2011年12月26日月曜日
脳力
一方、頭の中のことになると、事情が違います。一見しただけでは鍛えられたものかどうか分からないこともあるし、勘違いすることもあります。しかし、脳も人間の体の一部ですから、体と同じ理屈が成り立ちます。負荷をかけると鍛えた脳とそうでない脳の差がよく分かります。
中3の冬期講習は長時間です。脳の持久力の差が出てきます。普段は3時間程度ですから大して目立たないのですが、長時間になると違いが歴然としてきます。鍛えていない脳は悲鳴を上げ始めます。そうした違いを意欲の違いと考えるか、脳の持久力の違いと考えるかで、対応の仕方が変わってきます。
やる気とか意欲といった精神論のみで片付けることができるとは考えないほうがよいようです。
2011年12月25日日曜日
2011年12月23日金曜日
中3模試
やっている人は間違いなく結果にそれが反映されていました。勉強って本当に単純です。しっかり勉強すればその分が必ずかえってきます。こんなに分かりやすいことは人生に無いとすら思えます。
やっているのに成績が上がらないという人。それは大きく①やっているつもりだが、実はやっていない。②実際やっているがやり方が悪い。このどちらかになります。
①は実際にはやっていないのですから、問題外です。そして、このタイプの人はかなり多数存在します。
②に関しては、勉強法が分からないとか、技術的なことを気にかける人が多いのですが、問題はそれ以前に存在します。一番の問題は勉強に対する態度です。謙虚さと言い換えたほうが良いかもしれません。これが欠けていると何をやってもだめです。このタイプの人はアドヴァイスをすると『でも、先生・・・』と必ず言います。他者の意見を入れてやってみようと言う気持ちが余り無いのです。同時に人の意見を聞くことができないので、問題の意味を理解することもできません。
①②に思い当たる人。注意しましょう。
素直に、着実に勉強すればその成果は指数関数的に増加するのです。
2011年12月18日日曜日
蛍の光、窓の雪
蛍の光 窓の雪、書読む月日、重ねつつ
何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く
誰でも知っているものと思っていました。
先日、古文の授業でこの歌詞の出典を読みました。
概要は以下のようになります。
東晋の時代、車胤は家が貧しく油が買えなかったために蛍を集めてそのの光で勉強していた。同じ頃、孫康は、窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世した。
設問はこの故事が由来となっている言葉を4字で答えよ。と言うものでした。勿論『蛍雪の功』なのですが、正答がありませんでした。聞いてみると、誰も『蛍の光』を歌ったことが無いとのこと。本当?
2011年12月16日金曜日
2011年12月14日水曜日
2011年12月10日土曜日
三者面談
2011年12月7日水曜日
願わないことは成就しない
2011年12月3日土曜日
雨の朝
2011年12月1日木曜日
自立して考えるようになれるのだろうか?
2011年11月25日金曜日
立川談志逝く
2011年11月21日月曜日
聞き方を変えてみよう
2011年11月18日金曜日
2011年11月16日水曜日
低温火傷と焼き芋
2011年11月13日日曜日
脱皮
全文証明と英作文
2011年11月10日木曜日
新高校入学者選抜制度 その2
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/382752_510633_misc.pdf
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/382752_543840_misc.pdf
http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/382752_543841_misc.pdf
更なる詳細の発表を急ぐべきだと思います。来年の7月に学校別の詳細が出るようですが、やることが遅い。準備が追いつかないうちに見切り発車したかのようです。そんなに急ぐ理由があるとも思えませんが・・・。
2011年11月6日日曜日
2011年11月2日水曜日
24年度高校入学者定員
2011年11月1日火曜日
ハロウィンの日に思い出さなければならないこと
ハロウィンを日本でも祝う人が増えているようです。僕自身は、陽気に騒ぐ人々のニュースを見てもあまり楽しくありません。どうせ、バレンタインと同じで、どこかの商売に乗せられているだけだと思えることが一つの理由ですが、もっと大きな理由は”服部君事件”です。
服部君は東大合格者数十人を出す愛知県の進学校、一宮高校の生徒でした。AFSの留学生としてアメリカに行っていましたから、彼自身も相当優秀な人だったと思います。当時、この事件は日本ではかなり騒がれました。以下のような事件です。
”日本人留学生、服部剛丈(はっとり よしひろ、当時16歳)が、寄宿先のホストブラザーとともにハロウィンのパーティに出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため、家人ロドニー・ピアーズ(当時30歳)から侵入者と判断されてスミス&ウェッソン社製の.マグナム装填銃を突きつけられ、「フリーズ(Freeze「動くな」の意)」と警告された。しかしながら服部は仮装の際にメガネを外していたため状況が分からず、「パーティに来たんです」と説明しながらピアーズの方に進んだところ、玄関先、ピアーズから約2.5mの距離で射殺された。
ピアーズは、日本の刑法では障害致死罪に相当する計画性のない殺人罪で起訴されたが、同州の東バトンルージュ郡地方裁判所陪審員は12名(白人10名、黒人2名)全員一致で無罪の評決を下した。評決の理由は裁判において、明らかにされていない。ルイジアナ州の法律では、屋内への侵入者については発砲が容認されているが、服部は屋内に入っていない。ただし、裁判では、服部が屋内に入ったとの証言があった。この裁判の場合、傷害致死罪を適用するのは最初から無理があり、無罪評決は正当防衛を認めたものか、傷害致死罪の構成要因を満たしていないと陪審員が判断した結果なのかは不明である。評決後の陪審員の記者会見の「外国人が米国の制度に口出しをするのが不快だった」という言葉に見られるように、過剰防衛という刑事上の問題を銃規制という文化批判にすり替えてしまった遺族側の失策に起因するとも考えられる。
この後行われた、遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、刑事裁判とは正反対の結果となった。ピアーズが家に何丁も銃を持つガンマニアであり、しばしば近所の野良犬や自宅敷地内に入ってきた犬猫を射殺しており、当日は酒に酔っていたことなどが実証されたため、正当防衛であると認められないとして65万3000ドル(およそ7000万円)を支払うよう命令する判決が出され、同州高等裁も控訴を棄却したため確定した。ただし、ピアーズは自己破産をしたため免責となり、実際の支払いはほとんどなされていない模様。
服部の両親はAFSと友人たちの協力で「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動を開始、1年余で170万人分を超える署名を集めた。1993年11月、当時の大統領、ビル・クリントンに署名を届けるために面会した。服部夫妻がワシントン.に滞在していた間に、アメリカにおける銃規制の重要法案であったブレディ法が可決された。” (ウィキペディアより引用)
ちなみに、ブレディ法はレーガン大統領暗殺未遂事件の際、頭に銃弾を受け半身不随となった大統領補佐官ジェイムズ・フレディが成立のため奔走した銃規制のための法律です。後のブッシュ大統領(全米ライフル協会会員)のとき、この法律は廃止されます。確か、レーガン大統領も全米ライフル協会の会員だったはずです。
僕にとってのハロウィンは服部君事件であり、銃規制です。仮装して大騒ぎをしている日本人を非難する気はありませんが、年に一度、この日は日米の多くの人々の銃規制に対する努力に敬意を払う日であり、一向に変わらない銃の現実を憂う日であり、そして何よりも、服部君の鎮魂の日なのです。合掌。
2011年10月30日日曜日
ドラフト会議
2011年10月25日火曜日
トイレ掃除は体罰か?
