2010年10月29日金曜日

中学生を成長させるために何をすべきか

僕はいつも塾に自転車で行っているのですが、今日は雨だったので歩いて帰ってきました。
夜中の散歩は頭がすっきりして、いろいろと考え事をするには都合が良いようです。

今日も中学生の授業を振り返りながら、とぼとぼと国道一号線沿いを帰ってきました。

授業の後に塾長と話していたのですが、なかなか学力が伸びてこない生徒がいます。
そういった生徒は勉強以前の問題が多く、例えば授業中に講師の話を聞いていなかったり、筆記用具を忘れてきたりします。

彼らがこのまま行くとどんな大人になるのかと考えてみました。
このままの成長直線を描くと少し不安なのですが、人生のどこかのタイミングで良いきっかけや出会いに恵まれると、それまでの成長直線から大きく外れて育つ可能性は大いにあります。

受験に向けて背水の陣で努力することがきっかけになったり、社会に出て上司に叱られて四苦八苦することがきっかけになったりするかもしれません。

もし仮に、この成長直線から大きく上向きに外れた将来の生徒に、今の中学数学を教えたとしたら、きっと今より遥かに出来ることでしょう。
筆記用具を忘れたり、宿題を忘れたりという、ある意味しつけの域は超えているはずです。

そう考えると、そういったしつけの域の生徒に勉強を教えるよりも、彼らの人間力を高めるようなことをしていくほうが、結果として勉強も伸びるのかもしれません。
つまり、人間として成熟させるきっかけを多く与えるのです。
幼少期にやんちゃが過ぎて、「うつけ者」と言われた織田信長を早く元服させたように。

社会に出ると自己啓発系の本を読む機会が増えると思うのですが、その中で書いてあるようなことを学生のうちにやらせてみると良いのかもしれません。
例えばトイレ掃除をしたり、一日の終わりにその日頑張ったことを褒めたり、人が困っていることを予想して先取りさせたり。

そのままやらせてもダメだと思うので、中学生用にアレンジしたら意外といいかもしれない。
数学の宿題を出すのと併行して、例えば「どうしたら志望校に行けるか作戦を考えてこい」という宿題を出してみるのも良いかもしれません。
勉強には戦略的な視点も必要なので。

「もしドラ」の感想文でも書きましたが、僕は塾の目的は「人を育てること」だと捉えています。
その視点に時々立ち返って、勉強以外の方法で彼らを育てることを取り入れていくことも必要なことなのかもしれません。


義務教育を終えて、社会に出たからこそ分かるのですが、(若干28歳の若輩者が偉そうに言うのは気が引けますが、)正解のある学問をしている方が正解のない世界で生きていくよりも遥かに楽です。

今の学生は学校を卒業して社会に出たらもっともっと厳しい世界で生きていかなければなりません。
社会に出たらどれが正解か分からないことを、自分で決断して、自分の行動に責任を取っていかなければならないのです。
そう考えると今の彼らに僕ができることをもっともっと考えてあげないといけないなぁと思うのです。
縁あって、お互いの人生の貴重な時間を使っているのですから。


講師は正解を知っていてそれを教える、つまり答えを持っていると思われていると思いますが、講師もどうやって教えるのが生徒にとって最適なのか日々悩んでいます。
僕も毎回授業の後に、今の教え方で彼らがこの先本当に伸びていくのか毎回自問自答しています。
それはきっと、子を持つ親御さんも同じだと思います。
そういった悩みを共有できた方が良いと思うので、このブログという場では虚勢をはらず、自分の悩みを素直に伝えていきたいと思っています。


ということで、今週の詩・句を更新しました。
山本五十六さんの僕が大好きな名言です。

2010年10月27日水曜日

Team You-You-Kan

本日のニュースですが、横浜ベイスターズの球団取得交渉を行っていた住生活グループがこの度交渉を断念したそうです。よって横浜ベイスターズは来年度もTBSが所有することとなりました。


さて、チームとはなんでしょうか
wikipediaによれば共通の目的、達成すべき目標、そのためのアプローチを共有し、連帯責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体である。

としています。
 
 
石川・藤田で出塁し、内川が繋ぐ。これをハーパーや村田らが強打で敵を圧倒し、下園らの下位打線が簡単には終わらせない打撃で切れ目のない打線を作る。と理想通りにいけば神奈川県民は北海道民に負けないくらいの地元ファンになるのですが、現実はそう甘くありません。
 
 
チームは達成すべき目標に一つなのでしょうか
その為のアプローチを共有しているでしょうか
見えている仲間達の欠点を補おうとしているのでしょうか
自分の成長しか見えていないのではないでしょうか・・・
 
