僕は確信しています。

楽器で曲の練習をする時、通常は数週間から数か月、1つの曲に付きっきりになります。
そしてやっと1つの曲をマスターすることができます。
数か月でやっと一曲、と聞くと楽器の上達には途方もない時間がかかるように思えますが、
その一曲を仕上げる過程で、色々な技術をその人は身に付けるのです。

楽器をやっている人はその事を知っていて、勉強でも同じ事を何度も繰り返し、
1から10を学ぶのでしょう。

最後に、最近僕の心に響いた言葉を紹介させてもらいます。
「思いの種を蒔き、行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。
習慣の種を蒔き、人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を刈り取る」

これは「7つの習慣」という書物にある言葉です。
5回目に読んだ時、やっと巡り合えました。







パブリックコメント

現中2から実施される新入試制度(案)がパブリックコメントを経て策定された。パブリックコメントでは様々な意見が寄せられており、その意見をどのように扱うのか気になっていた。

その結果、「何も変わらなかった」

予想されたことだったが、行政のやることはこういうことだ。つまり、(案)の段階で決めたことを変える気は最初からなく、手続き上(庇護がなかったことを示すため)県民の意見を聞いたに過ぎない。

原発の公聴会と同じで、初めから結論は決まっている。そんな不快感が残った。

2011年10月21日金曜日

悠々会 日程変更

11月17日開催予定の悠々会を 11月10日(木)に変更します。

2011年10月18日火曜日

センターまで100日を・・・

浪人している生徒が尋ねてきました。近況を報告しがてら、分からない問題をききに来たのです。今年、いくつかの私大に合格したのですが、国立で失敗し浪人しています。

河〇塾の卒業生用テキストの数学の問題を何題か教えると、その反応でこの一年の彼の成長が分かりました。着実な勉強をしている人間の持つ、ある種の落ち着きもありました。

「がんばれ!」と言って送り出すと、「はい」としっかり頷いて帰りました。今年は大丈夫でしょう。

センターまで後、100日を切りました。

2011年10月15日土曜日

ケーキ

塾が終わって、暗くなった通りに出ると、『先生、いたの?』と声あり。
『うっ、誰?』と後ろを振り返ると、自転車に乗った、若い女性でした。

よく見ると、昔の教え子で、『なんだ、お前か~』と言うと、『なんだは、ないでしょ』と答える。

時間も遅いし、暗い所でもあるので、『今度、ケーキでも持って、遊びに来なよ。コーヒーくらい飲ませてやるから』と、冗談を言って分かれました。

翌日、ケーキが届いたのでした。ケーキが4つに、プリンが4つ。『これは、僕の勘では3,200円はしますよ』とA先生。『本当?』私は、ケーキの相場が分からないので驚いてしまいました。冗談なのに。でも、美味しかった。

『みんな!遊びに来るときは、手ぶらで来いよ!』

さて、後日談があります。彼女はケーキ屋さんで働いていて、そのケーキの値段は気にしないでとのことでした。だったら、また、持って来てね。

2011年10月14日金曜日

悠々会開催の予定

悠々会を11月17日(木)夜、開催する予定です。
時間等詳細は未定です。予定を空けておいてください。

勉強はおししい

中3の成績が出揃いました。全体的には良好ですが、そうでない者も若干名。

夏期講習以降のやる気がそのまま、成績に反映した感じです。「こいつ、やってるな」と感じた生徒はやはりそのような結果が出ています。そして、その伸びも驚くほどです。

考えてみれば、勉強は「割の良い作業です」。仕事でも、スポーツでも勉強ほどやったことが成果に結びつくわけではありません。一生懸命働いても、仕事が上手くいかないこともあるし、どんなにトレーニングしても、記録が伸びないこともあります。

勉強はやっただけの成果がある程度得られます。勉強って美味しいよね。そう思いませんか?

2011年10月9日日曜日

中3模試

中3の模試を行いました。

模試の合否判定は現在の得点が入試の時点である程度伸びることを想定して作られています。現在150点だとすると、偏差値を考慮して、予想得点は190点になるだろう。だとすると、C値がこれだけで、合格可能性はこれこれだというやり方です。

実際はそのように伸びる者、そうでない者、予想以上に伸びる者がいます。予想を大幅に上回る伸びを見せる者もかなりいます。

その差がどこにあるのか、生徒一人一人を見ていると良く分かります。

”門をたたけ、さらば開かれん”というとき、門をトントンとノックしたり、ドアホンを押してじっと立っていたのでは門は開きません。全身全霊で門にぶち当たれば門は開かれるのです。

鳥の雛のように、えさが運ばれてくるのをじっと待っているようでは、成果は得られません。能動的に学べるかどうか、それが決め手です。

2011年10月7日金曜日

飯が天なのであります

一家で寝過ごして、遅刻しそうな娘を中学へ送っていく際、弁当の代わりにコンビニでおにぎりを2つ買って持たせた。

その夜の娘との話。
「今日お昼、どうだった?」
「うーん、買い弁ってやだな」
「おにぎり買って来る子はいないの?」
「女の子はあまりいない。でも男の子はコンビニの弁当の子、沢山いるよ」
「ふーん。そうなんだ」

そして、話は読書好きなA君のことになってきた。
彼は、両親が夜働いていて、毎日自分で弁当を作ってきている。
「ご飯だけ入った弁当箱に、缶詰とかもって来るんだよ」
「そうか」
「こないだ、友達が停まりに行ったらしいんだけど、朝4時に起きて、ご飯炊いて、朝ごはん作ったんだって」
「へー。えらいねえ」
「たまに寝過ごして、弁当作り忘れることもあるんだよ」
「お昼どうしてるの?」
「本読んでる」
「そうか」

もう、この辺で僕の涙腺は緩み始めている。

あまりに昔読んだので殆んど忘れてしまっているが、イギリスの学校の食堂での話。
カフェテリア形式の食堂で中学低学年の女の子が、おそらく経済的事情で、ミルクのみのお昼をとろうとしている。受け取ったミルクを持って席に着こうとしたとき、人と交錯し、コップを落としてしまう。彼女は呆然と立ち尽くしてしまう。もう一杯のミルクを買う余裕はない。それを見ていた作者の私(年配の男)がミルクを買い、戸惑っている女の子にそっとミルクを渡す。そんな話だった。

第2次大戦後、世界はまだまだ貧しかった。イギリスも同様だった。

「それでね、水だけのときも・・・」
「うっ。もう良いよ」
限界だった。

”ああ
飯(めし)が天なのであります
みなで
分かち合い
食らうもの”

誰の作か忘れてしまった詩が数十年ぶりに蘇ってきた。

2011年10月5日水曜日

初雪の便り

何時まで続くのかと思っていた残暑が嘘のように急に秋めいてきました。それどころか、各地で雪の便りすらあります。

過日、宇宙から見た地球の生放送をNHKがやっていました。オーロラをその上空からみるとか、流れ星をやはり上空から見るとか、とても面白い映像でした。

そのときの最初の感想は、地球の大気圏って随分薄いんだなというものです。地球が蜜柑なら、大気圏は蜜柑の皮ほどもない。そんな薄さでした。その外はもう宇宙で、地球はほとんど無防備で宇宙に晒されているかのようです。その薄い大気に何かがあれば、その影響はかなり深刻なはずです。

南極に続き、北極でもオゾンホールが発見されたというニュースが数日前に新聞紙面を飾りました。

地震、巨大台風、名古屋で100万人に避難勧告。確かに、何かが変わってきているようです。

2011年9月30日金曜日

定期テストが終わって

受験用の理科と社会の教材を生徒に配りました。

次の定期テストまでは、学校の授業にあわせたこともしなければなりませんが、同時に受験を見据えた勉強もしなければなりません。

今日から使い始めた教材が使い込まれてぼろぼろになるのは今年の暮れ。その頃には、受験に、ある程度の目鼻がついているはずです。

定期テストのための勉強は局所的勉強ですが、受験はその断片的な勉強を体系化する役割があります。中学校までやってきた知識を俯瞰する。そんな気持ちをもっていれば、この3年間が何なのか、少し分かってくるかもしれません。

子供たちの表情が引き締まってきています。

2011年9月28日水曜日

アインシュタイン

”名古屋大など11か国の研究機関による国際研究グループが「ニュートリノは光よりも早かった」ことを示す実験結果を発表した・・・時事通信”

このニュースに心躍らないということがあるでしょうか?

何かの誤謬があるのではないか? ほとんどの物理学者がそう考えるのは当然だし、発表した物理学者自身がそう考えているふしもあります。

”選ばれてあることの恍惚と不安、ふたつわれにあり”と言ったのはベルレーヌだったか、それともボードレーヌか。そんな恍惚と不安をかの物理学者も味わったのでしょうか。

願わくば、物理の地平線に放たれた一石(アイン・シュタイン)が大きな波紋を起こさんことを。

2011年9月27日火曜日

最期の曲

ジャーナリスト鳥越俊太郎が人生最後に聞く音楽を探してアメリカへ行く番組をNHKでやっていました。彼は癌と戦っており、自分の最期に聴く曲を探しをしているのでした。

初めに南部ニューオリンズを訪れます。そこで、死者を墓場へ運ぶとき先導するジャズバンドに遭遇します。みな葬式用の正装で、先頭に日傘を持った黒人の老人、その後にトランペットやサックスを演奏する4~5人の黒人演奏者がスイングしながら続きます。

晴れた日中、その演奏はとびっきり陽気で、音を聞いて家から出てきた人々もその場で踊りだします。

それは、日本の悲しみに満ちた、静かな葬儀とは全く異なるものでした。澄み渡った青空の上の上。神のもとへ陽気に近づいていく。不思議な感覚のする行進でした。

先導する老人に最期の曲を訊くと、" I will fly away " という曲を薦めました。”私は神のもとへ飛んでいきます”という内容です。

奴隷制度があった時代。逃れようの無い過酷な人生は死を迎えるまで終わることはありませんでした。死ぬことは奴隷からの開放で、それは喜びだったのです。自由になって、神のもとに飛び立っていく。心躍るときなのです。「死も悪いもんじゃない」と。

南部の強烈な陽光の下、その葬儀の乾いた悲しみが良く伝わってきました。

2011年9月24日土曜日

単位について その2

小学生が速さの勉強をしているのを見ていました。

毎時5kmを5km/hと書いています。5km/hour ですから問題なし。
小学校でも/hを使うようになったのかと納得しました。

毎秒5mを5m/sと書いています。5m/secondですから問題なし。
小学生で/sを使うのかと驚きました。

毎分50mを50m/mと書いています。50m/minuteのことなのでしょうか?
うっ?これ、変でしょ?

浅学にして、50m/min は見たことがあるのですが、50m/mは見たことがありません。一つの単位の中に別の意味を持つ同じ文字を入れる。これで良いの?

昔、新聞や本が活版印刷だった時代。一文字分にmm(ミリメートル)を入れなければならず、斜めにm/mと書いて無理やり一文字分としmmを表していたことはありました。勿論、正しい単位表記というわけではありません。

誰か知っていたら教えてください。


算数と数学

『算数』と『数学』との違いは何か。いろいろ言う人もいますが、納得できる説明に出会ったことはありません。その理由を数学的に説明するものも目にしますが、実際は、数学上の理由ではなく、歴史的な、事務的な(文部行政上の)違いなのではないかと想像しています。

数学ではいろいろな言葉が途中で変化します。『丸』が『円』になり、『ま四角』が『正方形』になり、『変化の割合』が『平均変化率』になります。中学では『上に開く』グラフが高校では『下に凸』のグラフ。数Bで『数列の和』も数Ⅲになると『級数』になり、まるで出世魚のようです。

英語ではおそらく子供から大人まで circle は circle のはず。

数学を含めた多くの科学用語が明治以降の翻訳によっていることにその原因があるのかもしれません。『磁場』と『磁界』のように同じ内容のものが、異なる翻訳のまま現在に至っているものもあります。

いつの日か 『丸の面積をもとめよ。』とか『 三角形あいうと三角形かきくの合同を示せ。』とか『2あ+3あ=5あ』とかになる日が来るのでしょうか?そんなことはないか。

2011年9月22日木曜日

今週末の予定

22日(木)は試験明けのため、中学の授業はありません。小学生以外は通常通りです。中3は面接があります。

23日(金)祝日はお休みです。

24日(土)から、通常の体制に戻ります。

台風

久々に強烈な台風でした。

塾を休みにするかどうか悩みに悩んだのですが、テスト期間中ということで、中2と中3は授業決行。中1と高校は休講としました。

外で強風が吹き荒れ、様々なものがすさまじい音を立てながら、道路を飛散していく中での授業は、子供の頃の台風の一夜を数十年ぶりに思い出させました。

当時、日本の電力事情は悪く、台風になると頻繁に停電になっていました。その日は父が出張で不在。怖がり屋の母と小学低学年の子供たちがちゃぶ台の上のローソクを取り囲んで、吹き荒ぶ(すさぶ)風の音に怯えながら、食事をしていました。いつかこの夜に終わりが来るのだろうかと考えながら、風の雨戸を揺らす音に震えていたような気がします。

ふと気づくと、布団の中で、いつしか風はおさまり、隣で寝ている母親の存在を確認して安堵したものです。

翌日は台風一過の快晴。さわやかに澄み渡った青空の爽快感と、倒れている物置。垂れ下がった電線。不思議な光景でした。そんな中を友達と大声を出し、走って、学校へと向かっていたのでした。

2011年9月17日土曜日

自習室の開放

中学生がテスト前なので、土日に塾を自習室として開放します。
自習に使える時間は以下の通りです。
9/17(土)8:00~19:00
9/18(日)9:00~19:00
自宅よりも温度は高いですが、自宅では集中して勉強できない人などは遠慮なく来て下さい。

2011年9月15日木曜日

フィールズ賞

学校推薦で校内の選抜が決まる時期になりました。早々に合格を出した高校生がすることはたいてい自動車の免許を取ることと、アルバイトをすることのようです。最近は推薦入学の生徒のレベルの低さに危機感を抱いた大学が課題やレポート、場合によっては通信教育などの勉強をさせることもあります。それにしても、高3のこの時期から来年の4月まで半年以上(あるいはずーっと?)ほとんど勉強をしない者が大学に入学していきます。 驚くことです。

数学のノーベル賞といわれているフィールズ賞は40歳以下の数学者に与えられる賞です。4年に一度ということもあり、日本人の受賞者は僅か3人です。なぜ40以下の人に与えられるの分かりませんが、こう想像しています。

数学は物理、化学、生物などに比べ、経験や実験を必要としません。純粋に思惟することによってできる部分が大きい学問です。ギリシャの神、アポロが詩と音楽と数学の神であったのは偶然ではないのでしょう。詩、音楽、数学は、他の科学、芸術と比べ圧倒的にピュア・サイエンスなのです。こうした純粋に頭脳のみを使った活動は人間の持って生まれた部分の影響を色濃く受けます。そして、10代後半から30代でそのピークに達します。運動選手なら当たり前のことですが、数学もある意味で同様です。40代の頭脳は10代の頭脳のように動きません。そんなことが40歳以下の理由の一つかと考えています。

さて、その最も頭が動く、18歳から19歳の半年以上を大して、頭を鍛えることなく過ごす。運動選手が半年トレーニングをサボればどうなるか、誰にでも分かります。一方、頭の中は見ることができませんから、それがどうなっているのか分かりません。しかし、鍛えなかった体と同様になっていると考えてもそんなに間違ってはいないように思います。

推薦が決まった人。AOで受験する人。そのことを考えておいたほうが良いよ。

2011年9月14日水曜日

eight days a week

Ooo I need you love babe
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Eight days a week I love you
Eight days a week is
Not enough to show you I care

ビートルズのヒット曲”エイトデイズ ア ウィーク”の一節です。
昨日、長尾先生が書いた密度に触発されてこれを書いています。

高校の英語でこのときの ”a” は1ではなく、”~について、~あたり” という意味だと教わります。eight days a week は1週間に8日(それほど多く)ということになります。100分率のパーセント(per)と同じ意味ですからeight days/week ということになります。時速がkm/h, 密度がg/cm3 です。英語を母国語とする人にとってこれはとても自然なはずです。一方、我々日本人は小学校で毎時~kmと教わるのでちょっと違和感があります。5g毎立法センチメートルというときの”毎”という表現もしっくりしません。

若い人は誰も知らないと思いますが、かつて、演歌歌手五月みどりが ”一週間に十日来い”という歌を歌っていました。Ten days a week です。ビートルズを凌いでいます。そう言えば、ビートルズの”イエローサブマリン”を演歌歌手の金沢明子が歌っていたこともありました・・・

2011年9月13日火曜日

密度=?