2011年10月23日日曜日
韋編三絶(いへんさんぜつ)のすすめ
2011年10月18日火曜日
センターまで100日を・・・
2011年10月15日土曜日
ケーキ
2011年10月14日金曜日
勉強はおししい
2011年10月9日日曜日
中3模試
2011年10月7日金曜日
飯が天なのであります
その夜の娘との話。
「今日お昼、どうだった?」
「うーん、買い弁ってやだな」
「おにぎり買って来る子はいないの?」
「女の子はあまりいない。でも男の子はコンビニの弁当の子、沢山いるよ」
「ふーん。そうなんだ」
そして、話は読書好きなA君のことになってきた。
彼は、両親が夜働いていて、毎日自分で弁当を作ってきている。
「ご飯だけ入った弁当箱に、缶詰とかもって来るんだよ」
「そうか」
「こないだ、友達が停まりに行ったらしいんだけど、朝4時に起きて、ご飯炊いて、朝ごはん作ったんだって」
「へー。えらいねえ」
「たまに寝過ごして、弁当作り忘れることもあるんだよ」
「お昼どうしてるの?」
「本読んでる」
「そうか」
もう、この辺で僕の涙腺は緩み始めている。
あまりに昔読んだので殆んど忘れてしまっているが、イギリスの学校の食堂での話。
カフェテリア形式の食堂で中学低学年の女の子が、おそらく経済的事情で、ミルクのみのお昼をとろうとしている。受け取ったミルクを持って席に着こうとしたとき、人と交錯し、コップを落としてしまう。彼女は呆然と立ち尽くしてしまう。もう一杯のミルクを買う余裕はない。それを見ていた作者の私(年配の男)がミルクを買い、戸惑っている女の子にそっとミルクを渡す。そんな話だった。
第2次大戦後、世界はまだまだ貧しかった。イギリスも同様だった。
「それでね、水だけのときも・・・」
「うっ。もう良いよ」
限界だった。
”ああ
飯(めし)が天なのであります
みなで
分かち合い
食らうもの”
誰の作か忘れてしまった詩が数十年ぶりに蘇ってきた。
2011年10月5日水曜日
初雪の便り
2011年9月30日金曜日
定期テストが終わって
次の定期テストまでは、学校の授業にあわせたこともしなければなりませんが、同時に受験を見据えた勉強もしなければなりません。
今日から使い始めた教材が使い込まれてぼろぼろになるのは今年の暮れ。その頃には、受験に、ある程度の目鼻がついているはずです。
定期テストのための勉強は局所的勉強ですが、受験はその断片的な勉強を体系化する役割があります。中学校までやってきた知識を俯瞰する。そんな気持ちをもっていれば、この3年間が何なのか、少し分かってくるかもしれません。
子供たちの表情が引き締まってきています。
2011年9月28日水曜日
アインシュタイン
このニュースに心躍らないということがあるでしょうか?
何かの誤謬があるのではないか? ほとんどの物理学者がそう考えるのは当然だし、発表した物理学者自身がそう考えているふしもあります。
”選ばれてあることの恍惚と不安、ふたつわれにあり”と言ったのはベルレーヌだったか、それともボードレーヌか。そんな恍惚と不安をかの物理学者も味わったのでしょうか。
願わくば、物理の地平線に放たれた一石(アイン・シュタイン)が大きな波紋を起こさんことを。
2011年9月27日火曜日
最期の曲
初めに南部ニューオリンズを訪れます。そこで、死者を墓場へ運ぶとき先導するジャズバンドに遭遇します。みな葬式用の正装で、先頭に日傘を持った黒人の老人、その後にトランペットやサックスを演奏する4~5人の黒人演奏者がスイングしながら続きます。
晴れた日中、その演奏はとびっきり陽気で、音を聞いて家から出てきた人々もその場で踊りだします。
それは、日本の悲しみに満ちた、静かな葬儀とは全く異なるものでした。澄み渡った青空の上の上。神のもとへ陽気に近づいていく。不思議な感覚のする行進でした。
先導する老人に最期の曲を訊くと、" I will fly away " という曲を薦めました。”私は神のもとへ飛んでいきます”という内容です。
奴隷制度があった時代。逃れようの無い過酷な人生は死を迎えるまで終わることはありませんでした。死ぬことは奴隷からの開放で、それは喜びだったのです。自由になって、神のもとに飛び立っていく。心躍るときなのです。「死も悪いもんじゃない」と。
南部の強烈な陽光の下、その葬儀の乾いた悲しみが良く伝わってきました。
2011年9月24日土曜日
単位について その2
算数と数学
2011年9月22日木曜日
台風
2011年9月17日土曜日
2011年9月15日木曜日
フィールズ賞
2011年9月14日水曜日
eight days a week
2011年9月13日火曜日
密度=?
2011年9月11日日曜日
ベクレルとシーベルト
2011年9月10日土曜日
高校期末テスト
物理おたく
2011年9月4日日曜日
新学期
2011年9月3日土曜日
予行演習
トロンはどうなったのか?