 
 
 
先日、我がチーム悠々館も秋の戦略会議を行いました
五十川監督の監修の元、八木主将がチームの目的やアプローチを明確に示し、長尾・野地両選手がこれを達成する為に新たな仕事に取りかかる事となりました。
 
 
詰まっても、振り切ればヒットに成り得ます
今の僕の役割は全力スイングと機動力。そう思い、本日パンフレットの完成を持って始動の狼煙をあげた次第です。各員が繋いでくれることを信じています。

2010年10月26日火曜日

紅茶のお話

先日、当塾講師の八木先生から海外旅行のお土産を頂きました。
内容は紅茶で、数種ある候補の中から僕はアールグレイを選択しました。
頂く前にアールグレイとは何ぞやという事を知っておこうかなと思い立ち調べてみましたので、皆さんも雑学としてお付き合いください。


紅茶の名前には茶葉の産地がつけられる場合があります。例えばアッサムやダージリンが有名です。それに対してアールグレイとは、ベルガモットというミカン科柑橘類を香料とした紅茶を指し、茶葉の指定がありません。このような茶種をフレーバーティーと呼ぶそうです。


では何故アールグレイなのか。これは
Earl=伯爵
Grey=人名(グレイさん)
から取ってきています。つまりグレイ伯爵という意味です。そのグレイ伯から製法を学んだ紅茶商ジャクソン社が改良を重ね、彼の名前をそのまま用いて製品化したとする説が有名のようです。


さて肝心の飲み方ですが、ベルガモットは豊かな香りを持つためアイス・ホットを問わず飲めるそうです。ただし、アイスティーを念頭に置かれて作られたアールグレイは香りを強くつけており、ホットティーとして飲んだ場合に香りが強すぎて飲みにくくなることもあるとの事。
よって初めはアイスティーとして飲む方法が良いかもしれませんね。



肌寒くなってきた夜に、温かく作ったアールグレイをナイトキャップティーとしてゆったりといただく。アールグレイが好みの我が母には至福の一時に違いない。これを提供しよう。
と、小賢しい工作にてちょっとした不祥事のお茶を濁す…いやいや償いを果たす事を考えたのでした。

2010年10月25日月曜日

フラーレン または カーボンナノチューブ

日曜日の朝、ゆっくり起き、まだ十分に目覚めない状態でテレビをつけました。チャンネルを回して、あれこれ眺めていたら、ちょっと変わった番組をやっていました。

カーボンナノチューブの第一人者である篠原名古屋大学教授が高校生や大学生を相手に公演をしていました。なんとなく見始めたのですが、あまりの面白さに3時間番組全部を見てしまいました。朝食も昼食も食べ損ないました。

化学の授業ではS〈硫黄)、C(炭素)、O(酸素)、P(リン)にある同位体を必須のものとして覚えます。Cの同位体は黒鉛とダイヤモンドでしたが、フラーレンというサッカーボール構造のものが20世紀後半に発見され、同位体の仲間入りをしました。最先端の研究は日本の名古屋大学や名城大学を中心として発展しています。篠原教授はまさにその担い手の1人で、ノーベル賞に値する人のようです。

篠原教授は研究者としては勿論、教育者としてきわめて優れた人物だと思いました。その3時間の公演で、フラーレンからカーボンナノチューブに至る歴史と化学上の進化をとても分かりやすく、楽しく説明されていました。フラーレンがなぜサッカーボールの構造をとるのか、それがどのようにしてカーボンナノチューブになるのか等など興味の尽きない話があり、その一方で、フラーレンの研究の中でセレンディピティ(一生懸命研究をする中で、偶然得られる成果)によってどれだけ多くの物が得られたかの話があり。若い科学好きに是非見てもらいたい公演でした。

この番組で『へえー』ということが沢山あったのですが、そのうちの一つはフラーレンの名前の由来です。山岳用のテントは昔はハウス型(家の格好の骨組み、三角形の構造)をしていました。それが軽量で強靭なドーム型テントに変わってきます。そうしたドーム構造の建造物(ドームハウス)を提案したのはフラー博士でした。彼の名前はずっと前から日本でも知られていました。ドームハウスはフラードームとも言います。そのフラー博士の名がフラーレンの由来だとは思ってもいませんでした。

本1冊分あるいは2冊分に値する公演でした。NHKでなくては放送できない代物ですが、これに関してもう一つ『へえー』ということがありました。『地デジ』ではNHK教育が2つあるということです。同時に2つの別の放送をしていました。最初はそれが理解できず、驚いてしまいました。