昨日、「密度ってどうやって求めるんだっけ?」と聞いた生徒がいました。
突然ですが問題です。密度の式はなんでしょう?体積と質量を使います。
そんなの忘れたという人が多いでしょうか。
答えは【密度=質量/体積】です。
割り算なのでイメージしにくくて覚えにくいですね。ではこれでどうでしょう。


【質量=体積×密度】
質量は簡単に言えば”モノがどれだけ重いか”です。その重みは
・体積(ものの大きさ)が大きいほど重いイメージ
・密度(中身)が詰まってれば詰まってるほど重いイメージ
です。大きくて詰まってるモノの方が重いでしょう。だから割り算ではなく掛け算です。この式だけ覚えておけば、移行するだけで密度や体積も計算することが出来ます。


公式には丸覚えした方が良い(解の公式など)ものと意味を考えて覚えるべきものがあります。
考え方は色々ありますし、厳密でなくてもいいです。自分が納得できる考え方を見つけること、その過程もまた大切です。


ちなみに
「足し算じゃダメなの?」
「えぇ!?(←そこまで考えたことなかった)・・・まぁそこは割り切って覚えてくれよ。」
ここで「割ってないし」とかいう反応を期待した後、それが大分おっさん臭い発想なことに気づき少し落ち込んだ瞬間でした。。。

2011年9月11日日曜日

ベクレルとシーベルト

福島原発の事故以来ベクレルとシーベルトという単位はとても有名になりました。

今はそれに慣れてしまったのですが、かつてはマイクロマイクロキュリーというものを使っていたはずです。ここ20年程度の間に、いろいろな単位が変更されてきました。

最も影響の大きかったものは気圧の単位(パスカル、ヘクトパスカル)です。以前はミリバールが主でしたが、もはや死後となりました。同様に、中学の理科からg重(gW)が無くなり、N(ニュートン)が導入されました。カロリー(cal)もJ(ジュール)にその地位を少しずつ奪われてきています。

理由はNを中心とした単位の体系に統一するという考え方があるからです。そして、一方では、オングストローム(Å)やダイン(dyn)のように、学校教育の場から別の事情(簡単にするため?)で滅んだものもあります。

かつて、尺貫法を廃止することに躍起になっていた時代がありました。それを使っていると世界に遅れをとるといわんばかりでした。長くそれを使っている職人たちからの反発も強かったようです。

こうして、単位は私たちの日常から少しずつ離れていきました。シーベルトにいたっては最早、実感不能な魔物のようです。

2011年9月10日土曜日

高校期末テスト

高校のテスト対策授業をこの1週間していました。

テスト終了後の12時頃から夕方7時くらいまでほぼ休憩無しでの授業です。終わったときにはもうやることは無いと思えます。『満点取って来いよ』と言って、生徒たちを帰します。

昨日はα、βと2回ある数学のテストのβのテスト対策でした。その際、生徒が持ってきたαの問題を見て、勉強の方向に誤りがなかったかの確認をします。

全19題。90分のテストでは多少時間が厳しかった者もいたかもしれません。出題は完璧に予想通り、全て一瞬にして解法が分かるものばかりでした。塾でも全て扱っています。

この高校は旧学区最難関校なので以前は最後の数題は少し考えるものもありました。しかし、最近そのような問題に遭遇することはありません。全てお馴染の標準問題です。それでも、高得点がポンポン出てくるわけではありません。

能力というより、勉強量の多寡がものをいう種類のテストです。

点数が伸びなかった人には 『勉強不足!』の一言を投げかけざるをえません。

物理おたく

授業が終わった後、八木先生が『天体って一度理解すると、どんな問題でも絶対に解ける。いいですねえ』と言っていました。

物理にもそれと似たところがあります。数学の素養がある人が、ある単元に限って勉強したとします。1週間あればその単元の基礎を2日で学び、次の3日で中堅大学の入試問題を解き、次の2日で難関から最難関大学の入試問題を解くということがあり得ます。

そのどれもが同じ考え方が貫かれていること、そして曖昧な部分が殆ど無いことが理由です。それが分かるとこの教科の楽しさと偉大さに気づくはずです。

こうして、物理おたくが一人誕生します。

2011年9月4日日曜日

新学期

 中3はさすがに臨戦態勢に入ってきました。その中に夏休みで驚くほど学力を伸長させたものもいます。毎年そうした生徒はいるのですが、その伸びは感動的ですらあります。周囲の予想を遥かに超した成長をみせます。模試で5割ちょっとだった数学が9割強に伸びていました。そうした場合、本人の内部で何かが変化していることがわかります。学習態度が明らかに変わっているからです。他教科が同じように伸びてくるのは時間の問題です。彼は勉強の何たるかをつかみかけているのです。

 一方、中2はまだまだです。受験が近づくというような外的刺激がないとなかなか自分を変えられません。公立中の場合、ほとんどの生徒は受験をくぐっていないので、現実に対峙する経験を持っていません。『泣いても叫んでも、だめなものはだめだ』という現実に向かい合った経験がないのです。現在の自分が近い将来(たった、1年半後)の結果に決定的に関与しているということが実感できないのです。昨日の授業の後、その話を生徒に長々としておきました。外は台風の強風と豪雨。いくらか伝わったかな。

2011年9月3日土曜日

予行演習

単語を覚えたり、歴史を覚えたり、記憶は勉強のかなりの部分を占めています。

それを覚えるための技術も、脳科学の成果もあり、昔とは随分変わってきました。単語一つを考えても、様々な単語帳が様々な方法を提案し、なるほどと唸るものもあります。ところが、それを使っても必ずしも良好な結果が得られるわけではありません。どのような優れた方法でも、本でも、最後の部分は【覚える】という基本的な行為を前提にしています。その部分に問題がある人が増えているように感じます。

appleという単語を覚えるとします。その文字が目に入り → 網膜に映る → 神経を経由し → 脳に至る。そんな経路を情報が伝わっていくうちに、電気信号がどんどん微弱になっていく。脳に着くころにはほとんど無くなっている。そういう気がします。

その信号を強くする部分は気持ちなのではないか?昨日、三角形の相似条件3つを確認しました。「ちゃんと覚えていない人は残って覚えていくことにしよう」というと、皆あっという間に覚えられます。さっきまで、何度も間違えた人もです。これを覚えなければならないのだという強い気持ち、そこが欠けているようです。といっても、当人たちは覚える気があるというに違いありませんし、事実覚えようとしてもいるのです。ただ、傍から見ているとなんとも切迫感がないのです。

一度で身につけることは一度で身につける。そういう体験が少なすぎるのかもしれません。現代では、大抵のことはたくさんの練習を経て身につけるようになっています。学校でも家庭でも、予行演習を沢山して子供を育てていきます。そして、そのうち自然にできるようになると考えているふしもあります。

学校教育は延々と続く予行演習だというわけです。


トロンはどうなったのか?

なぜか『トロン』のことを思い出しました。

東大の坂村氏が提案した壮大なコンピュータシステムです。それを利用したものが全国の小学校で使われるはずでした。それ以外にも社会のあらゆるところで活用される可能性を持っているように思えました。

突然のそのプロジェクトが立ち消えになったのは、日米貿易摩擦で非関税障壁の1つとして、アメリカがトロンプロジェクトを批判したからだったように覚えています。

小学校でトロンが使われていたら、今の社会はどう変わっていたのでしょう。ウィンドウズなんか誰も使っていなかったかもしれません。残念な気がします。

この世の中では、必ずしも良いものが、採用されるわけではない。ということを再認識することになりました。ビデオにおけるVHSとβ(ソニーの開発したβは滅んでしまいます)のように。

そんなことを考えながら今日もウィンドウズの世話になっています。

2011年8月31日水曜日

努力に勝る天才無し

もう10年以上前の話です。数列の授業後、ある女子高校生がどうしても理解できないと言って、やってきました。その問題は確かに複雑でしたが、授業中にほぼ全員が理解できたと思えるほど丁寧に、繰り返し、しつこく説明していましたので、意外でした。

 1時間程度、様々な説明を試みたのですが、納得できないようでした。夜も遅くなっていたので、『明日また説明するから今日は終わりにしよう』と伝えると、『私は馬鹿だから、他の人と同じように理解できません。でも、努力だけは誰にも負けないようにやってきました。どんな遅くなっても今日分かりたいんです』

 その意気に押されて、更に1時間程度説明したのですが、彼女に納得させるのは無理かなと思うようになりました。”馬鹿じゃないけど、複雑な理屈を理解できるタイプじゃないかも・・・”と思い始めたのです。
 無理やり納得させるような形でその日は家に帰しました。1週間後に期末テストでした。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

テストが終わると、点数を確認します。彼女に点数を聞こうとすると、筆箱から細長い紙を出して嬉しそうに手渡しました。広げてみると、各教科の点数と順位がプリントしてありました。総合順位が文系全体で1位でした。

 江南で1位という成績を見るのは初めてではありませんでしたので、大して驚かなかったのですが、彼女が1位という事実にはたいそう驚きました。
   ”努力に勝る天才無し”
その通りだと感じさせる子でした。

その後、何度も何度も壁にぶつかりながら、卒業までほぼ1位を守り続けました。
 『私、馬鹿だから一般入試じゃや厳しいんで、推薦でいきます』
そう言って、推薦で早稲田に進学しました。

 最近、結婚して、子供ができたという話が伝わってきました。相変わらず、壁にぶつかるたびにあのパワーでそれを乗り越え(ぶち壊し?)て前に進んでいるようです。
 
 バブル以降、現在に至るまで努力の価値が落ちてきているように思えます。『そんなにやってどうするんだ』、『頑張るなんて、かっこ悪い』という意見もあります。

 大して、やっていない人にはこのかっこよさが分からないのでしょう。 才能は持って生まれた部分がそれなりに関係します。努力はそうではありません。

 紙と鉛筆と少しのやる気。それで十分です。

2011年8月30日火曜日

遅ればせながらカレー作りの写真をアップしました

だいぶ遅ればせながら、カレー作り風景の写真をアップしました。

塾でカレーライスをつくる

また企画しましょう!

カレー作りを手伝ってくれた生徒たち、ありがとう!

2011年8月28日日曜日

夏期講習最終日

本日の授業で夏期講習が終了です。

通常授業は9月1日から再開です。

この夏の成果は遠からず出てきます。暑い中、ご苦労様でした。

2011年8月27日土曜日

模擬テスト返却

今月上旬実施した中3模擬試験の結果がかえってきました。

いつものように、良い人悪い人いろいろですが、全体的には渋く出ます。

理由は様々です。志望校を高めに設定するように指導していること。社会・理科の1・2年の復習が完全に終わっていないこと。入試スタイルの長文問題に慣れていないこと。入試独特の設問に慣れていないこと。・・・

一喜一憂するなといっても、生徒はそうはいきません。悪いと落ち込み、良いと有頂天になる。何れにしてもこれが本格的受験のある意味で地平線です。ここから、高みを目指して一歩ずつ歩んでいくことになります。

できないことを一つずつできるようにする。覚えるべきことを覚える。やるべきことをやる。そんな一歩一歩を進めるうちに、小高い尾根に出てきます。そこで一休みし、下界を見る(模試をする)。随分登ってきたなあと思えるはずです。それを糧にまた次の一歩を踏み出す。こんな繰り返しです。

後、数回の模試を経て、山頂はもうすぐそこです。

2011年8月26日金曜日

塾でカレーライスをつくる

午前10時に塾に集合して今日の授業の始まりです。生徒はそれぞれの課題を自習ます。私は本の整理をしつつ、時々、生徒の質問に答えて教室を回ります。八木先生は中2の生徒を指導して、たまねぎを炒めたり、ジャガイモの皮をむいたり。



↓涙を流しながら玉ねぎを炒める生徒



↓玉ねぎがきつね色になってきたら、肉野菜を投入


↓水を入れて、ルーを入れて煮詰めて完成♪


12時過ぎにカレーライス完成。勉強の手を休めて、昼食です。肉をY君が大量に取ったので、一番最後の私のはジャガイモと大量のにんじんカレーでした。『Y!ひどいぞ!』 食い物の恨みは恐ろしいのです。途中、偶然パンフレットを受け取りに来た高校生の父兄の方も『楽しそうですね』。

食後、ちょうど夏期講習前半に行った模試の結果が来ていたので、それを返却。数学の問題の不出来に怒った?八木先生が数学の解説をし、前半終了。私は大量の古くなった赤本と、数年分の不要なプリントや教材を整理して、満足いく仕事ができました。

後半は通常通りの授業をして、9時半に終了。なんだかんだで12時間勉強した人もいて、ご苦労様でした。

夏期講習も後二日です。燃え尽きましょう。


2011/8/30 八木
写真を追加しました。

2011年8月20日土曜日

塾の大掃除

来週25日・木曜日。塾の大掃除をしようと思います。

ただ、掃除するだけでは面白くないので、
①勉強したい人は午前10時に来て自習をしてください。本箱、プリントの整理をしながら分からないところを教えます。中学から高校まで、全てに対応します。
②皆でカレーライスを作ります。料理自慢の八木先生の指導です。米を炊くことができませんので、おにぎりを各自2つ持ってきてください。それにカレーをかけて食べます。
③人数に制限があります。希望者は申し出てください。
④夜の授業は通常通りです。一度、家に帰っても良いし、ずっと自習するのもありです。

2011年8月19日金曜日

観光船転覆事故

天竜川で川下りをしていた観光船が転覆して死者と行方不明者が出ています。

ニュースでこの事故に関して様々なコメントが出ています。リバーカヤックをするものとして、映像で見る限り驚くほど危険な流れではありません。初心者なら転覆するかもしれないとは思いますが。

問題はただ一点に絞られます。『ライフジャケットを着用していなかった。』 この一点です。
 
かつて、バイクにヘルメット無しで乗ることができました。着用が法令で定められ、風を切る爽快感は減少しましたが、やがてヘルメットをかぶることに慣れました。

かつて、車のシートベルトをしないで運転することが普通でした。着用が法令で定められ、当初は窮屈な感じもありましたが、やがて慣れました。

カヤックをする人間はほぼ100%ライフジャケットを着用します。始めは窮屈ですが、直ぐに慣れます。

ライフジャケットをつけれいれば・・・、悔やまれる事故です。

2011年8月17日水曜日

時熟する

NHKでオランダの画家フェルメールの絵を修復する番組をやっていました。フェルメールは17世紀の画家なのでその絵は400年程度前にかかれたことになります。フェルメール独特の青い色が黄色に近い色に変色しています。それを当時の色に修復しようというのです。

フェルメールの実物を始めてみたのは30年も前、ウィーンの美術史美術館でした。3階の回廊の一部に『画家のアトリエ』という作品が展示され、女性の画家がそれを模写していました。沢山のブリューゲルの作品に圧倒された後だったのですが、フェルメールの青とその静謐な空間は今でもはっきりと蘇ってきます。

ルーブル美術館に足繁く通っていたころ、多くの絵が修復されていることが分かりました。中世の作品は傷みや変色が激しく、修復が必要なことは理解できます。しかし、昨日描いたかのような鮮やかな青に修復されたプーサンの絵は大変違和感があるものでした。

世界の多くの文化では400年前のものが今も同じようにここにあることに価値があります。一方、日本では400年前のものがそのままあるのではなく、400年の歳月の経過の結果として今ここにあることに価値があります。東大寺南大門は建立当時、鮮やかな朱色に塗られていたそうです。それが歳月の中で色あせ、深みを増していく、そうした美意識がこの国にはあります。時間の中で熟成していくのです。だれも建立当時の色に塗れという人はいないでしょう。

さて、修復されたフェルメールですが、それはそれで良いものであることは間違いのない出来栄えでした。

2011年8月16日火曜日

夏期講習後半初日

夏期講習後半の初日。最初の授業は小学生のクラスです。みんなちゃんと焼けています。良くここまで黒くなったなという子もいます。

彼らを見るとほっとします。子供たちは相変わらず元気です。太陽の下でしっかり遊んでいます。そして、宿題も全員やっていました。

よし、良いぞ!このまま夏休み後半だ!