2011年8月31日水曜日
努力に勝る天才無し
2011年8月30日火曜日
2011年8月28日日曜日
2011年8月27日土曜日
模擬テスト返却
2011年8月26日金曜日
塾でカレーライスをつくる
↓涙を流しながら玉ねぎを炒める生徒
↓玉ねぎがきつね色になってきたら、肉野菜を投入
↓水を入れて、ルーを入れて煮詰めて完成♪
2011/8/30 八木
写真を追加しました。
2011年8月20日土曜日
塾の大掃除
2011年8月19日金曜日
観光船転覆事故
2011年8月17日水曜日
時熟する
2011年8月16日火曜日
失われた世代
2011年8月15日月曜日
2011年8月14日日曜日
独自入試廃止
2011年8月12日金曜日
日本で2番目
2011年8月7日日曜日
2011年8月4日木曜日
本を処分する
2011年7月31日日曜日
富岡製糸場
2011年7月30日土曜日
明治維新
2011年7月25日月曜日
大学は減らした方がよい。
2011年7月24日日曜日
面接
2011年7月20日水曜日
2011年7月17日日曜日
生徒会
2011年7月13日水曜日
黄金のおにぎり
野地先生の授業が終わるまで2時間ほどあったので、本棚に置いてある「黄金のおにぎり」という本を手に取って読みはじめました。
この本、僕が何年か前に買って気に入っている本で、もう何度も読んでいるのですが、改めて読んでみようと思いまして。
内容はほとんど覚えているのでさーっと1時間くらいで読み終わって、その中で印象に残ったフレーズを手帳にメモしていきました。
脱サラした主人公が寿司屋で修行後、お握り屋を開店して大きくしていく話です。
著者はマーケターの高橋朗さん。
お握り屋の商売をテーマにマーケティングとは何かを分かりやすく説明してくれます。
その中で、主人公が知り合いの会社の社長に、「自分が今行っていることが正しいのか分からない。商売はおかげさまでうまくいっているが、だからこそ不安になる。」という相談をするシーンがあります。
その相談を受けた社長が「そんなものかもしれませんねぇ。ただ、自分の行っていることが正しいかどうかは誰にも分かりません。それは未来から過去を見たときに分かることだからです。やった方が良いと思うことを、さぼらずすべてやり尽くすしかないのではないでしょうか。」という話をします。
この言葉がとても今の僕に響きまして、「あぁ、本当にそうだよなぁ。」と思ったのです。
仕事にも勉強にも共通する名言だなぁ、と。
というわけで、久しぶりに「今週の詩・句」を更新しました。
夏休み
2011年7月7日木曜日
入試の面接って?
2011年7月5日火曜日
現中2から、新入試制度に
2011年7月3日日曜日
入試日程発表
2011年6月30日木曜日
学習の基礎
2011年6月28日火曜日
とんでもなく不愉快な番組
『英語の参考書・辞書に載っているとんでもなくおかしい例文ベスト3』というような内容の番組でした。第2位の例文は『地面に顔がつくほど背中の曲がったおばあさんが・・・』というものでした。
登場していた3人の芸能人がその例文の滑稽さをいろいろ揶揄しました。『こんなばあさんいるわけねえだろ』と腰の曲がったおばあさんのまねをし、『杖持ってたら、一番下を握っている』といってそのまねをして3人で大笑いをするという内容でした。その3人のうちの1人は『東京シティーボーイズ』の『きたろう』でした。彼の年齢から考えて、そうした老人が日本に大勢いたことを知らないとは思えません。
長い労働の中で、体が深く折り曲がり、(英語独特の誇張があるとしても)顔が地面につくほどに腰の曲がった老人はこの国には沢山いたのです。彼らがこの国の農村と現在の発展の礎を作ったのです。最近そんな老人を見ることはほとんどなくなりました。でも、忘れてはならないのです。体が変形するまで過酷な労働を不平を語ることなく長期にわたり、黙々とこなした人々のことを。
田舎に行くと、今でもそうした老人に稀に会うことがあります。心の中で深く敬意を払う以外に何ができるのでしょう。
2011年6月24日金曜日
大学生に数学を教える
炎天下と俳句
毎回、五首の句を作り。輪読し、気に入ったものに票を入れるというパターンでした。その中に、今でも蘇るものが数首あります。
今日のように、雲ひとつない、30度を越す日中の、眩暈(めまい)を起こすような日差しのときに、決まって思い出す、
・・・・ 母 逝くと
友 言い放つ
炎昼や ・・・・
東京の大学に出てきた作者が夏休みに帰省した折、炎天下、高校の友人から『母親が死んだ』と告げられた時の句です。
もう一首。これは一緒にゼミをとった友人の作です。
・・・・ 母よりの
メロンの包み
腐りおり ・・・・
九州の田舎の母が送ってきた小包を開けると、中から腐ったメロンが出てきた。今のように宅急便の無い時代で、九州から東京はかなりの時間がかかっていました。おそらくそのメロンは母親が誰かからもらい、仏壇に供えていたもので、当時高価なメロンを是非とも東京の息子に食べさせたいと思い送られたものなのでしょう。
最後に私の駄作
・・・・ 三寸も
雪 積もれりと
母 起こし ・・・・
偶然ですが、三首とも『母』という語があり、田舎から東京に出てきた大学生のある種の共通な心情を感じます。
2011年6月19日日曜日
気持ち
2011年6月17日金曜日
アメリシウムとキュリウム
『東京電力は27日、福島第一原子力発電所の敷地内土壌から、放射性物質アメリシウムとキュリウムを検出したと発表した。』
現在、元素は原子番号1番の水素(H)から原子番号118番のウンウンオクチウム( Uuo )まで、約120種が存在、或いはその存在を予測されています。
その中で、94番のプルトニウム以降のものは殆んどその名を聞く機会がありません。周期表の中でしかお目にかかることはないと思っていました。そんな、原子番号95番アメリシウムと原子番号96番キュリウムが現実にそこにある・・・という驚き。そして、それが人類の作為による産物なのだという事実。
不思議な感慨を持たせるニュースでした。
2011年6月14日火曜日
練習態度
2011年6月9日木曜日
魂
2011年6月7日火曜日
移行措置
さて、新しい指導要領に向けて、移行措置の分野が理科・数学を中心に中学のテストに戻ってきました。最も大きな変更は理科です。今回の中3理科のテストでは力の合成・動滑車や斜面での仕事・イオンの知識を前提とした電気分解・中和反応・遺伝といった部分がほぼ全部移行措置です。
昨年までの古い教材ではそうした問題が載っておらず、殆んど対応できません。といって20年も前のものはもっともっと難しくて使い物になりません。この間の10数年は『失われた10年』とも言うべきものです。
ゆとり教育に関してはその役割もあったはずで、デメリットばかりでなく、メリットもあったと思うのですがその反省と評価をきく機会がありません。当時の文部官僚は今どう考えているのでしょうか。
イオンという知識がなく、レモンで作った電池で電球がつくことを教える。そんな馬鹿げた理科があったことを忘れないようにしたいと思います。
2011年6月3日金曜日
濃度
2011年6月2日木曜日
日本語の助動詞
テスト範囲に助動詞があったので、復習で問題を解かせていたのですが、あまりにもみんなできないので、もう一度助動詞について説明をしたのです。
突然ですが、問題を一つ。
例題)以下の文章の助動詞を3つ答えなさい
私にはとてもそんなことは信じられません。
さて、この文章には助動詞が3つ含まれているのですが、分かりますか?