(注)セレンディピティとは、『アラビア海をさまよっていたアラブの王子が、苦難の末、豊かな宝の島、セイロン(アラビア語でセレンデップ、現スリランカ)を偶然発見したという昔話』に由来するもの。苦難の研究の中で偶然、求めていたものとは別の豊かな成果を手にすること。

2010年10月24日日曜日

「ピカソの話しから」から

「ピカソの話」と「ピカソの話から」につづいて。

芸術の秋、素敵です。
最近テレビやラジオでも美術展の話題が良く出ます。
特に今hotなのは、六本木の新東京美術館で開かれている「ゴッホ展」。

ゴッホといえば、代表作「ひまわり」にもあるように、絵具の質感を前面に出した、明るい色彩の絵が印象的です。

しかし絵とは対照的に、彼の人生はかなり厳しいものだったようです。

ゴッホは20代後半まで仕事を転々とし、どの職もうまくいかず、
そこから好きだった絵画の道に進み始める。

しかし、どんなに素晴らしい作品を書こうとも周りには認められず、
精神的に病んでいってしまう。

37歳でピストル自殺をしてしまうまで(一説による)、売れた絵はたったの1点。

彼は人生で、仕事もうまくいかず、絵画でも成功しなかった。
精神的に病んでしまうことも少しわかるような気がします。

彼の絵はやがて彼の死後に認められるようになる。

興味深いことに、傑作といわれる作品の多くは彼の死の直前に多い。

彼の末期の精神状態が、作品に命を吹き込んだのかもしれません。

芸術を評価することは難しい。












2010年10月22日金曜日

タイムリープ

最近部屋が少し散らかりやすい事が気にかかっていたのですが、その原因は物が増えてきてしまって、収納が飽和しがちになっている点にあることがわかりました。
スペースを確保するために本棚を開いたのですが、そこである本に目が止まりました。


「生協の白石さん」


発売日は今から5年前の2005年11月3日。前年には「電車男」がブームになるなど、インターネットで時の人が出てきた初めの頃でしょうか。うわー懐かしいと思いつつも、ページをめくりだしたら止まらず、つい読みふけってしまいました。


ご存知のない方の為に補足しておきましょう。
大学生協の職員である白石さんは、生協に寄せられる「一言カード」に対しての返信をしています。この本はそのカードの内容をまとめた本なのですが、ここではごく稀に寄こされる「変な質問」に対して、彼の真面目でユーモラスな回答でのやりとりを抜粋して編著しているのです。
例えば次のようなものです。





Q.学校に入学してから

チョコバットをひたすら買ってるのですが
いまだにヒットすら打てません。
相手はどんなピッチャーですか?(リトル松井)



A.あえて類別するならば、
なかなか「特典」を与えないピッチャーです。
会心の一打を放つ事、お祈り申し上げます。(白石)


 
人の発言に対して真摯に受け答える事は意外と難しいものです
しかしあらゆる角度からの発想に応える柔軟性は有能で魅力的な人間へのひとつの条件でしょう。そう思うと同時に、自分は5年前と今とでその要素が成長したかと考えた時、唸ってしまいます。 次に開けるときには胸を張れるよう、日々の努力が必要ですね。
 
 
…こんな調子のおかげで、開ければ止まる片づけはなかなか進行しないのでした。
 
 
 
 
 
 
※「がんばれ、生協の白石さん(http://shiraishi.seesaa.net/)より引用。
本を買わなくても、上記ブログにまとめてありますので興味のある方は一読を。

2010年10月19日火曜日

優しさ

芥川龍之介の息子、故芥川也寸志(あくたがわやすし・作曲家)がその晩年に
『悲しみに近い番地に住んでいるほうが人に優しくなれる』
ということを書いていました。

龍之介の子に生まれ、若い時期に父の『自殺』があり、その後の人生が簡単なもので無かったであろうことは容易に想像ができます。その中で悲しみの中に身を置くことを学んだのかもしれません。
龍之介に酷似した相貌、優しい語り口、鋭い洞察。ぼくは彼のファンでした。


優しさは他者に対する共感から始まります。最近、ネットや社会情勢を見ているとどんどん優しさから離れていくと感じることが多くなりました。社会性が希薄になっているのでしょうか?