もっと遊んで、ちょっと勉強しろ!

失われた世代

移行措置により、小・中の数学・理科が大分変わってきました。変わったというより、ゆとり前に戻ったと言ったほうが良いのですが。

不等式、2次方程式の解の公式、円に内接する四角形、その他が高校から中学に戻ります。理科でもイオンや中和反応、月、遺伝、その他。随分と変わります。

これらは私立の中高一貫校ではゆとり以前と同じようにやっていたのですから、ゆとりでは公立教育が一方的にレベルを下げ、私立との格差を大きく広げてしまいました。

私立一貫校はここ10年ほどで大学受験に関してMARCHクラスを中心に大きく躍進しています。東大を筆頭にした最難関レベルではとっくに私立一貫校に公立は歯が立ちません。ゆとり教育はその原因の大きな部分を占めています。蟻とキリギリスのキリギリス役を公立中・高が割り振られたのです。蟻には勝てません。

ゆとりに関するきちんとした総括が文部行政の関係者から聞こえてきません。誰も責任を取らない文部官僚の気まぐれに翻弄されただけなのでしょうか?

You are all a lost generation. (あなたたちは皆、失われた世代 by ガートルード・スタイン)

残念ながら、ゆとり世代をそう呼ばなければならないのかもしれません。憤りを感じます。

2011年8月15日月曜日

夏期講習後半本日より開始

本日から夏期講習後半が始まります。

2011年8月14日日曜日

独自入試廃止

新入試制度では独自入試が廃止になります。

理由は明示されていません。独自問題作成が大変(面倒?)だから止めようというのが本心なのではないかと憶測しています。当初10校だった進学重点校が昨年から18校に増えたのも関係しているのでしょう。

京都大学を退官した数学者と話したことがあります。彼は入試問題を作るためにありとあらゆる問題を解きまくっています。そして、大手予備校が『来年の京大入試は・・・が出る』と予想しているようなものは全て読んで、それを出さないで作ってきたと言うのです。東大や京大のように多くの人の目にさらされる入試問題作成は大変です。更に、親戚に京大を受験するかもしれない者がいると問題作成の担当から外れるということでした。そんな、厳しい京大ですが、今年の入試のように携帯でカンニングされていたら全て水の泡です。 

さて、独自問題がなくなると、たった一つの共通問題で全ての受験者を選抜しなければなりません。現行の共通問題は簡単で(定期テストより高得点が取れる)、高得点者が多くなりすぎ、上位受験者の実力を的確に判断することができません。といって、難しくしすぎると下位受験者の問題が起こってきます。それを改善するするための独自入試だったはずです。

何れにしろ、県の方針が迷走しているようで、そこにしっかりとした思想があるとは見えません。独自廃止も早計だったように思います。

2011年8月12日金曜日

日本で2番目

『日本で2番目に不味いラーメン』という看板を出しているラーメン店があります。勿論、根拠があるわけではないので、ひょっとして美味しいのかもしれないと思って店に入る人もいるのでしょう。

時々、神奈川県の高校入試問題は日本で2番目に易しいという話を聞きます。一番易しいのが沖縄県で、その次に易しいのだそうです。共通に行うテストがあるわけではないので、この話の信憑性も怪しいのですが。信じている人がいるようです。確かに神奈川県の入試問題は簡単すぎます。中学生が目標とする学力のレベルがこれでは神奈川の公立教育にあまり期待は持てません。そんなことを感じた人が、簡単だという代わりに日本で2番目に易しいと言ったのかもしれません。

最近、他県の高校の先生と話しをする機会がありました。その先生曰く『うちの県の入試問題は全国で2番目に易しいといわれていて・・・』 そんなことだろうと思いました。1番とは言い難いが2番なら気楽に言えそうです。おそらく2番目は沢山あるのでしょう。

そういえば『1番じゃなければだめですか?2番じゃだめですか?』とスーパーコンピュータについて言った大臣の話も話題になりました。その後、予算は減りましたが、日本のスパコンは世界1位を奪取しました。

2011年8月7日日曜日

夏期講習前半終了

夏期講習前半が終了しました。

8月8日~8月8日まで塾は休みです。夏期講習後半は8月9日~2週間です。

2011年8月4日木曜日

本を処分する

午前中から塾の本を整理していました。要らない本を処分して、いっぱいになった書庫を空け、もっと使いやすくことが目的です。使っていない本が大量にあるので、半分か悪くとも3分の一に減らせたら、と思って始めました。

本を ①今使っているもの ②将来使うかもしれないもの ③今後使う可能性が無いもの の3つに分けたのですが、100分の1程度しか減りません。ほとんどが②なのです。②の中には将来使うかもしれないと思って購入し、今に至るまで一度も使っていないものもあります。いろんなものを集めるゴミ屋敷のあるじの気持ちが分かってきます。

かつて、国内外を長期に渡って旅していたころ、私の全財産は背中に背負えるものだけでした。僅かな衣類。スリーピングバック。数冊の本。その他。飛行機に無料で乗せれる重さが基準でしたから、20kg以下の全財産でした。

旅を止め、定着し、家庭を持ち、仕事を始める。物は驚くほどの勢いで増えていきます。塾にある本もその一部です。

物が増えるに従って、目に見えないものも増えているのでしょう。内面が豊かになったのか、それとも贅肉をつけたのか。気になるところです。

今日も早く塾に行って続きをやります。

2011年7月31日日曜日

富岡製糸場

明治維新の続きです。

富岡製糸場の話を生徒としていました。テキストには絹を織る若い女性の写真が載っていました。そこから話は『野麦峠』の話になり、どんどん脇道にそれていきます。それに伴って話しに熱が入ってきます。やがて話は『集団就職』にまで繋がってきます。

私『君たちと殆ど同じ年頃の子達が、親元を離れ、両手に僅かな衣装をくるんだ風呂敷を持ち、上野駅に着くんだ。駅で待っている町工場の社長に連れられて、右も左も分からない土地で、働き始める。・・・そうした苦労を経て、今の東京があるんだ。今の日本の繁栄はそうした人たちに支えられてきた。わかるか?』
『・・・・・・』
力が入り、余計なことも言ってしまいます。
『それに比べりゃ、お前らなんか楽なもんだ。そうだろ。学校行って、ゲームして、勉強して、テレビ見て』
『・・・・・・』
『明治維新はそんな古い話じゃない。君たちのおじいちゃんのおじいちゃんぐらいでその時代になる。富岡製糸場、野麦峠、集団就職、高度経済成長、オイルショック、バブル絶頂と崩壊、景気後退、リーマンショック、東北震災。ずっと繋がっている。歴史を勉強する意味がわかるか?俺たちは将にその結果としてここに生きていて、そして、未来を作ろうとしている。次は君たちの番だ。そのことをちゃんと意識しておけ』

気がつくと終了時間をとっくに過ぎていました。


2011年7月30日土曜日

明治維新

社会で明治維新を教えています。

驚くのは戊辰戦争の最中に明治元年となり、その後5年程度で、版籍奉還、廃藩置県、地租改正、学制、徴兵制、太陽暦採用などなどを次々と実現していくことです。

どの一つをとっても今の政治では何十年もかかるのではないか?いや、絶対にできないのではないかと思えるような大改革です。

版籍奉還・廃藩置県をする。まさに断行です。一票の格差に関する最高裁の違憲判断にも拘らず、4増4減のようなやり方でたった一つの選挙区も減らせない現代の政治とは大違いです。

6歳以上の男女が小学校に行く学制改革。それが現在の繁栄の基礎なのでしょう。いろいろな反対があったのですが、『良くぞやったり』というところです。

その後、約150年。制度疲労は限界に達しているかのようです。

2011年7月25日月曜日

大学は減らした方がよい。

長年、日本文学の研究をしてきた、ドナルド・キーン、コロンビア大学教授が日本国籍をとって、日本に定住するというニュースがありました。東北震災の少し後です。

彼は若いころイギリスのオックスフォード大学に留学しているのですが、そこで同僚学者からこんなことを言われます。『アメリカの大学には皿洗いの博士号があるんだって?』 これは勿論アメリカの大学の水準を揶揄したイギリス人特有の皮肉です。アメリカや日本には驚くほどの数の大学があるのに対し、ヨーロッパの大学は本当に少数で学生の質もレベルも圧倒的に違います。

日本も高度成長期とベビーブームで大変な数の大学ができました。そうした教育水準の高さが日本の発展を支えたのですが、だいぶ事情が変わってきました。子供の数は大幅に減少し、その多くが大学に進学する中で、大学教育に値する内容を身につけることのできない学生が増えてきました。彼らの多くは実は勉強が嫌いで、大学で勉強をしようという気持ちはほとんどありません。目的も無く。勉強する気も無く。自分が進学する学部に関する知識も無い。『うちなんてそんな学生ばかりだよ』と言った大学関係者は一人や二人ではありません。

私の仕事は大学に入りたい高校生に数学を教えることですが、かつて、ある生徒に『そんなに勉強が嫌いなんだから、大学じゃなくて専門学校へ行って、きちんとした技術を身につけたら』という機会がありました。きちんとした実務を若いうちに身につける、そのほうがやる気なく大学に進むよりはるかに良いはずです。彼は『大学に友達を探しに行くんです。それ以外は何の関心も無いけど』と答えました。

『友達を・・・探しに・・・』 彼に数学を教えることがとても空しくなる瞬間でした。彼は今、友達を探しに大学に行っているはずです。

2011年7月24日日曜日

面接

新しい入試では面接の割合が最低でも20%となります。これがどのようなものになるかで随分と入試の形態が変わってきます。

昔、面接の試験官のようなことをしたことがあります。そのときの感じたことは『僕って、本当に人を見る目がないな』というものでした。短時間の面接で人を見ることはとても難しいものです。良いと思った人が悪く、悪いと思った人が良い。そんな経験を沢山しました。

私の友人たちを見ても、初対面で良い印象だった人は稀で、殆どが始めは好感を持たなかった人たちです。彼らは自分をつくろって良く見せようという気持ちが無いので、第一印象が悪いようです。時間をかけてその人となりが分かってくるととても良い人だと理解できます。

さて、今度の制度での面接はいったい何を見ようとするんでしょうか?


2011年7月20日水曜日

夏期講習日程

今週は通常授業です。

その後、

7月25日~8月7日まで 夏期講習前期
8月15日~8月28日まで夏期講習後期

9月1日~通常授業再開です。

2011年7月17日日曜日

生徒会

 ある中学生が生徒会の役員に立候補しようとしたのですが、推薦人が集まらず断念したと言っていました。いつも推薦人を集めることができず、党代表選に出られない民主党の河村現名古屋市長のことをふと思い出しました。

 神奈川県では生徒会役員が受験の際のポイントとなるため、いろいろな話が伝わってきます。より多くの人が生徒会長ができるように次々に順番でやっていくとか。ある特定の部活が生徒会の役員になる権利を伝統的に有していて、それ以外の部活では立候補もままならないとか。耳を疑うような話もあります。もっともこの辺りは現在の政治状況と同じで上から下まで同じ穴の狢ということなのかもしれません。

 新入試制度では面接を調査書を元に行うという記述があり、ポイント獲得のための生徒会やボランティアはますます本来の目的から離れたものになっていくのではないかと懸念しています。

 

2011年7月13日水曜日

黄金のおにぎり

毎週火曜日にジムに行っているのですが、その帰りにちょっと塾に寄りました。
野地先生の授業が終わるまで2時間ほどあったので、本棚に置いてある「黄金のおにぎり」という本を手に取って読みはじめました。
この本、僕が何年か前に買って気に入っている本で、もう何度も読んでいるのですが、改めて読んでみようと思いまして。

内容はほとんど覚えているのでさーっと1時間くらいで読み終わって、その中で印象に残ったフレーズを手帳にメモしていきました。

脱サラした主人公が寿司屋で修行後、お握り屋を開店して大きくしていく話です。
著者はマーケターの高橋朗さん。
お握り屋の商売をテーマにマーケティングとは何かを分かりやすく説明してくれます。

その中で、主人公が知り合いの会社の社長に、「自分が今行っていることが正しいのか分からない。商売はおかげさまでうまくいっているが、だからこそ不安になる。」という相談をするシーンがあります。
その相談を受けた社長が「そんなものかもしれませんねぇ。ただ、自分の行っていることが正しいかどうかは誰にも分かりません。それは未来から過去を見たときに分かることだからです。やった方が良いと思うことを、さぼらずすべてやり尽くすしかないのではないでしょうか。」という話をします。

この言葉がとても今の僕に響きまして、「あぁ、本当にそうだよなぁ。」と思ったのです。
仕事にも勉強にも共通する名言だなぁ、と。

というわけで、久しぶりに「今週の詩・句」を更新しました。


夏休み

数年前の夏休みのことです。塾に行くと教室の黒板に一日の予定が書き込んでありました。朝から自習に来ているN君の書いたものです。

 7時~数Ⅲ、9時~英語、・・・・15時~物理、・・・

と大きな字で黒板一面に書いてあり、やり終えたものが横線で消してありました。少し前まで炎天下で白球を追っていたN君は敗戦を機に完全に勉強に切り替えていました。勉強のみの夏休みに入ったのです。彼の様子からは言葉にしにくいですが、ある種の毅然とした態度が伝わってきました。数Ⅲのかなりの難問をやっているとき、夏の初めは正答にとても至らなかったものが、夏休み後半になるとぽつぽつと正解が出るようになってきました。『あれっ?ひょっとしてすごくできるようになっている?』と思いました。夏休みが終わるころには難しい問題をきちんと処理できるようになっていました。見る見る学力が上がっているのです。朝顔が一日にあまりにも大きくなるのに驚くように、学力も目に見えて増進する瞬間があります。私の予想する速度を遥に凌いで彼の学力は増進していたのです。

今年も、夏期講習が近づいてきました。10人いれば10人の夏休みがあります。たとえそれが勉強のみで他に何をするのでもないとしても、そこには18歳の夏休みがあり、スポーツに明け暮れたり、遊びまくったりする青春となんら変わりない過激な青春の一日があります。そう思わせてくれるN君の夏休みでした。

もちろん、N君とは今、塾を手伝ってくれているN先生のことです。


2011年7月7日木曜日

入試の面接って?