僕は中学時代、正直国語の文法は苦手でした。
上の例題ももしかしたら解けなかったかもしれません。
ですが、中学生にいかに分かりやすく教えるかを考えているうちに自分でも理解できました。
そもそも、助動詞というのは言葉のとおり動詞を助けるものなので、動詞(用言)に含まれます。
例文で言うと、「信じられません。」が動詞(用言)ですよね。
この中に3つ助動詞があるわけです。
先に正解を言うと、「られ」、「ませ」、「ん」、の3つです。
この3つの言葉は元々の動詞である、「信じる」を助けています。
まとめてしまうと分かりづらいので、一つ一つ説明してみます。
信じる + られ(可能) = 信じられる
信じる + ます(丁寧) = 信じます
信じる + ない(否定・打消) = 信じない
こう考えると分かりやすいですよね。
それぞれの助動詞が意味を付加していることが分かります。
信じられる + ます(丁寧) = 信じられます
信じます + ない(否定・打消) = 信じません
信じない + られ(可能) = 信じられない
信じられます + ない(否定・打消) = 信じられません
信じません + られ(可能) = 信じられません
信じられない + ます(丁寧) = 信じられません
こういったことを黒板に書いて、初めて自分の頭も整理されました。
日本語でも文法を改めて考えると、それほど深く考えずに使っていますよね。
これが英語になったらどうなるか、と。
文法って本来は言葉を覚えるための先人の知恵だったと思うのです。
明治維新の後に英語を勉強しなければならない状況になって、最初は当然、文法なんていうまとまったものはなく、ひたすら英語の文章を読んだと思うのです。
そのなかで、「ん、このcanってのは動詞の前にくっついて、”可能”の意味を与えているなぁ」とか、「どうも”to”に動詞がくっつくと動詞じゃない役割を果たすようになっているなぁ」とか、傾向に気づいた人がいるはずなのです。
で、それを英語をマスターするための近道として、文法としてまとめた人がいる、と。
日本語だって、文法を改めて見てみると、「そんなに意識して使っていないよ~。なんとなくなんだけど。」と思うことがあると思うのです。
言われてみて、そういえばそうだなぁと思うとか。
そういう意味でいくと、本来は英語を読んだり話したりするための近道としての文法だったはずが、文法を覚えることが目的となってしまったことに問題があるのかもしれないですねぇ。
だって日本語にしたって、文法から覚えさせられたらなかなか話せないですよ、それは。
なんてことを、国語の助動詞を教えたあとに思ったわけでした。
なんか脱線したままですけど、この辺で。。(笑)
2011年6月1日水曜日
時事問題
2011年5月30日月曜日
閾値
2011年5月27日金曜日
恐怖の五人組
2011年5月22日日曜日
けちな勉強
2011年5月20日金曜日
必要条件と十分条件
帰りの車の中で、いつも反省をすることになります。今日の反省は授業を急ぎすぎたこと。来月早々のテストに備えて、やっておかなければならない項目を予定通り消化できなかったことです。長くやっていますから、テストに何が出るか熟知しています。何を身につけ、何を捨てるか良く分かっているつもりです。そのすべきことが十分にできていないと、知らず知らずに授業が乱れます。それが出てしまいました。
どう急いだところで、生徒の方は、理解できる速度以上に早く理解できるわけではない。という、至極当たり前のことを忘れてしまいました。といっても、テストに出ることが自明な事柄が十分に身についていない生徒を目の当たりにすると、勿論、穏やかではいられません。
十分ではないが、身に着くことのみを教えるか。身に着かない恐れもあるが、十分なことを教えるか。悩ましいところです。
2011年5月19日木曜日
人間力
学力の低い生徒は数時間の勉強をきちんとすることができません。一時間経たないうちに、だれてきて、姿勢が完全に崩れてしまいます。メルトダウンしています。これは、年齢とは関係なく、大学生でも、大学院生でも同じです。学力のない大学院生というのも変ですが、そんな院生も沢山います。10年位前までは、勉強ができなくとも、一生懸命頑張るという生徒はある割合でいました。『お前は勉強は得意じゃないけど、ちゃんと頑張れる人間だから、それを忘れるな。きっと、それが実を結ぶはずだから』と言える子供が沢山いました。残念ならが、最近はずっと少なくなりました。殆んどいなくなったとも感じます。
一方、学力の高い生徒でメルトダウンしているものは皆無です。
今日は1時からテスト対策で、数名の高校生が補習に来ていました。7時近くまで、数学の授業をし、その6時間に及ぶ補習の後、9時まで自習して帰っていきました。その間、手を抜く瞬間は全くありません。
この差が何なのか。ずっと考えています。勉強が好きだとか、楽しいとか、逆に勉強の楽しさを知らないからとか、そういうものとは関係のない何かの理由があるのです。それは個々に特有な理由だけではなく、社会病理的もののようにも思います。そうでなければ説明がつかないほど、一般的だからです。
頭ではなく、心へのアプローチが急務なのですが・・・
2011年5月15日日曜日
2011年5月7日土曜日
手早く、正確に
2011年5月6日金曜日
マーフィーの法則
マーフィーの法則: 失敗する可能性のあるものは失敗する。 以下
ベネディクトの原理: 自然はいつも隠れた欠陥に味方する。
露見の法則: 隠れた欠陥は必ず表面化する。
ガンパーソンの法則: 起きて欲しくないことほどよく起こる。
ソッドの第2法則:遅かれ早かれ、最悪の状況は必ず起こる。
ザイマージの発展的システム力学の法則: 一度ミミズの缶を開けてしまったら、それを入れるには、もっと大きな缶を使うしかない。(ミミズの缶・・・釣りえのミミズが入った缶)
うーむ。
2011年5月3日火曜日
少年Nと悠々館⑤
2011年5月1日日曜日
2011年4月28日木曜日
2011年4月27日水曜日
カリスマと民主主義
かつての伝記は『彼が(彼女が)如何に天才であるか』を書き、
そして、現在は『彼が(彼女が)如何に普通の人であるか』を書きます。
それは、天才がいなくなったということではなく、個人のレベルで、民主主義が育まれたことと関係があるように思います。『彼ら天才も、我々凡人と同じ人間なのだ』という確信です。
避難所を慰問した皇族が床に膝まづいて話しかけているのに、あぐらをかいて対応している被災者がいることに対して、あちこちで批判が出ています。私の年齢では、皇族でなくとも、目上の人が話しかけてきたら、あぐらではまずいと感じますが、これも民主主義の成果かもしれません。
避難所を訪れた首相に対しても同様なことが起こっています。