新制度の入試は A(調査票の評定、合計135点)、B(学力検査)、C(面接)を 100 点満点に換算した数値をそれぞれa、b、cとして、

S=a×f+b×g+c×h (f+g+h=10 を満たす。ただし、f、g、hは2以上で各高等学校が定める)

ということになりました。これを学力優先と見るかどうか意見が分かれるところです。問題は面接で、その説明に『共通の検査として実施する面接においては、調査書の記載事項等を踏まえ、生徒の特性や長所なども含め、総合的な意欲を測る。』となっているからです。これは何のことはない、内申の一部だとすら考えられます。以前から問題にしている特記事項や生徒会・部活・ボランティア等の活動を内申点(135点)ではカウントできないので、それを面接という部分で点数化するということのように見えます。そう考えると、

学力検査優先にすると、(内申+面接):学力検査=4:6
学力検査を軽視すると、(内申+面接):学力検査=8:2

となり現在の制度より学力優先になったというわけではなさそうです。

2011年7月5日火曜日

現中2から、新入試制度に

現中2から新しい高校入試制度になりそうです。

最大の変更点は前期・後期の一本化です。全員が学力検査を受けることになります。内申点のみによって決まる前期選抜に批判的な人にはこれを歓迎するむきもあるのですが、その分、独自入試が無くなります。各校が独自に決めていた20%枠も無くなる可能性大です。その結果、純粋に内申のみの合格者が無くなるのと引き換えに、純粋に学力のみの合格者も無くなります。結局、全ての受験生があの怪しい内申点と恣意性を否めない面接を合否の判定材料とすることなります。

現在の内申点は学力を反映していません。判断基準が不明、または基準自体がおかしい。試験でもっとも重要なのは公平性です。それをどう担保するのかという視点が決定的に欠けています。面接や誰が書いたのか分からないような自己アピール書(本人が書いていないものが沢山ある)。更に、特記事項は不正の温床とも言え、『俺がお前を~高校に入れてやる』といった類いの部活顧問の話は枚挙にいとまがありません。

詳細の発表を注目したいと思います。

2011年7月3日日曜日

入試日程発表

現中3の入試の日程が発表されました。

毎年、この日程を手帳に書き込むたびに気持ちが高ぶってきます。今月は新しい入試についての発表もあるのでそれも気になっています。以前も書きましたが、必ずしも良い方向に改革されるとは期待できない部分があり、注視していきたいと思います。

連日の猛暑ですが、それがいつしか『少し涼しくなったかな』と思うころ。受験は佳境に入っています。今年は平塚中等の最初の入学者が高校生になる年で、大原高校の募集終了等、例年と異なる不確定な要素が増えています。きちんとした確実な学力をつけなければなりません。

2011年6月30日木曜日

学習の基礎

旧学区最上位高の1年生に数学を教えていて毎年思うことです。

彼らには最低限の学力の基礎はありますが、学習の基礎があるとは限りません。

学習の基礎とはできなかった問題をどのように扱うか、復習をどのようにするか、ノートをちゃんと書けるか、字を丁寧に書けるか、図形を分かりやすく描けるか。といったことです。特に復習をする習慣と方法を確立しているかは重要です。

ある程度優秀な、特に男子の中にこうした学習の基礎(勉強に関するしつけとも呼ぶべき部分)の無い者がいます。今までそれでやってこれたので、細かなこと、できなかった問題を復習するとか、字をきれいに書くとか、図形を大きく見やすく描くとかに関する注意になかなか耳を貸さないのです。

もしも、彼にとんでもない能力が備わっていたら、それで通せるかもしれません。しかし、残念なことに、たいていの人はそうした能力を持ち合わせてはいません。ちょっと自分のスタイルを変える。それだけで良いのですが、若者も老人に劣らず保守的にできています。なかなか簡単ではありません。

元桐朋学園大学学長の江藤俊哉氏がこんなエピソードを語っていました。彼が若いころ、もう高齢だった世界的バイオリン奏者のメニューインと話をしていました。そのとき、バイオリンの持ち方の話になり『先生、バイオリンの持ち方は今はこのように持つのが主流です』といって、江藤がバイオリンを持って見せたそうです。すると、もう50年以上毎日バイオリンを弾いてきた世界有数の老バイオリニストは次のコンサートのとき江藤から教えられたバイオリンの持ち方で演奏をしていたそうです。たいしたものですね。

毎日少しずつ自分を変えていく。少しずつ脱皮していく。それが成長の証だと思えるのですが。


2011年6月28日火曜日

とんでもなく不愉快な番組

遅い時間に帰宅し、TVを見ながら一人で食事をします。TVはなんとなくチャンネルを回しながら、気になるものを見るといった見方です。

『英語の参考書・辞書に載っているとんでもなくおかしい例文ベスト3』というような内容の番組でした。第2位の例文は『地面に顔がつくほど背中の曲がったおばあさんが・・・』というものでした。

登場していた3人の芸能人がその例文の滑稽さをいろいろ揶揄しました。『こんなばあさんいるわけねえだろ』と腰の曲がったおばあさんのまねをし、『杖持ってたら、一番下を握っている』といってそのまねをして3人で大笑いをするという内容でした。その3人のうちの1人は『東京シティーボーイズ』の『きたろう』でした。彼の年齢から考えて、そうした老人が日本に大勢いたことを知らないとは思えません。

長い労働の中で、体が深く折り曲がり、(英語独特の誇張があるとしても)顔が地面につくほどに腰の曲がった老人はこの国には沢山いたのです。彼らがこの国の農村と現在の発展の礎を作ったのです。最近そんな老人を見ることはほとんどなくなりました。でも、忘れてはならないのです。体が変形するまで過酷な労働を不平を語ることなく長期にわたり、黙々とこなした人々のことを。

田舎に行くと、今でもそうした老人に稀に会うことがあります。心の中で深く敬意を払う以外に何ができるのでしょう。

2011年6月24日金曜日

大学生に数学を教える

 大学に合格して、塾を止めた生徒から数学を教えてくれとか、化学を教えてくれと頼まれることがしばしばあります。数回の授業ならアフターケアとして無料で見ています。高校のときは違った、より成長した生徒と大学レベルの数学をする。なんとも言えず楽しいものです。
 難関大学の場合、文系学部でも経済や経営は数学を必修とするのが普通です。行列を中心とした線形代数の学習は避けられません。にも拘らず、私大文系は数学を受験科目からはずしています。それは受験生を多く集めたい(数学を受験科目にすると、受験生が激減する。そうなると受験費用が稼げない)という大学側の経営的判断で、学問的判断ではありません。
 高校時代ほとんど数学を勉強せず、早稲田の政経に入ったものの、数学の単位をついにとれずに退学となった友人がいます。最近は推薦・公募・AOといわゆる学力検査としての受験を経ない入学者の比率が大きくなっています。そのため、物理を全く知らない工学部・建築科の学生や化学を履修していない薬学部の学生といったケースが普通にあります。
 日本の受験システムはとっくに実情に合わなくなっています。様々な権益や巨大になった組織、そこで働く人々。学問とは無関係なところでこのシステムが維持されているようです。

炎天下と俳句

学生時代、俳人・山口誓子(やまぐちせいし)の弟子である工学部教授が主催していた作句ゼミをとったことがあります。俳句を作って単位が取れる、しかも、『優』が乱発されるという噂でした。これはとるしかないということで、畑違いですが、その講座をとりました。

毎回、五首の句を作り。輪読し、気に入ったものに票を入れるというパターンでした。その中に、今でも蘇るものが数首あります。

今日のように、雲ひとつない、30度を越す日中の、眩暈(めまい)を起こすような日差しのときに、決まって思い出す、

       ・・・・    母 逝くと 
              友 言い放つ 
              炎昼や      ・・・・

東京の大学に出てきた作者が夏休みに帰省した折、炎天下、高校の友人から『母親が死んだ』と告げられた時の句です。

もう一首。これは一緒にゼミをとった友人の作です。

       ・・・・    母よりの
              メロンの包み
              腐りおり     ・・・・

九州の田舎の母が送ってきた小包を開けると、中から腐ったメロンが出てきた。今のように宅急便の無い時代で、九州から東京はかなりの時間がかかっていました。おそらくそのメロンは母親が誰かからもらい、仏壇に供えていたもので、当時高価なメロンを是非とも東京の息子に食べさせたいと思い送られたものなのでしょう。

最後に私の駄作

       ・・・・   三寸も
             雪 積もれりと
             母 起こし     ・・・・

偶然ですが、三首とも『母』という語があり、田舎から東京に出てきた大学生のある種の共通な心情を感じます。

2011年6月19日日曜日

気持ち

各中学の定期テストが1週間ほどずれてずっと続いています。

同じような能力の人が、同じ教材で、同じ内容で、同じ時間をかけても結果に大きな差が出てきます。その差は気持ちの差です。

積極的に身につけるつもりで学んでいる場合。心と頭が開かれています。いろいろなものが入りやすくなった状態です。

テストが近いから、いやいややっている場合。心と頭の入り口が閉まっています。知識が入りづらくなっています。

乾いた砂に水がしみこむように、学んだことが体に入っていくことがあります。若いころヨーロッパを長く旅していました。パリのレストランでアルバイトをしていたとき、昼休みの僅かな時間に『アリアンス・フランセーズ』にフランス語を習いに行くことにしました。様々な事情で自由に勉強することのできる時間は寝る前の30分とアリアンスへ通うメトロの中の30分だけでした。薄暗いメトロの中で、アリアンスのテキストの文章が四肢の隅々まで染み込むように入ってくるのをまさに体感していました。何事でも覚えられるときは一回で覚えられるものです。

心を外に向かって開く。知識を喜んで受け入れようと心がける。学ぶときにはそのことを忘れてはいけません。

2011年6月17日金曜日

アメリシウムとキュリウム

こんな小さなニュースがありました。

『東京電力は27日、福島第一原子力発電所の敷地内土壌から、放射性物質アメリシウムとキュリウムを検出したと発表した。』

現在、元素は原子番号1番の水素(H)から原子番号118番のウンウンオクチウム( Uuo )まで、約120種が存在、或いはその存在を予測されています。

その中で、94番のプルトニウム以降のものは殆んどその名を聞く機会がありません。周期表の中でしかお目にかかることはないと思っていました。そんな、原子番号95番アメリシウムと原子番号96番キュリウムが現実にそこにある・・・という驚き。そして、それが人類の作為による産物なのだという事実。

不思議な感慨を持たせるニュースでした。

2011年6月14日火曜日

練習態度

サッカーの宇佐美選手がU22代表からもれたというニュースがありました。

『日本サッカー協会関係者によれば、3月のウズベキスタン戦などで招集実績があるものの、練習態度や試合で途中交代を命じられた際の態度などを首脳陣が問題視したため、今回はメンバー外となったという。それでも宇佐美は「仕方ないです。ロンドン五輪も大事だし、しっかり勝ってもらえれば(再招集の)チャンスはある」と淡々と受け止めた。
』(スポニチ)

ことの詳細や事実関係を知らないのでなんともいえないのですが、上の記事だけで判断するとしょうがないことかなと思います。彼に圧倒的パワーがあればそれでも選出されるのでしょうし、そうでなければ、この社会の常識を学ぶ良い機会かもしれません。 

残念なことにこんな簡単なことが分かっていない若者が沢山いることです。『練習態度が悪くて、試合に使うわけないだろ』という当たり前のことが分かっていないのです。

もっとも競技によっては事情が違ってきます。陸上の世界選手権日本代表を選ぶ大会の様子をTVでやっていました。女子100メートルはとても見ごたえのあるものでした。そして、100mを中心にした短距離の選手たちは昔から他のどのスポーツよりも個性派ぞろいです。彼らは自分の力だけを信じてスタートラインに着きます。集団スポーツの選手や同じ陸上でも長距離の選手とはかなり異なった個性です。そこは自分の力以外のものが入り込む余地がとても少ない世界です。練習態度云々と言われることは他の競技よりずっと少ないはずです。その分結果が厳しすぎるほど明確に出る自己責任の世界でもあります。

2011年6月9日木曜日

少し前の話題ですが、元巨人の桑田真澄氏がプロゴルフトーナメントの富士カントリー可児クラブチャレンジカップに主催者推薦で出場しました。
野球では説明不要の活躍をみせた桑田氏のゴルフ転向とあって大きな期待が寄せられましたが、結果はプロの壁に阻まれるほろ苦いデビューとなりました。


同氏は試合後のインタビューにて、プロゴルフの厳しさを語りつつも
「スポーツをやる人はあきらめちゃいけない。」
「2日連続のKOで目標の80にも及ばなかったけど、また挑戦したい。」
とコメントし、その後実弟でプロゴルファーの桑田泉氏の指導を受けていたそうです。


スポーツをする人はあきらめちゃいけない。カッコイイですねぇ。
他の分野だって同様です。また暑い時期が近づいて来ました。
来たる模試の前に、我々も覚えておきましょう。
「受験する人はあきらめちゃいけない。」
「指導する人はあきらめちゃいけない。」

2011年6月7日火曜日

移行措置

中間テストが各中学で少しずつずれている為、今月はずっとテスト対策の補習をしています。しかも、英検や漢検がこの時期に重なり、人によってはかなりハードなスケジュールをこなさなければなりません。

さて、新しい指導要領に向けて、移行措置の分野が理科・数学を中心に中学のテストに戻ってきました。最も大きな変更は理科です。今回の中3理科のテストでは力の合成・動滑車や斜面での仕事・イオンの知識を前提とした電気分解・中和反応・遺伝といった部分がほぼ全部移行措置です。

昨年までの古い教材ではそうした問題が載っておらず、殆んど対応できません。といって20年も前のものはもっともっと難しくて使い物になりません。この間の10数年は『失われた10年』とも言うべきものです。

ゆとり教育に関してはその役割もあったはずで、デメリットばかりでなく、メリットもあったと思うのですがその反省と評価をきく機会がありません。当時の文部官僚は今どう考えているのでしょうか。

イオンという知識がなく、レモンで作った電池で電球がつくことを教える。そんな馬鹿げた理科があったことを忘れないようにしたいと思います。

2011年6月3日金曜日

濃度

濃度が分からないという中学生に濃度を教えました。

やっているうちに濃度ではなく、割合が分かっていないのだということに気づきます。5%の食塩水でも、5%の消費税でも同じ困難が存在しています。小学校の算数でこの辺りの学習が十分でなかったのでしょう。

中学受験する子にとって割合は最も重要かつ難解な部分です。この部分の学習に多くの時間を割きます。その結果、難関中学の生徒の多くは、割合を得意としています。一方、公立に進む子にとってはほんの上澄みをさらっただけで終わってしまいます。消費税が10%に上がるという議論があってもその具体的なイメージが持てません。

もっともこれを小学校教育、あるいはゆとり教育のせいだけにするのは片手落ちです。
 ・基礎の基礎ですが、200円の6%はという質問に200×0.06と直ぐにやれても。
 ・同様に基礎の基礎です。200円は持っているお金の6%です。いくら持っていますか?という問いに 200÷0.06 と即座にやれる大人も案外少ないからです。

公教育の衰退は社会の仕組みや内実を理解できない多くの大人を作り出していくことになります。そして、一部の仕組みを理解できる人たちだけがこの国を動かしていくことになりかねません。

それは決して望ましい未来ではないはずです。私たちは学ばなければならないのです。

2011年6月2日木曜日

日本語の助動詞

先週中学3年生に国語の授業をしていました。
テスト範囲に助動詞があったので、復習で問題を解かせていたのですが、あまりにもみんなできないので、もう一度助動詞について説明をしたのです。

突然ですが、問題を一つ。


例題)以下の文章の助動詞を3つ答えなさい

私にはとてもそんなことは信じられません。



さて、この文章には助動詞が3つ含まれているのですが、分かりますか?

僕は中学時代、正直国語の文法は苦手でした。
上の例題ももしかしたら解けなかったかもしれません。

ですが、中学生にいかに分かりやすく教えるかを考えているうちに自分でも理解できました。

そもそも、助動詞というのは言葉のとおり動詞を助けるものなので、動詞(用言)に含まれます。
例文で言うと、「信じられません。」が動詞(用言)ですよね。
この中に3つ助動詞があるわけです。

先に正解を言うと、「られ」、「ませ」、「ん」、の3つです。

この3つの言葉は元々の動詞である、「信じる」を助けています。
まとめてしまうと分かりづらいので、一つ一つ説明してみます。

信じる + られ(可能)  =  信じられる
信じる + ます(丁寧)  =  信じます
信じる + ない(否定・打消)  =  信じない

こう考えると分かりやすいですよね。
それぞれの助動詞が意味を付加していることが分かります。

信じられる  +  ます(丁寧)    =  信じられます
信じます   + ない(否定・打消)  =  信じません
信じない   +   られ(可能)    =  信じられない

信じられます + ない(否定・打消)  =  信じられません
信じません   +    られ(可能)  =  信じられません
信じられない  +   ます(丁寧)   =  信じられません


こういったことを黒板に書いて、初めて自分の頭も整理されました。

日本語でも文法を改めて考えると、それほど深く考えずに使っていますよね。
これが英語になったらどうなるか、と。

文法って本来は言葉を覚えるための先人の知恵だったと思うのです。
明治維新の後に英語を勉強しなければならない状況になって、最初は当然、文法なんていうまとまったものはなく、ひたすら英語の文章を読んだと思うのです。

そのなかで、「ん、このcanってのは動詞の前にくっついて、”可能”の意味を与えているなぁ」とか、「どうも”to”に動詞がくっつくと動詞じゃない役割を果たすようになっているなぁ」とか、傾向に気づいた人がいるはずなのです。

で、それを英語をマスターするための近道として、文法としてまとめた人がいる、と。

日本語だって、文法を改めて見てみると、「そんなに意識して使っていないよ~。なんとなくなんだけど。」と思うことがあると思うのです。
言われてみて、そういえばそうだなぁと思うとか。

そういう意味でいくと、本来は英語を読んだり話したりするための近道としての文法だったはずが、文法を覚えることが目的となってしまったことに問題があるのかもしれないですねぇ。
だって日本語にしたって、文法から覚えさせられたらなかなか話せないですよ、それは。


なんてことを、国語の助動詞を教えたあとに思ったわけでした。

なんか脱線したままですけど、この辺で。。(笑)

2011年6月1日水曜日

時事問題

中間テストのための時事問題を考えています。

前回のテストは新燃岳噴火の直後でした。したがって、その後の時事問題を集めることになります。北アフリカ諸国で始まった反体制運動。オサマビンラディン殺害。府川事件無罪判決。京都大学入試でカンニング。ユッケによる食中毒。ロイヤルウェディング。アメリカの竜巻。その他、いろいろありました。しかし、その全てが、今回の東北大震災と福島第一原発の前に小さな出来事のように感じてしまいます。

今回のことで私の中の価値観の一部が変化したのかもしれません。震災の被害を直接被った人たちは言うに及ばず、そうでない多くの日本人の中でもある種の傷跡が残ったように思えます。

2011年5月30日月曜日

閾値

100均で刺身のつまをつくる道具を発見しました。こうしたものはたいてい買って後悔することが多いのですが、誘惑に負けてしまいました。もうひとつ、どんなゆで卵も簡単に殻がむける道具も売っていて、欲しかったのですが我慢しました。

早速、スーパーに大根を買いに行きました。するとすぐ横に大きな白菜が特価でかなり安く販売されています。ふと目をやると(茨城産)と書いてあります。『うーむ。そうか』と唸ってしまいます。

風評被害の影響は大きいのでしょう。私のような無神経な人間でもちょっと産地を気にしてしまいます。問題はこの件に関してデータがはっきりしないということです。信頼に足るものかどうか。特に、小さな子供を抱える親にとっては気になるところでしょう。

~以下は安全というときの境目の値を閾値(いきち・スレショルド)と言います。仮に、10ミリシーベルトが閾値だとして、それ以下は問題が無いというとき、
 ①10ミリ以下は0ミリと同様ということで、全く何の影響も無いと言うことか。
 ②何かの影響はあるがそれは健康に意味のある影響ではないと言うことなのか。
 ③現在の医学ではその影響を判断し得ない程度の量と言うことなのか。
 ④その他。いろいろな謎が残ります。

何れにせよ。データーを正しく開示することが重要でそれが気になります。

さて、その日。大根を買って帰り、つまを作ってみました。これは使える!うれしい発見です。

後は目的も無く買った大きな白菜をどうするかです。

2011年5月27日金曜日

恐怖の五人組

中3数学で5人一組になり、展開と因数分解のプリント2枚を、全員が正解になるまで繰り返す授業をしました。名付けて『恐怖の五人組』。ほんのちょっとした間違えでもやり直しますから、なかなか終わりません。6回目(つまり12枚のプリント)でやっと終了でした。きちんとした計算ができるように考えたのですが、効果や如何に?。

他にも、『涙のトライアスロン』・・・英語・数学・国語3教科のプリントが全部正解になるまで繰り返す。『いけない千本ノック』・・・間違えた計算、単語、文章を1000回(実際は10回)やりなおす。『帰れまテン』これはよくやっています。9時半の授業終了が10時になる。

などなど。めじろおしです。

ケアレスミスを減らすには本人の自覚が最も重要です。にも拘らず案外簡単に考えるいる人が多いようです。簡単なことでもきちんとやる。昔の日本人にはそれがありました。それが、この国の技術を支えてきたのです。長野の冬季オリンピックのとき、国旗や、国歌の間違えがありました。『あれっ?日本も変わったな』と思いました。その前の札幌オリンピックは全てが完璧に処理できていたからです。考えようによっては日本も国際基準になったということですが、我が国の製品の信頼性に陰りが見えてきたのもそのころからです。

2011年5月22日日曜日

けちな勉強

私が「けちな勉強」と呼ぶのは次のような場合です。

①テストに出ないものは学ばない。
②学校でやっていないものはやらない。

 「それはテストに出ますか?」という質問をする生徒は決まっています。そうした質問をする生徒は熱心に勉強していても、ある程度以上の成績をあげることはあまりありません。英語、数学、国語、理科、社会。どれをとっても、表に出ている部分ではない背景の深みのようなもの(まさにバックボーン)が高得点の素地になっているのです。テストに出るかどうかで、勉強を振り分けていると、痩せた大地に作物を作っているように、やがて枯れるか小さな果実しか実りません。「それは学校でやっていません」といって、学習を限定する人も同様です。

 問題はそうした子達の中に、成績を上げようとするあまり、けちな勉強になってしまう人がいることです。テスト直前では仕方のないことですが、普段はもっとふくらみを持った勉強を心がけたいものです。

 畑を耕しておけば、大きな果実も期待できます。

2011年5月20日金曜日

必要条件と十分条件

長くやっていても授業が上手く行かないことが度々あります。特に、テストが近づいてくるとそうです。こちらの焦りが授業に出てしまうのかもしれません。あれもしたい、これもしたいという思いが空回りしてしまいます。

帰りの車の中で、いつも反省をすることになります。今日の反省は授業を急ぎすぎたこと。来月早々のテストに備えて、やっておかなければならない項目を予定通り消化できなかったことです。長くやっていますから、テストに何が出るか熟知しています。何を身につけ、何を捨てるか良く分かっているつもりです。そのすべきことが十分にできていないと、知らず知らずに授業が乱れます。それが出てしまいました。

どう急いだところで、生徒の方は、理解できる速度以上に早く理解できるわけではない。という、至極当たり前のことを忘れてしまいました。といっても、テストに出ることが自明な事柄が十分に身についていない生徒を目の当たりにすると、勿論、穏やかではいられません。

十分ではないが、身に着くことのみを教えるか。身に着かない恐れもあるが、十分なことを教えるか。悩ましいところです。

2011年5月19日木曜日

人間力

勉強は人間力だな。と思うようになりました。

学力の低い生徒は数時間の勉強をきちんとすることができません。一時間経たないうちに、だれてきて、姿勢が完全に崩れてしまいます。メルトダウンしています。これは、年齢とは関係なく、大学生でも、大学院生でも同じです。学力のない大学院生というのも変ですが、そんな院生も沢山います。10年位前までは、勉強ができなくとも、一生懸命頑張るという生徒はある割合でいました。『お前は勉強は得意じゃないけど、ちゃんと頑張れる人間だから、それを忘れるな。きっと、それが実を結ぶはずだから』と言える子供が沢山いました。残念ならが、最近はずっと少なくなりました。殆んどいなくなったとも感じます。

一方、学力の高い生徒でメルトダウンしているものは皆無です。

今日は1時からテスト対策で、数名の高校生が補習に来ていました。7時近くまで、数学の授業をし、その6時間に及ぶ補習の後、9時まで自習して帰っていきました。その間、手を抜く瞬間は全くありません。

この差が何なのか。ずっと考えています。勉強が好きだとか、楽しいとか、逆に勉強の楽しさを知らないからとか、そういうものとは関係のない何かの理由があるのです。それは個々に特有な理由だけではなく、社会病理的もののようにも思います。そうでなければ説明がつかないほど、一般的だからです。

頭ではなく、心へのアプローチが急務なのですが・・・

2011年5月15日日曜日

もう、30歳になった数名の教え子が塾を訪ねてくれました。
彼らが高校のときに、数学を教えていました。

そのうちの一人は生まれて8ヶ月の子供を連れてきていました。案の定、私の顔を見ると今にも泣きそうになり、いろいろあやしたのですが、最後は泣かれてしまいました。

一通り、近況を話したとき、『学校へ行くようになったら、お願いします』と言われました。
一瞬『この子が中学になるとき、俺は・・・』と年齢の計算をし、『大丈夫、まだ生きてる』と答えました。

NHKで90歳を過ぎた灘高校の元国語教師のドキュメンタリーをやっていました。彼は今や日本最難関高校になった灘高がまだ有名になる前から教壇に立っていた人です。一年間にたった一冊の本を読むそんな授業をしていたそうです。

その90歳の誕生日を祝う集まりには東大学長を含む、そうそうたる教え子が集まっていました。壇上に立った元国語教師はこう言ったのです。
『今の私の夢は、もう一度灘高の教壇にたって、国語の授業をすることです』と。
『おーっ』という歓声とともに、割れんばかりの拍手が会場を包みました。

心に鉄槌を打ち込まれた感じがしました。

2011年5月7日土曜日

手早く、正確に

たまには授業のお話でも。
昨日の中学3年生の授業で、式の展開の早解きを行いました。
これは多すぎず少なすぎない適当量の問題を、比較的厳しめな時間内で解ききること(無論正解率も重要)を目的としました。
つまりテストで出来る問題を落とさず、手早く処理する力を体得しようということです。


具体的には
(x + 5)(x - 3)を展開せよ
の様な問題を18問、一題8秒計算で2分24秒以内に解くというもので、3ミス以上は不合格で再試験、合格者はその間単語の勉強をして良いというルールでした。
(ちなみに再試験も不合格だと間違った部分が全て宿題になる)


今回は単元別だったので、全く話にならない様な子は出ませんでした。
どうやら基礎の基礎はしっかりと出来上がっている様です。
中間テスト前までに単元が混合された問題でもサラサラと解ける様に鍛えていきたいと思っています。
・・・尚、この作業中に
「こんなの終わる訳ないよ~」
「4問間違いまでにしない?」
「先生はこんな酷い人ではなかった」
「あの頃の先生を返してくれ」
等々、甘ったれた愚痴が大量発生していたので、そこら辺も鍛えていきたい所存です。

2011年5月6日金曜日

マーフィーの法則

10年以上も前だと思いますが、『マーフィーの法則』という本が話題になったことがあります。皮肉とユーモアに満ちた短い文章を集めた本でした。買ったとき、ペラペラとめくったまま読んでいませんでした。連休中に要らない本の処分をしようとしていて、ふと手にしました。最初の一行は、

マーフィーの法則: 失敗する可能性のあるものは失敗する。   以下

ベネディクトの原理: 自然はいつも隠れた欠陥に味方する。

露見の法則: 隠れた欠陥は必ず表面化する。

ガンパーソンの法則: 起きて欲しくないことほどよく起こる。

ソッドの第2法則:遅かれ早かれ、最悪の状況は必ず起こる。

ザイマージの発展的システム力学の法則: 一度ミミズの缶を開けてしまったら、それを入れるには、もっと大きな缶を使うしかない。(ミミズの缶・・・釣りえのミミズが入った缶)

うーむ。

2011年5月3日火曜日

少年Nと悠々館⑤



2年生時の夏の大会は1回戦敗退でした。
スコアラーを務めた背番号19は大して日向に当たる事無く、一つの夏を終えました。
試合自体は延長までもつれ、Nのチームはスコアリングポジションに何度もランナーを置きながらあと一本が出ず、最後は点を取られて負けてしまいました。
今にして思えば優しい校風が悪く作用してしまった典型であったなと思います。


7月の終わり頃、つまり代が変わった直後についてはあまり記憶がありません(特に勉強)。
打撃の調子が良かったことや自宅に友人を招いていたことは記憶しているのですが。
恐らく夏休みに入ってしまい、学習に対し確固たる野望(目標)を持たなかったことが原因でしょう。


ひとつだけ鮮明に覚えていることは、夏の70本ノック。
二人一組で70本取れば終わりというルールだったのですが、ノックの球は左右に振られる形式でしたので中々終わりませんでした。
監督には何度も「もっと腕を伸ばせ!」と言われました。
その度に(一杯一杯なんだけどなぁ。)と思っていました。


終盤に差し掛かった頃、絶妙な位置にボールが打たれます。
Nは無理そうだと思いながら、しかし懸命にボールへ向かいました。


パシッ
(えっ?)
「そうだ!それだ!!」


届いた。驚きが全身を駆け巡りました。
そして守備範囲とはこのようにして広がるのだと理解したのでした。

2011年5月1日日曜日

悠々会 報告

朋あり遠方より来る、亦楽しからずや

出典の意味とはかなり異なりますが、今回の悠々会は沢山の出席がありました。
夕方5時頃電話があり、『今日行こうと思うのですが、何時までやっていますか?』とY君からの電話でした。『今どこ?』と尋ねると、『姫路』とのこと。新幹線で駆けつけてくれました。彼は社会人一年生ですが、新大学生も多数出席があり、皆元気そうで本当にうれしく思いました。

どうもありがとう。

2011年4月28日木曜日

悠々会のお知らせ

本日4月28日の21:30より悠々会を行います。
時間のある方は気軽に顔を出してください。

2011年4月27日水曜日

カリスマと民主主義

 20世紀までは天才の時代でした。ニュートン、アインシュタイン、エジソン、マルクス、キュリー夫人、ケインズ、ドストエフスキー、ポアンカレ、ナイチンゲール ・・・・・ 小学校の図書館にある偉人伝には彼らがどれだけ優れた人であるかがいやというほど書いてありました。

かつての伝記は『彼が(彼女が)如何に天才であるか』を書き、 
そして、現在は『彼が(彼女が)如何に普通の人であるか』を書きます。

 それは、天才がいなくなったということではなく、個人のレベルで、民主主義が育まれたことと関係があるように思います。『彼ら天才も、我々凡人と同じ人間なのだ』という確信です。

 避難所を慰問した皇族が床に膝まづいて話しかけているのに、あぐらをかいて対応している被災者がいることに対して、あちこちで批判が出ています。私の年齢では、皇族でなくとも、目上の人が話しかけてきたら、あぐらではまずいと感じますが、これも民主主義の成果かもしれません。
避難所を訪れた首相に対しても同様なことが起こっています。

 ここ数代、日本の指導者は大変不評です。今度の震災でもっと強い指導力を発揮してほしいという声が大きくなっています。カリスマ性を持った指導者を望んでいる人も多いようです。しかし、一方で民主主義は強力なリーダーシップとは無縁のものです。世界に目を転じても、エジプトのムバラク前大統領。リビアのカダフィ大佐。カリスマの失脚が相次いでいます。民主化のうねりの中で、カリスマのマスクが剥がされているのです。

 21世紀になり、私たちは個人の価値の尊重と引き換えに、英雄喪失の時代を生きていることになります。

連休中の休みについて

4月29日(金・祝日)、5月3日(火・祝日)は授業はありません。
5月4日(水・祝日)は通常通りの授業を行ないます。
5月5日(木・祝日)は5時からの小学生の授業は他の日に振り替えます。7時からの授業は通常通り行ないます。

2011年4月25日月曜日

パラダイムシフト

今度の震災で人生が変わってしまった沢山の大人、そして、沢山の子供がいます。そして、日本全体・いや世界全体では人生そのものではなくとも、人生観が変わった多くの人がいるはずです。

エイモリー・ロビンズの著書『ソフトエネルギーパス』が話題になったのはもうどのくらい前になるのでしょうか?日本でもかなり話題になりました。以下のようなものです。

 『イギリスの物理学者エモリー・B・ロビンズにより、1976 年に提唱された概念。エネルギー需要の質と量を検討し、その最終用途での利用効率を高めるようなエネルギー供給体系を追求することが柱となる。そのためには化石燃料資源を効率よく利用しつつ、太陽光・熱、風力,水力などの再生可能な自然のエネルギーを、利用地点付近で需要の質と規模に合わせて分散的に自然界から得ることが必要となる。その技術は環境に対して穏やかであり、コスト的にも引き合うと考えられる。さらに、誰にもその技術を理解でき実施できる特性があり、自由で多様な社会を築くことに貢献できる。(牛山泉「エネルギー工学と産業社会」(財)放送大学教育振興会抜粋)』

火力・原子力といった硬直した(ハードな)エネルギーから、分散的な(ソフト)エネルギーに変えていくという考えの最も初期のものだと思います。

こうした大きな変化(ハード・エネルギーからソフト・エネルギーへの変化)にはある種の考え方(人生観)の変化が伴います。ただたんに、原子力を風力に変えようというものではありません。『どのように生きていくか?』という原初的な考えが密接に関係しています。そうした、考え方の変化を伴うような思惟をパラダイム・シフトと呼びます。

東北・北関東地方にはそうしたパラダイム・シフトを体現した多くの若者・子供がいるはずです。彼らは私たち2011年の大人が持つ主流の価値とは異なった価値を持つはずです。大変不謹慎な言い方ですが、彼らはそのことによって、厳しい現実を乗り越えながら、新しい価値観を持った世界を作り上げるのではないか?そんな期待を持っています。卒業式や入学式で流した涙がその分だけ彼らを大きく育てていく、そう願っています。がんばれ!