ここ数代、日本の指導者は大変不評です。今度の震災でもっと強い指導力を発揮してほしいという声が大きくなっています。カリスマ性を持った指導者を望んでいる人も多いようです。しかし、一方で民主主義は強力なリーダーシップとは無縁のものです。世界に目を転じても、エジプトのムバラク前大統領。リビアのカダフィ大佐。カリスマの失脚が相次いでいます。民主化のうねりの中で、カリスマのマスクが剥がされているのです。
21世紀になり、私たちは個人の価値の尊重と引き換えに、英雄喪失の時代を生きていることになります。
連休中の休みについて
5月4日(水・祝日)は通常通りの授業を行ないます。
5月5日(木・祝日)は5時からの小学生の授業は他の日に振り替えます。7時からの授業は通常通り行ないます。
2011年4月25日月曜日
パラダイムシフト
エイモリー・ロビンズの著書『ソフトエネルギーパス』が話題になったのはもうどのくらい前になるのでしょうか?日本でもかなり話題になりました。以下のようなものです。
『イギリスの物理学者エモリー・B・ロビンズにより、1976 年に提唱された概念。エネルギー需要の質と量を検討し、その最終用途での利用効率を高めるようなエネルギー供給体系を追求することが柱となる。そのためには化石燃料資源を効率よく利用しつつ、太陽光・熱、風力,水力などの再生可能な自然のエネルギーを、利用地点付近で需要の質と規模に合わせて分散的に自然界から得ることが必要となる。その技術は環境に対して穏やかであり、コスト的にも引き合うと考えられる。さらに、誰にもその技術を理解でき実施できる特性があり、自由で多様な社会を築くことに貢献できる。(牛山泉「エネルギー工学と産業社会」(財)放送大学教育振興会抜粋)』
火力・原子力といった硬直した(ハードな)エネルギーから、分散的な(ソフト)エネルギーに変えていくという考えの最も初期のものだと思います。
こうした大きな変化(ハード・エネルギーからソフト・エネルギーへの変化)にはある種の考え方(人生観)の変化が伴います。ただたんに、原子力を風力に変えようというものではありません。『どのように生きていくか?』という原初的な考えが密接に関係しています。そうした、考え方の変化を伴うような思惟をパラダイム・シフトと呼びます。
東北・北関東地方にはそうしたパラダイム・シフトを体現した多くの若者・子供がいるはずです。彼らは私たち2011年の大人が持つ主流の価値とは異なった価値を持つはずです。大変不謹慎な言い方ですが、彼らはそのことによって、厳しい現実を乗り越えながら、新しい価値観を持った世界を作り上げるのではないか?そんな期待を持っています。卒業式や入学式で流した涙がその分だけ彼らを大きく育てていく、そう願っています。がんばれ!
2011年4月24日日曜日
限界とは何か
2011年4月21日木曜日
中学生に読書の面白さを伝えられたかな
5年ほど前、読書を始めて間もない頃に出会って、今でも何度も読み返している大好きな本です。
内容は難しくなく、中学生が読んでも十分理解できる内容なので、読ませてみたいなぁと思ったのです。
その生徒は自分でも「読書をしない」と言っていたのですが、ちょっとだけ内容を紹介したら興味を持ってくれて、読んでみたいと言ってくれました。
で、一週間経って、今日の授業中に「本読んだ?」と聞いたのですが、半分くらい読んだところでお母さんに、「何読んでるの?ちょっと読ませて。」と言われて取られちゃったそうです。(笑)
その生徒曰く、学校の朝の授業で読書の時間があるそうで、その時間に読みたかったそうなのですが。
でも半分くらいは読んだそうなので、内容を話しながら、「道路清掃人の話、面白いよね〜」とか、「あの話は読んだ?」とか話せて盛り上がりました。
ちょうど今日の授業は面接だったので。
その中学生の生徒とも、小学校の時の読書感想文は本当に良くないよねという話をしました。
あれってほんとに「本嫌い」を醸成していると思うんですよ。
僕も嫌で嫌で仕方が無くて、そのトラウマから抜け出すまで長いことかかりましたからねぇ。
そんな話をしながら、じゃぁもう一冊貸してあげるね、と言って「16歳の教科書2」を貸しました。
綾戸智絵さんとか、サイゼリアの創業者の話で、彼らの体験談を語りかけてくれるような本なので読みやすいし、とても心に響く内容が多いので、きっと気に入ってくれると思います。
多分、僕が1、2年かけて勉強を教えること以上に、今回読書の面白さを教えられたことの方が、その生徒の人生にとって、とてもいい経験をさせてあげられたんじゃないかなと思います。
縁あって、今その生徒に勉強を教えているわけですが、学校を卒業してからの長い人生、その生徒は成長し続けて行かなければいけないですし、そうあってほしいと想っています。
そういったことを考えると、今数学を教えることよりも、その生徒が今後の人生の支えとなるような一冊と出会える可能性を与えてあげられたことの方が意味のあることなんじゃないかと思うのです。
早いうちに本嫌いを治してあげられたなら、僕も嬉しいなぁ、と。
しかし、お母さんに本を取られちゃったってのは面白い話だったなぁ。
そのお母さんとも話してみたいわ〜。
今日貸した本もまた取られちゃったりして。(笑)
来週の授業でその本の感想を聞くのが今から楽しみです。
ちなみに、その中学生に貸した本は、下の「新・自分を磨く方法」です。
大人が読んでも楽しめる、僕の中ではとてもおすすめの自己啓発系の本です。
新・自分を磨く方法
新自分を磨く方法 |
16歳の教科書2
16歳の教科書(2) |
上下・左右
これは数学を理解しているかどうかというレヴェルのことではなく、もう少し感覚的なものに関係しているようです。繰り返し練習して体に馴染ませたとして、数年後にまた元に戻っているというケースもあります。案外厄介なのです。
同様なことは英語でも起こります。中一でまだ英語を習い始めたばかりのとき、bag を dag とする間違いです。これは上下ではなく左右の問題です。数学と同じように間違えを指摘し、練習させることで減ってきますが、これもなかなか治らない場合があります。数ヶ月たって、もう大丈夫かなと思った頃、book を dook と書いたりすることがあります。
さて、良く耳にする『鏡では上下はそのままなのに、なぜ左右は逆になるの』という疑問です。その答えは『上下は勿論、左右も逆になっていない』です。右の手のひらに『右』という字を書いて鏡の前に立てば右手の側に右手があります。左右は逆になっていません。といって、それが感覚的に納得できるかというとそれはまた別の問題です。
ある夫婦の会話です。妻が運転をし夫が後部座席でビールを飲みながら道の指示をしています。
夫『次右ね』
妻『分かってるわよ』 ビールを飲みながら繰り返し出される指示にいささか苛立っています。
夫『次の角だよ。右。右』
妻『もう・・・・しつこいわね。右でしょう』と言いながら、ハンドルを左に切っています。車は当然左に曲がり・・・・
夫『おい、左に行ってるよ』
妻『うるさいわね。自分で運転したら』
良くある話です。
2011年4月13日水曜日
人のふり見て
2011年4月12日火曜日
桜
2011年4月10日日曜日
人生の禍福あざなえる縄の如し
新燃岳の噴火はどうなっているのでしょう。駐日アメリカ大使が沖縄県知事に謝罪というのもありました。
3月の初め、以前の塾生から沢山参考書が有るけど必要ですか?と連絡がきました。それを貰いに行くと、やはり塾生だったお姉さんとお父さんがダンボール一杯の本を抱えて出てこられました。本人は東大の3年で地球物理を学んでいるのですが、今、八丈島にいるとのこと。新燃岳のことが頭にあり、『いつか、TVで火山が爆発したり、地震が起こったりすると解説に出てくるかもしれないなあ』と思いながら帰ってきました。
それから、ほどなくの地震でした。
新燃岳は意識の中から吹っ飛び、官房長官が駐日アメリカ大使に頭を下げ、援助に対する謝意を表明していました。数日前と主客逆転です。本当に、一寸先は・・・
2011年4月9日土曜日
新入生との授業
先日、新高校生に因数分解を教えた。相当優秀なメンバーだったが、彼らが簡単にはできないレベルの因数分解までやった。知恵の輪を外すように、複雑な因数分解には理屈があり、扱い方がある。手順を過たないようにしなければならないし、先を見据えていく洞察を必要ともする。唯の因数分解にも思想がある。それが伝えられたかどうか。いづれにしろ、高校数学の面白さの一端を垣間見せることができたのではないかと・・・
”数学は不公平な学問”で、勉強すればするほど簡単な方法が手に入る。ちょっとできる高校生が5行~6行かけてやっとできるような因数分解が暗算でできたりする。初心者はいつももっとも効率の悪い方法を強いられる。だから、数学嫌いの生徒は直ぐに「めんどくさい」と叫ぶことになる。たくさん勉強して、最強のアイテムを身につけると楽なんだけど。
2011年4月7日木曜日
本日より通常授業再開です。
悠々館も今日から新年度です。真新しいテキストをどんどん汚して使い込んでいきましょう。
”ぼろぼろになればそれが聖書”
2011年4月6日水曜日
少年Nと悠々館④
2011年4月4日月曜日
4月4日春期休日です。
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勉強を単純化すると。
①理解する・・・・・>②習熟する・・・・・>③忘れないようにする
ということです。
①に関して、分からないという人は案外いません。塾では分かるところまでやっています。問題はわかったような気になっている。分かったつもりでいる。雑に理解している。そんな場合です。何をするときでも初学者は丁寧に、確実に学ぶことに気を配ります。
② ①で教えられたことを自分でできるようにするには一定量の演習が必要です。このとき、ただ問題をを解く、機械的に問題の処理をするのではなく、自分がやっていることを意識するようにします。大学受験生によく見られるパターンですが、自分のやった問題集(何度も繰り返してやったもの)は解ける(暗記してしまっているので)が、形を変えて出てくると解けなくなる人は視野の狭い、機械的勉強をしている可能性大です。一つの問題が広がりを持つように学習します。
③定期的な復習をしないと必ず忘れます。毎日の勉強の最初に、復習を組み込んでおきます。復習は早ければ早いほど短時間で終わります。後回しにしないようにします。
さあ、新年度です。新鮮な気持ちで勉強開始です。
2011年4月3日日曜日
一歩一歩
2011年4月1日金曜日
十で神童、十五で才子(さいし)、二十歳過ぎればただの人
2011年3月31日木曜日
3月31日は予定通りです。
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昨日夕刻、Sさん親子来塾。
大学合格のお礼に塾に足を運んで下さいました。ありがとうございます。
お母さんから「娘にとって塾が心の拠り所になっていたようです」と言って頂きました。身に余る光栄です。「少しだけ役に立てたかな」と思えて、喜びひとしおです。
そう言えば、高校英語の授業にNさんが久々に顔を出しました。難病を患い、この一年入退院を繰り返し、ついには学校も止めることになりました。それでも体調が良いときに、ふと授業に参加してくれます。こちらも月謝を請求する気も無く、元気な顔と勉強の意欲を見せに来てくれればもう十分というところです。
今日で3月も終わり。それぞれのそれぞれの形の新年度が始まります。
2011年3月30日水曜日
3月30日
車でラジオを聴いていたら、震災で避難所にいた人の自殺のニュースがありました。記者兼コメンテーターが「自殺は悪だ」という言いかたでそれにコメントをつけていました。「どんなに苦しくても、自殺してはいけない。それは完全悪だ」と。
この件に関し、異論を持っていますが、ここで議論するつもりはありません。
今回の地震で孤児になった子供がたくさんいるはずです。それとは別に親の自殺によって孤児となったたくさんの子供がいます。地震で親を亡くした子供と違って、自殺で孤児となった子供は親の死をどのように受け入れるか、複雑な立場に立つことになります。親の生き方を否定して生きていくのか、親の死を受け入れて生きていくのか。彼らは終生その問題を自らに問いかけて生きていくことになります。ラジオのコメンテーターがそのことを理解するほど繊細な人間でなかったということです。合掌。
2011年3月29日火曜日
生きているということは・・・
”♪~生きているということは~誰かに借りを作ること~
生きていると~言う~ことは~誰かに~その借りを返すこと~” (永六輔)
インドを旅しているとき、人から小銭をもらうことが度々あった。最初に体験したのはニューデリー空港を一歩出たときだった。公衆電話を使おうとして、近くにいる同年代の若者にいくらで電話がかけれるか聞いた。彼は黙ってポケットから小銭を出し、使えと言う。
それを使って電話をかけ終わると、小銭より少し高額の紙幣を返そうとした。彼は首を横に振って受け取りを拒んだ。そして「次は、君がその金を誰かのために使ってくれ」と言った。やせ細った浅黒い肢体と精悍な目、そして、破れた靴から指が出ていた。
”♪~生きているということは~誰かに借りを作ること~ ♪~” ぼくは鍋をぶら下げた大きなリュックを担いで、オールドデリーの街中に安宿を探しに出かけた。
2011年3月27日日曜日
3月28日
7時からの授業は午前中に発表される計画停電の予定によって決定します。
計画停電が最初に行なわれた日、おやっと思うことがありました。停電を実行した地域に静岡県と山梨県が入っていたからです。静岡県は中部電力だと思い込んでいたからです。そういえば、50Hzと60Hzの境界は静岡県の半ばにあります。それが境目なのでしょうか?