2011年4月24日日曜日

限界とは何か



「もう駄目だ~ってなってからが本当の勝負なんです。」


悠々館OBであり、僕の高校の後輩である人の言葉です。
これは筋力トレーニングに対する彼の見解です。
当然な事の様に思うかも知れませんが、僕にとっては雷が落ちた様な衝撃をもたらした一言でした。


素振り・毎日の単語・ランニング等、日課(又は週周期の課題)を持っている人は多いと思います。
毎日30回素振りをする。毎日60個単語を進める。週に2日は走るといった具合に目標を定める人もいれば、○○時間や納得するまでといった決め方をしている人もいるでしょう。


しかし、思い返せばこの課題はどうやって決まったのでしょう?
続けられる範囲?何となく?自分の一日の限界と思われる所?
この課題は今の自分にとって本当にベストな内容なのでしょうか。段々と課題をこなす自分に満足していて、手段だったノルマが目的にすり替わってしまっている事もよくある話です。


今の課題にほんの少しだけ、+αをしてみて下さい。
出来る自分に気付くと共に、ググッと力も伸びるはずです。

2011年4月21日木曜日

中学生に読書の面白さを伝えられたかな

先週の授業中に一人の生徒に一冊の本を勧めました。

5年ほど前、読書を始めて間もない頃に出会って、今でも何度も読み返している大好きな本です。
内容は難しくなく、中学生が読んでも十分理解できる内容なので、読ませてみたいなぁと思ったのです。

その生徒は自分でも「読書をしない」と言っていたのですが、ちょっとだけ内容を紹介したら興味を持ってくれて、読んでみたいと言ってくれました。
で、一週間経って、今日の授業中に「本読んだ?」と聞いたのですが、半分くらい読んだところでお母さんに、「何読んでるの?ちょっと読ませて。」と言われて取られちゃったそうです。(笑)
その生徒曰く、学校の朝の授業で読書の時間があるそうで、その時間に読みたかったそうなのですが。

でも半分くらいは読んだそうなので、内容を話しながら、「道路清掃人の話、面白いよね〜」とか、「あの話は読んだ?」とか話せて盛り上がりました。
ちょうど今日の授業は面接だったので。

その中学生の生徒とも、小学校の時の読書感想文は本当に良くないよねという話をしました。
あれってほんとに「本嫌い」を醸成していると思うんですよ。
僕も嫌で嫌で仕方が無くて、そのトラウマから抜け出すまで長いことかかりましたからねぇ。

そんな話をしながら、じゃぁもう一冊貸してあげるね、と言って「16歳の教科書2」を貸しました。
綾戸智絵さんとか、サイゼリアの創業者の話で、彼らの体験談を語りかけてくれるような本なので読みやすいし、とても心に響く内容が多いので、きっと気に入ってくれると思います。

多分、僕が1、2年かけて勉強を教えること以上に、今回読書の面白さを教えられたことの方が、その生徒の人生にとって、とてもいい経験をさせてあげられたんじゃないかなと思います。
縁あって、今その生徒に勉強を教えているわけですが、学校を卒業してからの長い人生、その生徒は成長し続けて行かなければいけないですし、そうあってほしいと想っています。
そういったことを考えると、今数学を教えることよりも、その生徒が今後の人生の支えとなるような一冊と出会える可能性を与えてあげられたことの方が意味のあることなんじゃないかと思うのです。
早いうちに本嫌いを治してあげられたなら、僕も嬉しいなぁ、と。

しかし、お母さんに本を取られちゃったってのは面白い話だったなぁ。
そのお母さんとも話してみたいわ〜。
今日貸した本もまた取られちゃったりして。(笑)

来週の授業でその本の感想を聞くのが今から楽しみです。

ちなみに、その中学生に貸した本は、下の「新・自分を磨く方法」です。
大人が読んでも楽しめる、僕の中ではとてもおすすめの自己啓発系の本です。

新・自分を磨く方法
新自分を磨く方法

新自分を磨く方法
価格:1,365円(税込、送料込)


16歳の教科書2
16歳の教科書(2)

16歳の教科書(2)
価格:880円(税込、送料込)

上下・左右

3x=5 を解かせると x=5分の3 としてしまう人がいます。しっかり理由を説明して、x=3分の5であることを理解させると、しばらくの間(人によりますが、その日だったり、数日だったり、半年だったりします)は正しくできるのですが、また、もとに戻ってしまうことがあります。間違いを意識しているうちは大丈夫なのですが、意識しなくなると、また逆になってしまうようです。

これは数学を理解しているかどうかというレヴェルのことではなく、もう少し感覚的なものに関係しているようです。繰り返し練習して体に馴染ませたとして、数年後にまた元に戻っているというケースもあります。案外厄介なのです。

同様なことは英語でも起こります。中一でまだ英語を習い始めたばかりのとき、bag  を dag  とする間違いです。これは上下ではなく左右の問題です。数学と同じように間違えを指摘し、練習させることで減ってきますが、これもなかなか治らない場合があります。数ヶ月たって、もう大丈夫かなと思った頃、book  を dook と書いたりすることがあります。

さて、良く耳にする『鏡では上下はそのままなのに、なぜ左右は逆になるの』という疑問です。その答えは『上下は勿論、左右も逆になっていない』です。右の手のひらに『右』という字を書いて鏡の前に立てば右手の側に右手があります。左右は逆になっていません。といって、それが感覚的に納得できるかというとそれはまた別の問題です。

ある夫婦の会話です。妻が運転をし夫が後部座席でビールを飲みながら道の指示をしています。
夫『次右ね』
妻『分かってるわよ』 ビールを飲みながら繰り返し出される指示にいささか苛立っています。
夫『次の角だよ。右。右』
妻『もう・・・・しつこいわね。右でしょう』と言いながら、ハンドルを左に切っています。車は当然左に曲がり・・・・
夫『おい、左に行ってるよ』
妻『うるさいわね。自分で運転したら』
良くある話です。

2011年4月13日水曜日

人のふり見て

バス停でバスを待っている時に、ある張り紙を見つけました。そこには
"○△大学の皆さん、マナーを守ってバスを使いましょう。"
との注意文が書いてありました。
僕は「何か素行が問題になったのかな?」となんとなく想像していました。


バスが来て、先頭の僕から順に乗り込みます。
すると後ろの人が口々に
「お願いします。」
「こんにちは。」
「こんばんは。」
「よろしくお願いします。」
と運転手に挨拶を交わしながら乗り込んできました。
恐らくですが、彼らは皆○△大学の学生さん達でしょう。


"マナーを守ってバスを使いましょう。"
一段上のマナーをさらりと言ってのける民度が、そこにありました。

2011年4月12日火曜日

4月に入り、あれほど寒かった気候は一気に春めいて来ました。
花粉症の方にとっては何も嬉しくない季節だと思います(そういう僕も軽度の花粉症持ちで、今も目がかゆいです)。しかし、僕はこの春の陽気が一番好きです。


並木道を歩いていた時、そこには桜の木が点在していました。
青々とした緑の葉を蓄え始めた木々の中に映える桜色は真に見事で、彼らを桃色・ピンク色等と表現しては失礼に当たる様な気がしたほどです。


その時、ふと桜について考えました。
彼らは1年の内のわずか1週間ほどしかその輝きを見せず、その他の期間は他の木々と同様に緑の葉を蓄えます。事実、5月に入れば誰も関心を持たないでしょう。
そんな刹那の代物であるにも関わらず、今も昔も桜の木は春のシンボルとして、各学校や大きな公園にはほとんど必ず植えられています。


このメリハリ、春に咲くタイミング、桜色のアイデンティティ。
まさにブランドだ。そう思いました。

2011年4月10日日曜日

人生の禍福あざなえる縄の如し

 3・11の震災から一と月になりました。あまりに強烈な出来事でその前のことをがかすんでしまいました。

 新燃岳の噴火はどうなっているのでしょう。駐日アメリカ大使が沖縄県知事に謝罪というのもありました。

 3月の初め、以前の塾生から沢山参考書が有るけど必要ですか?と連絡がきました。それを貰いに行くと、やはり塾生だったお姉さんとお父さんがダンボール一杯の本を抱えて出てこられました。本人は東大の3年で地球物理を学んでいるのですが、今、八丈島にいるとのこと。新燃岳のことが頭にあり、『いつか、TVで火山が爆発したり、地震が起こったりすると解説に出てくるかもしれないなあ』と思いながら帰ってきました。

 それから、ほどなくの地震でした。

 新燃岳は意識の中から吹っ飛び、官房長官が駐日アメリカ大使に頭を下げ、援助に対する謝意を表明していました。数日前と主客逆転です。本当に、一寸先は・・・

2011年4月9日土曜日

4月28日(木)悠々会やります。

時間等詳細は追って連絡します。

新入生との授業

新入生との授業はとても楽しい。それが数学であれ、英語であれ、中学生であれ、高校生であれ、とても楽しい。

先日、新高校生に因数分解を教えた。相当優秀なメンバーだったが、彼らが簡単にはできないレベルの因数分解までやった。知恵の輪を外すように、複雑な因数分解には理屈があり、扱い方がある。手順を過たないようにしなければならないし、先を見据えていく洞察を必要ともする。唯の因数分解にも思想がある。それが伝えられたかどうか。いづれにしろ、高校数学の面白さの一端を垣間見せることができたのではないかと・・・

”数学は不公平な学問”で、勉強すればするほど簡単な方法が手に入る。ちょっとできる高校生が5行~6行かけてやっとできるような因数分解が暗算でできたりする。初心者はいつももっとも効率の悪い方法を強いられる。だから、数学嫌いの生徒は直ぐに「めんどくさい」と叫ぶことになる。たくさん勉強して、最強のアイテムを身につけると楽なんだけど。

2011年4月7日木曜日

本日より通常授業再開です。

 街のいたる所で新入生の姿を見かけます。まだ着慣れない制服、新しい鞄、新しい靴。緊張と喜びと期待と不安。様々な感情が入り混じって、その初々しい表情からあふれ出ています。社会全体が一歩前に進みだしたような気がします。少しずつ良い方に向って行きますように。そう願わずにはいられません。

 悠々館も今日から新年度です。真新しいテキストをどんどん汚して使い込んでいきましょう。
”ぼろぼろになればそれが聖書”

2011年4月6日水曜日

4月6日

今年度の授業は明日7日(木)からの開講です。
それに伴い、本日は電話対応が出来ません。申し訳ありません。
ご用の際はこちら(お問い合わせページ)からメール送信にてお願いします。

少年Nと悠々館④

前回までの記事はこちら


数学とはなんと都合の良い科目なのでしょうか。
例えば二次関数の後に三角関数の部分を学習するとします。すると三角関数の序盤の内容は二次関数の二の字も出ないほど独立しています。そして徐々に発展し、両者が絡み合った問題が出てくるわけですが、三角関数の基礎が出来ていれば全く問題なく解く事が出来るようになります。むしろ二次関数も得意になってきたりします。


そんな数学の性もあり、Nは(過去の分野を無視すれば)瞬く間に、数学について不安を覚える事が無くなっていました。学校の先生から出される問題は解けるし、宿題部分にまで手が回る。
あぁ数学は楽しいなぁと、好循環に流されるままに力をつけて行きました。


対して、英語や古典はかなり苦戦しました。
これらの言語は積み重ねが物を言う為、新しい分野だよし頑張ろうとは中々行かないものです。
これまでの単語が、文法が、そして読んできた長文の数が物を言います。特に単語をサボっていた彼は何処から手をつけて良いのか迷い、収集がつかなくなっていました。
『単語や文法が判らない→読めない→続かない→学校は進む』という悪循環を独自に抜け出す事は容易ではありません。そしてまだしばらくは、その循環の中に身を沈める事になります。


そして一番の問題、部活。
季節は初夏の気配漂う6月、夏の甲子園大会予選を控える野球部では背番号発表が行われる時期です。その頃Nは野球部の2年生でした。実力は正直に言って戦力外でしたが、消去法的に背番号19をつける事になりました。
当時の努力量からして当然の処遇だと思っていましたが、若さゆえの非合理といいますか、屈辱を覚えるもそれをバネとする事が出来ませんでした。それよりもこの19番を返上するかどうかという、方向違いな悩みを抱えていました。


光の見えてきた部分と、まるで解決の見えてこない部分。
梅雨の不安定な気候の如く、両者が混在する時期でした。





※念のため、一言。
Nは見掛け上数学が解ける様になっただけで、総合的な数学力がついた訳では全くありません。野球で例えるならとりあえずバッティングは出来る様になったけど、守備は無視しているのでさっぱりという事と同じです。
3年の受験勉強に入った後に、他の分野と比べて数Iの出来が悪い事に気が付きます。

2011年4月4日月曜日

4月4日春期休日です。

本日は授業はありません。4月6日(木)より、新年度授業を開始します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勉強を単純化すると。

①理解する・・・・・>②習熟する・・・・・>③忘れないようにする

ということです。

①に関して、分からないという人は案外いません。塾では分かるところまでやっています。問題はわかったような気になっている。分かったつもりでいる。雑に理解している。そんな場合です。何をするときでも初学者は丁寧に、確実に学ぶことに気を配ります。

② ①で教えられたことを自分でできるようにするには一定量の演習が必要です。このとき、ただ問題をを解く、機械的に問題の処理をするのではなく、自分がやっていることを意識するようにします。大学受験生によく見られるパターンですが、自分のやった問題集(何度も繰り返してやったもの)は解ける(暗記してしまっているので)が、形を変えて出てくると解けなくなる人は視野の狭い、機械的勉強をしている可能性大です。一つの問題が広がりを持つように学習します。

③定期的な復習をしないと必ず忘れます。毎日の勉強の最初に、復習を組み込んでおきます。復習は早ければ早いほど短時間で終わります。後回しにしないようにします。

さあ、新年度です。新鮮な気持ちで勉強開始です。

2011年4月3日日曜日

一歩一歩



毎月少しずつお金を貯めておきなさい。

そうすれば年末にはびっくりする事でしょう、あまりの少なさに。

(アーネスト・ハスキンズ)



昨年の10月頃より記事を書き始めて半年、やっと八木先生の記事数に並びました。

結構書いているつもりが、実際の数はたったの35でしかありません。一月とちょっと書き続ければあっという間に到達する筈の数ですが、この若僧にそんな毎日面白みに富んだネタを送る文才は無く、ハスキンズ氏に満面の笑みを与える結果となってしまっています。



それとは対照的に、授業のワークは滑らかに進むものです。

A4の大きく、終わるのか不安で仕方のない新品のワークも、気がつけば最後のページをめくって「あ、終わりか。」とあっけなく感じてしまう時が来ます。

特に中学英語の話ですが、最近の授業ではそれが顕著です。学習に対して誠実に取り組む生徒のおかげもあり、新学期に向けた予習がドンドンと進んでいきます。読める力は確実についており、それが書ける力に昇華していくと確信しています。