中3理科でやる等速直線運動で使う1秒間に50打点する記録タイマー。関西の中学生は1秒間に60打点でやっているはずです。今塾で使っている問題集の問題は50打点もものばかりなのですが、静岡以西の中学生は60打点の問題をやっているのかちょっと知りたくなりました。
覚醒
2011年3月26日土曜日
3月26日通常通りです。
来週から春期講習で通常授業はありません。
計画停電によっては授業時間が変更されます。
計画停電の予定は http://www.tepco.co.jp/images/week_schedule.pdf
2011年3月25日金曜日
3月25日は通常通りです。
東京23区で計画停電が行なわれていないことに、違和感を感じます。国家機関や、日銀や、病院が多いからだという理由だそうですが、国家機関が被災者の痛みを共有しないでどうするのだと思います。そういえば、この時期にドームでナイターをやろうという発想も計画停電の無い地域だからかもしれません。
こうしたことが長く続くと、神奈川県の大学進学実績は東京に大きく水をあけられるれることになりそうです。
2011年3月23日水曜日
2011年3月22日火曜日
リスニングの為のリーディング
少年Nと悠々館③
3月22日通常通りです。
この災難の中で、秩序と礼節を忘れず、生きている人たちを立派で誇らしく思います。
3月22日、停電は午前中です。授業は何時ものように行ないます。
2011年3月20日日曜日
3月21日は通常通りです
この地域の計画停電は午前中ですが、電力消費量によっては夕刻の授業時間帯に停電になる可能性もあります。連絡に注意してください。
東京電力の計画停電はしたのリンクから
http://setsuden.yahoo.co.jp/schedule.html
2011年3月19日土曜日
2011年3月18日金曜日
3月18日の授業は停電のため休講とします。
振り替えは後日相談の上、日程を決定します。
・・・・・春期・その他の問合せについて・・・・・・
通常の電話受付は7時~9時ですが、本日の電話受付は4時~6時20分までです。
それ以降は停電のため、電話に出ることができません。ご了解ください。
2011年3月17日木曜日
いつも通りやります。
勉強で重要なことは、淡々とやるべきことをしていくことのようです。特別なこと、良いこと、悪いこと、どのようなことがあっても、毎日ある量の勉強を当然のようにする。そんな生活は私自身の目標でもあります。
地震、津波、原発。そして、計画停電。いろいろありますが、今日も通常通り授業をします。
2011年3月16日水曜日
助け合い
2011年3月15日火曜日
Color
2011年3月13日日曜日
悠々会延期のお知らせ
明日、14日に行なう予定の悠々会を延期し、ささやかながら弔意を表したいと思います。
私自身も仙台に住む学生時代からの親友に連絡がつかない状態です。
何ができるのか、個人的に検討しています。
今回、大学合格者その他、多くの生徒、先生と話せることを楽しみにしていました。次の機会を持ちますのでご了解ください。
今なお、不明の方々、救援を待つ方々の一刻も早い救出を祈りたいと思います。
2011年3月12日土曜日
地震、止むなり、家事、親父
2011年3月11日金曜日
怠け者
去年、長尾先生からゴーヤをもらいました。それを炒め物にして美味しく食べました。その時、「よし、来年は再挑戦するぞ!」と考えて、種を保存していたのです。
今までは、種を直播きにしていたのですが、今年はちょっと考えました。丸一日水につけ、その後、暗いところで発芽を待ち、それを植えようという、私らしくない壮大で計画的な栽培です。
さて、種を一日水につけ、それをぬらしたティッシュの上に並べ、という作業をしていたときです。TVでアメリカ国務省の日本部長のニュースが流れました。その中に、
「沖縄はゴーヤをたくさん作っていると思われているが、本土の方がずっと生産量が多い。沖縄の人はゴーヤも作れないほど怠け者だ」というものでした。
「えっ。そうだったのか。俺はゴーヤも作れないほどの怠け者だったのか」
なんだか、身につまされるニュースでした。たわわに実る巨大なゴーヤ。怠け者の僕でもできるでしょうか?
合格発表
夕方、授業をしていると、そのSさんの声。野地先生と話している。そーっと顔を出すと。
「あっ。先生。受かりました」
「えっ。メールだと・・・」
「ちょっと、おどかそうと思って」
「勘弁してくれよ。気分の沈んだ数時間を返してくれよ」と思いながら、心の中では「やれやれ」です。
センターが終わった日、出来が悪くて「家で号泣した」と言っていました。事実なのでしょう。いつも元気そうにしているけど、その様子が想像できました。翌日、塾で自己採点をしなおすと、今度は得点が数十点増えて、途端に元気になっていました。どんな、自己採点なんだよ! この数ヶ月、彼女にとって浮き沈みの大きな日々でした。
少し遊んで、一段落したら、しっかり勉強するんだよ。
2011年3月9日水曜日
局所的最大値を見極める
眠かったのですが電車に乗る時間は早く座れるので、乗る前から平塚-東京間でたっぷり寝てやろうと考えていました。
横一列のシートの右端に陣取り準備完了、と思っていた矢先の茅ケ崎で隣に年配のサラリーマンが座ってきます。朝から随分タバコ臭いなぁと思いつつも、それは特に気になりませんでした。
しかしウトウトしていた藤沢あたりで突然、
「…んごご~。。。」
というノイズに目を覚まします。隣の人がいびきをかいて寝ていました。
僕の場合この様な特徴音は一度気になると止まらず、結局眠れぬまま東京に着き、眠気に不満を加えて集合場所に降り立つ羽目になってしまいました。
こんな時、どうしますか。
僕にはこの「故意ではない妨害」を咎める気になれませんでした。いびきというものが生理的現象(特に花粉の季節だし)であること、咎めると結局僕が寝るか相手が寝るかという話になることを考えると責められる行為ではないなと思ったからです。
今回僕が犯した最大のミスは、寝続けようとした事でしょう。
これはちょうどテストで解けない問題に延々と着手し続けることと同じ様な愚かな行為です。
状況を冷静に見てポジティブに、ベストな行動を心がけたいです。
2011年3月6日日曜日
笑顔が与える印象
しかし小説以外の本についても著者はバラバラです。タイトルのセンスや少し読んだ時のフィーリング等、初対面での第一印象の様な感じで買う本を決めてしまいます。
なのでよくある会話の中の一つである「好きな著者トーク」には全く付いていけず、しばしば自分の嗜好について残念に思います。
第一印象について一例を挙げましょう。
心理学者であるPaul Ekman氏によると、人は初めての人に会った時に笑顔を探す傾向にあり、また30メートル先の笑顔でも認識し、笑顔に対して好意的な印象が湧きやすいといいます。
確かに僕も体験生に授業をする時や初対面の人とチームを組む時は、まず笑顔を探していました。
愛想笑いでない突発的な笑顔が出てくれば僕の勝ち、そうでなければ手段に改善の余地ありというスタンスは互いの距離を把握する一つの手掛かりになり得ます。