僕は地道な作業が好きなのでこのまま同じ工程を続けたいところですが、それに飽きてくる生徒も出るでしょう。単語テストやまとめのテストなど、クッションを入れる事も大切ですね。

2011年4月1日金曜日

十で神童、十五で才子(さいし)、二十歳過ぎればただの人

僕は15歳の時、現在も心の師(厳しすぎて神の様な感じですが)として君臨する牧師、John Todd氏に出会いました。
彼の著書「自分を鍛える」は非常に厳格で、たるんだ生活部分を、心理を、的確かつ見逃すことなく刺してきます。
今日はその世界を少しだけご紹介しましょう。


『あなたには優れた頭脳と健全な判断力、生き生きとした想像力や幅広く物を見たり考えたりする力があるかもしれない。しかし、確信をもって言うのだが、あなたはおそらく天才ではあるまい。したがって、ひたすら努力せずしては決して人より抜きんでる事は出来ないのだ。』


『人によっては、時間厳守の習慣を身につけると平凡な人間になってしまいはしないかと恐れている。偉大な精神の持ち主が抱く大望としてはあまりにちっぽけなものだし、並はずれた人徳を備えた人間が心を砕くようなことではないのではないか、と考えているらしい。』


『あなたは細切れの時間を使えない、まとまった暇な時間が出来るまで待っているに違いない。現在の環境が大きく変わるのを待っているに違いない。だが、それは大きな心得違いと言うものだ。』


『すぐカッと喧嘩腰になるような人間は放っておけばよい。そういう人間の喧嘩相手は直ぐに見つかる。彼以上に強い者が現れて、あなたよりも上手くやっつけてくれる。口論好きな人間は一生決闘をし続けなければならない。』


(以上『』内著書「自分を鍛える!」より引用)
その他色々ありますが、どれも我々が陥りやすい心の悪魔を浮き出し、払う方法を述べています。是非一度読んでみて下さい。


尚この本を読んだ少年は、その訓示をちょっとだけ取り入れる事が出来たものの、未だに師に叱られ続ける様な生活からは抜け出せないでいます。
少年老い易く、学成り難し。しかし賢者への道は常に在り。
いつでもやり直す事が出来る点が私生活の良い所です。今日から新年度、賢者の道は茨の道なれど、頭使って頑張って行きましょう。

4月1日 春期講習最終日です。予定通りです。

本日で春期講習は終了です。停電はありませんので予定通り行います。 なお、明日の高校数学は通常通りです。

新年度の授業は4月7日(木)からです。

2011年3月31日木曜日

3月31日は予定通りです。

今日も計画停電は実施されません。授業は予定通り行います。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日夕刻、Sさん親子来塾。
大学合格のお礼に塾に足を運んで下さいました。ありがとうございます。
お母さんから「娘にとって塾が心の拠り所になっていたようです」と言って頂きました。身に余る光栄です。「少しだけ役に立てたかな」と思えて、喜びひとしおです。

そう言えば、高校英語の授業にNさんが久々に顔を出しました。難病を患い、この一年入退院を繰り返し、ついには学校も止めることになりました。それでも体調が良いときに、ふと授業に参加してくれます。こちらも月謝を請求する気も無く、元気な顔と勉強の意欲を見せに来てくれればもう十分というところです。

今日で3月も終わり。それぞれのそれぞれの形の新年度が始まります。

2011年3月30日水曜日

3月30日

本日は予定通りの授業を行ないます。



車でラジオを聴いていたら、震災で避難所にいた人の自殺のニュースがありました。記者兼コメンテーターが「自殺は悪だ」という言いかたでそれにコメントをつけていました。「どんなに苦しくても、自殺してはいけない。それは完全悪だ」と。

この件に関し、異論を持っていますが、ここで議論するつもりはありません。

今回の地震で孤児になった子供がたくさんいるはずです。それとは別に親の自殺によって孤児となったたくさんの子供がいます。地震で親を亡くした子供と違って、自殺で孤児となった子供は親の死をどのように受け入れるか、複雑な立場に立つことになります。親の生き方を否定して生きていくのか、親の死を受け入れて生きていくのか。彼らは終生その問題を自らに問いかけて生きていくことになります。ラジオのコメンテーターがそのことを理解するほど繊細な人間でなかったということです。合掌。

2011年3月29日火曜日

生きているということは・・・

本日の計画停電は取りやめです。したがって、授業は予定通り行ないます。

”♪~生きているということは~誰かに借りを作ること~
生きていると~言う~ことは~誰かに~その借りを返すこと~” (永六輔)

 インドを旅しているとき、人から小銭をもらうことが度々あった。最初に体験したのはニューデリー空港を一歩出たときだった。公衆電話を使おうとして、近くにいる同年代の若者にいくらで電話がかけれるか聞いた。彼は黙ってポケットから小銭を出し、使えと言う。
 それを使って電話をかけ終わると、小銭より少し高額の紙幣を返そうとした。彼は首を横に振って受け取りを拒んだ。そして「次は、君がその金を誰かのために使ってくれ」と言った。やせ細った浅黒い肢体と精悍な目、そして、破れた靴から指が出ていた。

”♪~生きているということは~誰かに借りを作ること~ ♪~” ぼくは鍋をぶら下げた大きなリュックを担いで、オールドデリーの街中に安宿を探しに出かけた。

2011年3月28日月曜日

本日の授業

3月28日(月)の授業は全クラス、平常通り行います。

2011年3月27日日曜日

3月28日

3時からの授業、5時からの授業は行ないます。
7時からの授業は午前中に発表される計画停電の予定によって決定します。

計画停電が最初に行なわれた日、おやっと思うことがありました。停電を実行した地域に静岡県と山梨県が入っていたからです。静岡県は中部電力だと思い込んでいたからです。そういえば、50Hzと60Hzの境界は静岡県の半ばにあります。それが境目なのでしょうか?

中3理科でやる等速直線運動で使う1秒間に50打点する記録タイマー。関西の中学生は1秒間に60打点でやっているはずです。今塾で使っている問題集の問題は50打点もものばかりなのですが、静岡以西の中学生は60打点の問題をやっているのかちょっと知りたくなりました。

覚醒

新年に一族が集まって食事をしていた時、26歳の従兄弟が一言。
「この歳になってやっと真面目に努力する事を知ったよ。」
社会に出て必死に勉強して力を付けていく同期を見て触発されたそうで、今の日々は忙しいけれども、目的意識があり充実しているとのことです。


これは僕の個人的な理論ですが、人は「環境に対して自己の存在のありかを見つける」事で、劇的に成長を遂げる事が出来ると考えています。これを僕は覚醒と呼んでいます。
そのきっかけは多様で、個人差があります。早い人は小学生や中学生からガンガン伸びていきますし、従兄弟の様に成人してから気付く事もあるでしょう。それは多くの場合、人との出会いや触れ合いがそれを呼び覚ますのではないかと思います。


しかし出会いが人を醒ます時もあれば、出会いが人を眠らせる事もあるのです。
僕が高校に入って直ぐ、将来に対する三者面談がありました。数学も国語も取り立てて得意とは思ってなかった僕は、発音なら比較優位かなと思い「通訳になりたい」と書きました。
すると母や先生は「通訳では食べていけない」「工学(当時は???な語句)系を目指したらどうか」等とまるで英語自体を否定するような物言いでした。
「存在のありか」を見失った僕に、英語に対するモチベーションは残っていませんでした。


出会いが人を変える。素晴らしい事です。
しかし今年もこうして、思慮欠落な大人のエゴにより、ある若者の夢が凍結されてしまうのかなと思うと、悲しいと同時に歯がゆくて仕方がありません。

2011年3月26日土曜日

3月26日通常通りです。

3月26日の授業は通常通りです。
来週から春期講習で通常授業はありません。

計画停電によっては授業時間が変更されます。
計画停電の予定は http://www.tepco.co.jp/images/week_schedule.pdf

2011年3月25日金曜日

3月25日は通常通りです。

計画停電の影響がありませんので、今日は通常とおり行ないます。

東京23区で計画停電が行なわれていないことに、違和感を感じます。国家機関や、日銀や、病院が多いからだという理由だそうですが、国家機関が被災者の痛みを共有しないでどうするのだと思います。そういえば、この時期にドームでナイターをやろうという発想も計画停電の無い地域だからかもしれません。

こうしたことが長く続くと、神奈川県の大学進学実績は東京に大きく水をあけられるれることになりそうです。

2011年3月23日水曜日

3月24日7時からのクラスは授業あります。

7時からのクラスは行ないます。5時からのクラスは休講とします。

3月23日計画停電があります。

3月23日(水)は計画停電が実行されます。授業は全てありません。

2011年3月22日火曜日

リスニングの為のリーディング

英語のリスニングを上達させるためにはたくさん英語を聞くのが良い.
もはや当たり前のことです.

しかし,何度聞いても何度聞いても聞き取れないフレーズってありますよね?

そこで実際に読まれている文を見ると,大抵の場合「なんだ,そう言ってるのか」となる.
そして不思議なことに一回文を見た後では,さっきまでとは打って変わって,
どう聞いても,そうとしか聞こえなくなってしまう.

この疑問の答えを最近見つけました.

「聞き取れないのは発音が分からないからではなく,話す相手の速度が
早すぎるからでもありません.

相手の言っている文を見たことがないからです
自分の知っている文の中に無いからです」

これは「ビッグファットキャットの世界一簡単な英語の本」という書籍からの引用です.
なるほど,もしこの理論が正しいとすると,英語の歌の歌詞カードを見ると
聞き取れなかった英語が聞き取れるようになることも納得できる.

つまり,逆説的ではありますが,リスニングを向上させるためには,
リーディングを徹底的に鍛える必要があるということです.

「日本では中学,高校と6年間にわたって英語を勉強する間,ほとんどの学生は
一冊の英語の本も読み終わりません.極端の場合は大学の四年間を含めても
一冊も英語の本を読了しない可能性さえあります」
※同書籍より引用

ん~.たしかに.

このことを受け,最近ハリーポッターの原書を読み始めました.
読み終わったことをまた報告できるように,がんばります.

ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本



少年Nと悠々館③



とある貸しビルの2階、「あ、ここなの?」という所に悠々館はありました。友人Mが扉を開け一緒に中へ入ると、授業開始を座って待つ少年が直ぐに目に入り、彼もこちらに振り向いてきました。
少年はMを視認するとニカッと人懐っこい笑顔になりました。彼は自分を丸(仮)と名乗るとさっと手を差し伸べてきて、その勢いに飲みこまれていたNは変な愛想笑いと共に握手を交わしていました。


塾長の初対面の印象についてはもう覚えていない(スイマセン…)のですが、初回の授業については深く記憶に残っています。数学の軌跡の授業でした。
Nは当然チンプンカンプンからスタートしていたのですが、"軌跡とはそもそも何をするものなのか"という点について判り易く教えてもらった事をきっかけに解法と呼吸が合い、「なるほどね」と久々に学業に対して真摯に取り組んでいました。終わる頃にはこちらも久しぶりの充足感があり、そこには戸惑いと喜びが混在していました。


授業が終わった後、塾長に「進路はどう考えている?」と聞かれました。Nは
「本当は横国を目指したいですが、MARCHを何とか…」と何故か申し訳なさそうに答えていました。これに対して塾長は
「頑張れば東工だっていけるぞ。これからだよ。」と言います。笑いながらだったら大した記憶にならなかったのですが結構真面目な顔だったので、印象的な一言でした。
"横国飛び越して東工なんて。"内容については半信半疑どころかお伽話にしか聞こえていませんでしたが、そう言ってもらえる事自体が今の彼にとって大切にしたい・すべき出来事だったのです。


新緑の候、爽やかな夜、空へと続く様な直線道路。
遠い雲の上にそびえる大学の門、距離は変わらないけれど、しかしそこに階段を作ってもらった。彼は家路に着きながら、そんな気がしていました。

3月22日通常通りです。

少しずつですが復旧への槌音(つちおと)が聞こえてきました。

この災難の中で、秩序と礼節を忘れず、生きている人たちを立派で誇らしく思います。

3月22日、停電は午前中です。授業は何時ものように行ないます。

2011年3月20日日曜日

3月21日は通常通りです

3月21日(月・祝日)は祝日ですが通常通り授業を行ないます。

この地域の計画停電は午前中ですが、電力消費量によっては夕刻の授業時間帯に停電になる可能性もあります。連絡に注意してください。

東京電力の計画停電はしたのリンクから
http://setsuden.yahoo.co.jp/schedule.html

2011年3月19日土曜日

本日は通常通りです。

本日は通常通りの授業を行ないます。

金曜日に来れなかった高校生は7時から来てください。

2011年3月18日金曜日

3月18日の授業は停電のため休講とします。

本日(18日・金曜)の授業は停電のため休講とします。
振り替えは後日相談の上、日程を決定します。

・・・・・春期・その他の問合せについて・・・・・・
通常の電話受付は7時~9時ですが、本日の電話受付は4時~6時20分までです。
それ以降は停電のため、電話に出ることができません。ご了解ください。

2011年3月17日木曜日

いつも通りやります。

 主著「純粋理性批判」で有名なドイツの哲学者イマニュエル・カントはとても規則正しい人だったようです。ケーニッヒベルグ大学の哲学教授でした。毎日、決まった時間におき、決まった時間に勉強をし、決まった時刻に決まったルートを散歩していました。カントの姿を見て、街の人が時計の時刻を修正したというのは有名な逸話です。そのカントが散歩を忘れたのは、思想家ジャン・ジャック・ルソーの「エミール」を呼んだときだけだということです。

 勉強で重要なことは、淡々とやるべきことをしていくことのようです。特別なこと、良いこと、悪いこと、どのようなことがあっても、毎日ある量の勉強を当然のようにする。そんな生活は私自身の目標でもあります。

 地震、津波、原発。そして、計画停電。いろいろありますが、今日も通常通り授業をします。

3月17日 日程

本日の授業も平常通り行う予定です。
交通にはくれぐれもお気を付けておこし下さい。


何か変更がある場合はこちらに再度掲示しますので、ご確認をよろしくお願いします。

2011年3月16日水曜日

助け合い

東北関東大震災が起きたのは先週の金曜日,午後2時半過ぎでした.

その時僕は東京の大学に居たのですが,最初に「ゆらっ」と来てから
ものすごい揺れを感じました.急いで机の下にもぐりこみました.

棚からは多くのものが崩れ落ち,コンクリートの壁が剥がれ落ちていました.

電車はストップ,結局帰れなくなってしまったので大学に泊まることに.

夜,食料の配給と非常用の毛布が配られ,各自が自分の分を確保し,
研究室で一息ついていると,ドアをノックする音が.

「おや,こんな時間にだれかな?」と思いつつドアを開けてみると,
見知らぬ学生が毛布をたくさん抱えて立っていました.

「下で毛布を配っていたので皆さんにと思いまして...」

僕は心を打たれました.
自分の分を確保して安心していた己は,なんと愚かであったか.

何か,忘れてしまいそうな尊いものを,思い出させられました.

こういう時だからこそ,助け合いが必要です.
自分たちは何ができるのか,考えましょう.


被災地の皆さま,また全ての方のご家族,お知り合いの方々が無事であることを
お祈り申し上げます.