同時に、僕自身も笑顔で接することを常に心がけています。
心理的に30メートル離れた物でも、笑顔を見ればグッと距離が縮まります。
おそらく僕の蔵書たちはタイトルと前書きに「笑顔」に見える何かがあったのでしょう。
悠々館のチラシが、ブログが、授業が、皆さんに安心して訪ねていただける、笑顔で語りかける物であるように。
同時に僕らの笑顔が詐欺スマイルだなんて取られぬよう、誠心誠意を忘れずに。
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悠々館では只今中学準備講座を受付中です。
詳細はhttp://www.youyoukan.com/2011/02/blog-post_7971.htmlにて。
2011年3月5日土曜日
2011年3月4日金曜日
めいめい
見てみると each でした。each を知らないのは高校生としてどうかと思いますが、
「”めいめい”って意味だよ」と答えると、
「えっ。めいめい?」とぽかんとした顔をしています。
「めいめいといっても、山羊の鳴き声じゃないぞ。ほら、めいめいざら(銘々皿)とかさ」
「はっ?めいめいざら?」
どうやら”銘々皿”は良くなかったようです。そこで、
「おのおのってことだよ」と言うと、
「えっ?おのおの?」とやはり通じません。
「おのおのといっても、金の斧、銀の斧とは違うぞ。ほら忠臣蔵で大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が『おのおの方、準備はよろしいか?』とか言うじゃん」
「えっ?大石・・・?」
どうやら”忠臣蔵”も良くなかったようです。そう言えば、以前は”平行四辺形の対角線はおのおのの中点で交わる”となっていた教科書が”それぞれの中点で交わる”に変わっていることを思い出しました。
「つまりさ、それぞれのことだよ」
「なあんだ。初めからそういってくれれば分かったのに」と生徒。
そうだよね。だけどその前に「日本語、話せますか?」って聞いておけばよかった。
2011年3月3日木曜日
小学のテストから中学の点を予想すると
そうしたテストを見ているうちに、これで十分な学力があると勘違いしてしまいます。これは、本人も、その家族も、更に学校の先生も。もちろん塾の講師もです。
最近、こんな公式を作りました。簡単なものですが、
《小学校のテストの点(100点満点です)》 × 0.9 ÷ 2
です。小学校のテストの点は1割引(9割)だとして、この地域の中学のテストが50点満点なので÷2をします。2割引の方が現実に近いような気がしますが、少し甘くしてあります。その分、小数点以下を切り捨てることにします。
小学校で大体90点の生徒は中学では 90×0.9÷2=40・・・内申点3 場合によって4
小学校で大体80点の生徒は中学では 80×0.9÷2=36・・・内申点3
小学校で大体70点の生徒は中学では 70×0.9÷2=31・・・内申点3 場合によって2
内申点は他の要素が大きいので、大体のところです。2割引だともっと悪くなります。
小学校のときに90点前後とっていれば親としては「うちの子はできる方かな」思います。ただし、2割引きなら中学で90×0.8÷2=36点です。この点はできる生徒の点ではなく、ごく普通のクラス平均程度の点です。「中学になって急に成績が悪くなった」と言われるものの内、かなりのものが実は小学校段階で既にその状態だったと考えられます。
理科総合って?
ところが、僕はその同じ問題をもっと早く、公立高校1年のときにやっています。その問題には特別な思い出があってよく覚えていました。
中高一貫校は1学年程度、公立高校より進度が速いと言われています。確かにその通りです。ただし、それは公立高校がその内容を少しずつ減らし、更に『ゆとり』になり決定的に学習内容を減らしたためです。私立一貫校が速くしたのではなく、公立が一年以上遅くしたため、相対的に速くなったわけです。
新指導要領では高校でやる『理科総合』の多くの部分が中学に戻っていきます。そして、中学の延長のような高校の『理科総合』がなくなることになります。理科総合は中学校の理科の多くの部分を高校にまわすためだけにできたような教科です。ゆとりで扱えなくなった部分をまとめて『理科総合』とし、高校にまわしたのでしょう。以前、問題になった、高校での未履修もこの理科総合と無縁ではありませんでした。なくなって当然だと思います。
いったい、この10年~20年は何だったのか?
『失われた10年』は決して経済や文学だけのことではありません。
2011年3月1日火曜日
システムの中での学力
その理由は、『書けないけど読める』。そんな勉強をしてきたからです。昔のようにひたすら単語を書いて覚える。そうしたやり方は減ってきました。単語は書かないで覚えたほうが効果的だという考えも増えています。確かに、神奈川県の公立高校を受験し、私大あるいはセンターのみであれば、それで十分かと思えます。
神奈川県の高校入試、私大入試、センター試験。これらの英語の問題の特徴は、解答を選択肢から選ぶことです。単語を書く量は大変少なく、極端な場合、高校入試と大学入試の合計で2~3語しか書かないで合格ということも考えられます。単語が書けなくとも、意味が分かればよいわけです。一方、国立の2次は英作文等、記述の部分が多く、書けないとうまく行きません。
多かれ少なかれ他教科でも同じことは言えます。
コンピュータの利用により、マーク式の秀才という類型ができてきます。私大型、国立型の秀才が現れてきます。学力は多かれ少なかれそのシステムに依存しているわけです。
スキーのジャンプ、カーレースなどはそのルール(レギュレーション)の変更によって、結果が大きく変わってきます。今年の王者が翌年には下位に沈む。そんなこともあります。絶対的な実力などは存在せず、そのシステムの中での実力なのです。学力も似たところがあります。なぜかそのことが十分考慮されてはいないように思いますが。
2011年2月28日月曜日
後期発表
そのうちの1人は内申が全く足りない状態での受験でした。内申のみでは2ランク以上下の学校を受けることになります。普通なら受験校をずーと下に下げるところでしたが、本人にやる気があること。そして、彼が行きたい高校の生徒を何十人も教えてきた経験から、『その高校に入れば最上位でやれる』と思えたこと。その2点で『チャレンジ受験』の決断をしました。この決断は本人の決断ですが、それは同様に私自身の決断でもありました。幾つかの模試の結果、過去問を解いた結果、学力の進捗、そうしたものを睨み合わせながら、『簡単ではないがいける筈だ』という判断で、後期選抜の願書を出したのです。
本番は計算通り、予定の範囲内の結果でした。もう少し取れても良かったのですが、贅沢はいえません。いろいろなデータから、まず90%合格だろうと判断しましたが、最後の最後に引っ掛かりが残っていました。『特記事項』です。この加算分15点がある限り一縷の不安が残ります。楽な勝負をしているわけではありませんから、この15点は脅威です。
合格の報を聞いても、喜びはさほど無く、安堵感でいっぱいでした。