2011年3月15日火曜日

Color

本日は予定されていた停電がなかった為、ビラ配りを行いました。
春めく気候の中で、新入生たちは初々しくも既に高校生の風貌を感じさせた事が印象的です。
これから待ち受ける日々は荒々しく彼らを飲みこみ、あっという間に高校生へ磨き上げていくのでしょう。


僕と同じ場所でビラ配りをする青年がいました。
彼は爽やか且オシャレなイケメンでスーツもピシッと着こなしており、聞けば某大手予備校のアルバイトとのこと。うむむ、強敵。
他方私服で取り組んでいた我々チーム悠々館。配り手にこの違いがどう映っていたのかは判りませんが、個人的にはこの「カッチリしていないけれど取り組みはしっかりと」、そんな当塾の色を大切にしていきたいなと思っています。


実りある学生生活には私生活と学業の両立が鍵です。
その点悠々館の生徒達は皆いつも笑顔で、充実した生活を送っている様です。
講師としてささやかな幸せであるとともに、ちょっとした自慢です。





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悠々館では新規塾生を随時募集しています。
HP左上の電話番号よりお気軽にお問い合わせ下さい。
またメールでのお問い合わせも、下記URLよりお受けしています。

2011年3月13日日曜日

悠々会延期のお知らせ

今回の地震とそれに伴う大津波により、万単位の死者・行方不明者が予想されています。
明日、14日に行なう予定の悠々会を延期し、ささやかながら弔意を表したいと思います。

私自身も仙台に住む学生時代からの親友に連絡がつかない状態です。
何ができるのか、個人的に検討しています。

今回、大学合格者その他、多くの生徒、先生と話せることを楽しみにしていました。次の機会を持ちますのでご了解ください。

今なお、不明の方々、救援を待つ方々の一刻も早い救出を祈りたいと思います。

2011年3月12日土曜日

地震、止むなり、家事、親父

昨日の東北地方太平洋沖地震はここ平塚にも大きな衝撃を与えました。
悠々館では昨日の授業を急遽中止としたのですが、メールの遅延の為一部の生徒がやって来てしまいました。こんな時の為のホームページであるのに、連絡に不備が出てしまい誠に申し訳ありません。
本日は余震も少なくこの辺りは平穏を取り戻しつつありますが、引き続き情報には耳を傾けて節電等の対策に努めましょう。


なお、登校した高校生の生徒とは授業をしました。
しかし塾長は電車の運転見合わせにより小田原に残された息子さんを迎えに車で出てしまったので、昨日は僕が監督を務めました。余談ですがやはり高校数学の指導に携わる事は楽しいですね。


仕事を家事と例えるならば
「地震、止むなり、家事、親父」
塾長、お疲れさまでした。

2011年3月11日金曜日

怠け者

5年ほど前、プランターでゴーヤを作りました。その年は、1本だけ収穫がありました。翌年はつるが30cm程伸びたところで、根元がやせ細り、枯れてしまいました。その次の年も同じでした。「こりゃだめだな」と思い、ここ数年作っていません。

去年、長尾先生からゴーヤをもらいました。それを炒め物にして美味しく食べました。その時、「よし、来年は再挑戦するぞ!」と考えて、種を保存していたのです。

今までは、種を直播きにしていたのですが、今年はちょっと考えました。丸一日水につけ、その後、暗いところで発芽を待ち、それを植えようという、私らしくない壮大で計画的な栽培です。

さて、種を一日水につけ、それをぬらしたティッシュの上に並べ、という作業をしていたときです。TVでアメリカ国務省の日本部長のニュースが流れました。その中に、
「沖縄はゴーヤをたくさん作っていると思われているが、本土の方がずっと生産量が多い。沖縄の人はゴーヤも作れないほど怠け者だ」というものでした。

「えっ。そうだったのか。俺はゴーヤも作れないほどの怠け者だったのか」

なんだか、身につまされるニュースでした。たわわに実る巨大なゴーヤ。怠け者の僕でもできるでしょうか?

合格発表

メールのチェックをすると「今日何時に塾開きますか?」とSさんから。その日は国立大学前期日程の発表でした。「あっ、駄目だったか」と気分が沈みます。数学はそこそこ、化学はばっちりといっていたけど。「う~ん」と唸る以外にすることもありません。

夕方、授業をしていると、そのSさんの声。野地先生と話している。そーっと顔を出すと。
「あっ。先生。受かりました」
「えっ。メールだと・・・」
「ちょっと、おどかそうと思って」
「勘弁してくれよ。気分の沈んだ数時間を返してくれよ」と思いながら、心の中では「やれやれ」です。

センターが終わった日、出来が悪くて「家で号泣した」と言っていました。事実なのでしょう。いつも元気そうにしているけど、その様子が想像できました。翌日、塾で自己採点をしなおすと、今度は得点が数十点増えて、途端に元気になっていました。どんな、自己採点なんだよ! この数ヶ月、彼女にとって浮き沈みの大きな日々でした。

少し遊んで、一段落したら、しっかり勉強するんだよ。

2011年3月9日水曜日

局所的最大値を見極める

昨日、遠出の為に朝5時に起きました。
眠かったのですが電車に乗る時間は早く座れるので、乗る前から平塚-東京間でたっぷり寝てやろうと考えていました。
横一列のシートの右端に陣取り準備完了、と思っていた矢先の茅ケ崎で隣に年配のサラリーマンが座ってきます。朝から随分タバコ臭いなぁと思いつつも、それは特に気になりませんでした。


しかしウトウトしていた藤沢あたりで突然、
「…んごご~。。。」
というノイズに目を覚まします。隣の人がいびきをかいて寝ていました。
僕の場合この様な特徴音は一度気になると止まらず、結局眠れぬまま東京に着き、眠気に不満を加えて集合場所に降り立つ羽目になってしまいました。


こんな時、どうしますか。
僕にはこの「故意ではない妨害」を咎める気になれませんでした。いびきというものが生理的現象(特に花粉の季節だし)であること、咎めると結局僕が寝るか相手が寝るかという話になることを考えると責められる行為ではないなと思ったからです。


今回僕が犯した最大のミスは、寝続けようとした事でしょう。
これはちょうどテストで解けない問題に延々と着手し続けることと同じ様な愚かな行為です。
状況を冷静に見てポジティブに、ベストな行動を心がけたいです。

2011年3月6日日曜日

笑顔が与える印象

僕には本を読む習慣はあるのですが、小説はあまり読まない方です。
しかし小説以外の本についても著者はバラバラです。タイトルのセンスや少し読んだ時のフィーリング等、初対面での第一印象の様な感じで買う本を決めてしまいます。
なのでよくある会話の中の一つである「好きな著者トーク」には全く付いていけず、しばしば自分の嗜好について残念に思います。


第一印象について一例を挙げましょう。
心理学者であるPaul Ekman氏によると、人は初めての人に会った時に笑顔を探す傾向にあり、また30メートル先の笑顔でも認識し、笑顔に対して好意的な印象が湧きやすいといいます。
確かに僕も体験生に授業をする時や初対面の人とチームを組む時は、まず笑顔を探していました。
愛想笑いでない突発的な笑顔が出てくれば僕の勝ち、そうでなければ手段に改善の余地ありというスタンスは互いの距離を把握する一つの手掛かりになり得ます。
同時に、僕自身も笑顔で接することを常に心がけています。


心理的に30メートル離れた物でも、笑顔を見ればグッと距離が縮まります。
おそらく僕の蔵書たちはタイトルと前書きに「笑顔」に見える何かがあったのでしょう。
悠々館のチラシが、ブログが、授業が、皆さんに安心して訪ねていただける、笑顔で語りかける物であるように。
同時に僕らの笑顔が詐欺スマイルだなんて取られぬよう、誠心誠意を忘れずに。

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悠々館では只今中学準備講座を受付中です。
詳細はhttp://www.youyoukan.com/2011/02/blog-post_7971.htmlにて。

2011年3月5日土曜日

悠々会のお知らせ

3月15日(月)の悠々会は8時から開催します。
時間のある人は顔を出してください。

2011年3月4日金曜日

めいめい

ある高校生に「これどういう意味ですか?」と聞かれました。
見てみると each  でした。each を知らないのは高校生としてどうかと思いますが、
 「”めいめい”って意味だよ」と答えると、
 「えっ。めいめい?」とぽかんとした顔をしています。
 「めいめいといっても、山羊の鳴き声じゃないぞ。ほら、めいめいざら(銘々皿)とかさ」
 「はっ?めいめいざら?」
どうやら”銘々皿”は良くなかったようです。そこで、
 「おのおのってことだよ」と言うと、
 「えっ?おのおの?」とやはり通じません。
 「おのおのといっても、金の、銀のとは違うぞ。ほら忠臣蔵で大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が『おのおの方、準備はよろしいか?』とか言うじゃん」
 「えっ?大石・・・?」
どうやら”忠臣蔵”も良くなかったようです。そう言えば、以前は”平行四辺形の対角線はおのおのの中点で交わる”となっていた教科書が”それぞれの中点で交わる”に変わっていることを思い出しました。
 「つまりさ、それぞれのことだよ」
 「なあんだ。初めからそういってくれれば分かったのに」と生徒。
そうだよね。だけどその前に「日本語、話せますか?」って聞いておけばよかった。

悠々会やります

2月14日(月) 悠々会 やります。
時間の詳細は後程。
通常より早く始めたいと思います。

2011年3月3日木曜日

小学のテストから中学の点を予想すると

中学受験をする子供たちは模試の偏差値によって、その学力がどの程度のものか親も子も明確に知っています。一方、公立中学に進学する場合、その子の学力を本人も親もほとんど知らないのが実情です。通常の小学校のテストだけでは学力の判断ができません。問題が易しいからです。極言ですが、「100点をとる」≒「最低限のことができる」なのかもしれません。

そうしたテストを見ているうちに、これで十分な学力があると勘違いしてしまいます。これは、本人も、その家族も、更に学校の先生も。もちろん塾の講師もです。

最近、こんな公式を作りました。簡単なものですが、

     《小学校のテストの点(100点満点です)》 × 0.9 ÷ 2

です。小学校のテストの点は1割引(9割)だとして、この地域の中学のテストが50点満点なので÷2をします。2割引の方が現実に近いような気がしますが、少し甘くしてあります。その分、小数点以下を切り捨てることにします。

小学校で大体90点の生徒は中学では  90×0.9÷2=40・・・内申点3 場合によって4 
小学校で大体80点の生徒は中学では  80×0.9÷2=36・・・内申点3
小学校で大体70点の生徒は中学では  70×0.9÷2=31・・・内申点3 場合によって2

内申点は他の要素が大きいので、大体のところです。2割引だともっと悪くなります。

小学校のときに90点前後とっていれば親としては「うちの子はできる方かな」思います。ただし、2割引きなら中学で90×0.8÷2=36点です。この点はできる生徒の点ではなく、ごく普通のクラス平均程度の点です。「中学になって急に成績が悪くなった」と言われるものの内、かなりのものが実は小学校段階で既にその状態だったと考えられます。

理科総合って?

テスト前日の生徒と化学Ⅱをやりました。硫酸銅・5水和物の析出の問題でした。その生徒は中高一貫校の2年生で、公立高校よりずっと速く進んでいます。

ところが、僕はその同じ問題をもっと早く、公立高校1年のときにやっています。その問題には特別な思い出があってよく覚えていました。

中高一貫校は1学年程度、公立高校より進度が速いと言われています。確かにその通りです。ただし、それは公立高校がその内容を少しずつ減らし、更に『ゆとり』になり決定的に学習内容を減らしたためです。私立一貫校が速くしたのではなく、公立が一年以上遅くしたため、相対的に速くなったわけです。

新指導要領では高校でやる『理科総合』の多くの部分が中学に戻っていきます。そして、中学の延長のような高校の『理科総合』がなくなることになります。理科総合は中学校の理科の多くの部分を高校にまわすためだけにできたような教科です。ゆとりで扱えなくなった部分をまとめて『理科総合』とし、高校にまわしたのでしょう。以前、問題になった、高校での未履修もこの理科総合と無縁ではありませんでした。なくなって当然だと思います。

いったい、この10年~20年は何だったのか?

『失われた10年』は決して経済や文学だけのことではありません。

2011年3月1日火曜日

システムの中での学力

定期テストでの英語の点は良くなくても、高校入試問題になるとずっと高得点を取る人がいます。そのタイプの人は、高校の定期テストが良くなくても、私大入試やセンター試験の英語でも高得点を取ります。ただし、国立の2次では上手く行きません。

その理由は、『書けないけど読める』。そんな勉強をしてきたからです。昔のようにひたすら単語を書いて覚える。そうしたやり方は減ってきました。単語は書かないで覚えたほうが効果的だという考えも増えています。確かに、神奈川県の公立高校を受験し、私大あるいはセンターのみであれば、それで十分かと思えます。

神奈川県の高校入試、私大入試、センター試験。これらの英語の問題の特徴は、解答を選択肢から選ぶことです。単語を書く量は大変少なく、極端な場合、高校入試と大学入試の合計で2~3語しか書かないで合格ということも考えられます。単語が書けなくとも、意味が分かればよいわけです。一方、国立の2次は英作文等、記述の部分が多く、書けないとうまく行きません。

多かれ少なかれ他教科でも同じことは言えます。

コンピュータの利用により、マーク式の秀才という類型ができてきます。私大型、国立型の秀才が現れてきます。学力は多かれ少なかれそのシステムに依存しているわけです。

スキーのジャンプ、カーレースなどはそのルール(レギュレーション)の変更によって、結果が大きく変わってきます。今年の王者が翌年には下位に沈む。そんなこともあります。絶対的な実力などは存在せず、そのシステムの中での実力なのです。学力も似たところがあります。なぜかそのことが十分考慮されてはいないように思いますが。

2011年2月28日月曜日

後期発表

高校受験が終わりました。今年は安全な受験生ばかりというわけではなかったので、結果が出てこちらも脱力状態です。

そのうちの1人は内申が全く足りない状態での受験でした。内申のみでは2ランク以上下の学校を受けることになります。普通なら受験校をずーと下に下げるところでしたが、本人にやる気があること。そして、彼が行きたい高校の生徒を何十人も教えてきた経験から、『その高校に入れば最上位でやれる』と思えたこと。その2点で『チャレンジ受験』の決断をしました。この決断は本人の決断ですが、それは同様に私自身の決断でもありました。幾つかの模試の結果、過去問を解いた結果、学力の進捗、そうしたものを睨み合わせながら、『簡単ではないがいける筈だ』という判断で、後期選抜の願書を出したのです。

本番は計算通り、予定の範囲内の結果でした。もう少し取れても良かったのですが、贅沢はいえません。いろいろなデータから、まず90%合格だろうと判断しましたが、最後の最後に引っ掛かりが残っていました。『特記事項』です。この加算分15点がある限り一縷の不安が残ります。楽な勝負をしているわけではありませんから、この15点は脅威です。

合格の報を聞いても、喜びはさほど無く、安堵感でいっぱいでした。

2011年2月24日木曜日

相手と自分を思いやる

プロ棋士の依田紀基氏が著した「プロ棋士の思考術」は、私にとっては氏の思考術よりもその半生や社会の諸問題に対する氏の意見に対して印象の残る本でした。
氏が内弟子になった時のエピソードの中で、今でも役に立っている言葉があるので紹介します。


『ただ、(師匠の安藤氏の)奥さんからは、安藤家の家訓みたいなものを2つ言い渡された。
「絶対に借金の保証人になってはいけない。保証人になる位なら、今持っているお金を全てその人にあげなさい。」
「お金を貸してもよい。しかし、貸したなら、それはその人にあげたと思いなさい。絶対に催促してはならない。」』
(以上『』内部著書「プロ棋士の思考術」より抜粋)


これを読んだ当時の僕には保証人も金銭賃貸もまるで無縁の話題ではあったのですが、当時から大切にしておこうと思ったものです。
発想が素晴らしい。無慈悲に「保証人になるな。」ではなく、「なる位なら、持っているお金を全てあげなさい。」という発言にはこの奥さんの人情味があふれ出ています。


ここで大切なことは【相手と自分を思いやる】事です。
例えば団体の会計等を自分が管理している場合などは、どうしても返済を催促せざるを得ない場面もあるでしょう。その時も「○×までに全額返して!」ではなく、どうすれば無事に返ってくるかを考えた方が確率も高くなるし、お互いに建設的なストレス程度で済みます。


信頼している人間が思ったよりも行動してくれない事は良くあることです。
逆に信頼を得ているにも関わらずなかなか手が進まない事もあるでしょう。
それを理解する事こそが、第一歩なのではないでしょうか。




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悠々館では只今中学準備講座を受付中です。