ハードボイルドな探偵小説を書いた作家レイモンド・チャンドラーは作中の探偵フィリップ・マローに
『強くなくては生きていけない、優しくなくては生きる価値が無い。
 If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. 』
と言わせています。

生きることに余裕がなくなっている・・・のかもしれません。優しさを教える教育ってどこでするんだろう?そんなもの必要ない?そんな意見があることも知っていますが・・・

2010年10月17日日曜日

内申点についての雑感・・その1

中学の評点(内申点)が出揃いました。中2の後期以降の評点は高校進学に直接影響があるため生徒も僕も当然、気になっています。

評価が相対評価から、絶対評価になり点数そのものは以前より全体的に上がっているようですが、いろいろなところから不満の意見が聞こえてきます。

一番大きいのは、中間、期末の点数が評点に繁栄されていないというものです。『A君は40点で3なのに、Bさんは35点でも4だった。』という類のものです。意欲・関心・態度といった点数化が困難なものがどのように処理されているか不明だからでしょう。教師の恣意的な判断が働いているのではないかという意見もあります。

学校でなくても、人間が人間を評価するとき、こうした問題は必ず付きまといます。『何であいつが俺より先に課長になるんだ?』というものです。

意欲・関心を示すために、どんなときでも大声と共に手をあげる。座席はできる限り最前列に座れるように全力を尽くす。知っていることでも知らないふりをして先生に質問に行く。授業中は先生の顔を見て、必ず頷くようにする。授業前に今日やる部分の教科書を開いておく。ノートはカラフルに4色以上を使って美しく書く。その他、ここに書くのも馬鹿らしいほど様々な工夫?があるようです。
実際、そんなことするより前にするべきこともあるわけで・・・。

うーん。この話は、長くなりますから、少しずつ書いていきます。

2010年10月15日金曜日

ピカソの話から

長尾先生のピカソの話に便乗します。

ピカソは青の時代と呼ばれる若い時期から、キュビズムを通過し、その後、分解されたフォルムが再び統合されるまで、彼自身が美術史でした。

40年と30秒というのは良く分かる話です。40年の苦闘の果てにいとも軽やかに巨体が浮遊する後期の作風へと変貌していきます。

さて、こうした話からも教訓を得るのは、教育に関わるものの悲しいさがですが、無理やり結び付けて見ましょう。

勉強にも個人の歴史があります。同じ学年の中3が2人いるとします。彼らにはその前の14年という人生があり、その中での勉強の個人史があります。2人が同じ30分の勉強をしても、その成果は全く異なります。蓄積してきた過去が異なっているからです。まさに、14年と30分なのです。では、挽回できないのかというとそういうわけではありません。ただし、その蓄積を無視して、挽回することができるわけではありません。その分は何らかの形で補われなければなりません。

2010年10月14日木曜日

真価を説く為には

パブロ・ピカソについてこんなお話がある事をご存知でしょうか。



とあるパリのレストランにピカソはいました。
それがピカソであるとわかったある女性客が「このテーブルナプキンに絵を描いてください」とお願いします。


ピカソはこれに応じ、30秒ほどで描きました。
そして彼女にそれを手渡し、「1万ドル(現在なら約85万円)です。」と告げました


予想外の発言に驚いた女性は「でも、たった30秒ではないですか!」と反論します。
しかしピカソは「いいえ」といい、こう続けたのです。




「40年と30秒です」




この話について、あなたならどう思いますか?
僕ならやっぱりそんな大金を支払えない!と思う一方で、彼の言う事も否定しきれません。
その作品は確かに40年と30秒がなくては存在し得ないのですから。


この様に、モノはその表現如何によって価値が大きく変わる事があります。
プレゼンテーションやネゴシエーションにおいてこのスキルは非常に大切です。新しい研究や概念は一見「何の役に立つのか?」と思ってしまうモノがあります。これを普及させられるかどうかは彼らの腕次第なのです。


我々で言えば、数学や英語はクレバーな思考を身につけるためにも大切なスキルですが、生活に直結しないため子供たちにはその価値が伝わりにくいものです。
それを示すべく、黒板を使ったプレゼンテーションで日々勝負しています。

2010年10月13日水曜日

今何をしているかを考えながら学習する

大リーガー松井秀樹の話です。彼は野球を始めた少年時代から、現在に至るまで毎日素振りを欠かすことはありません。

『素振りは究極の練習です。想像力次第でどんな状況にも身をおける。例えばまず、投手の姿を思い描く。球種とコースを考える。球の高低、内か外か。直球を打ちに行きカーブが来た、などの自由な設定でも素振りは可能。僕はどの球、コースでもセンターに打ち返すイメージで振ります。・・・・略・・・ 何も考えずにただ振ることは意味がありません。・・・必ず、試合での打席をイメージして振ります。』

こうして彼はワールドシリーズでMVPとなりました。

能力にあまり差の無いと思われる二人の生徒が、同じ勉強をしても同じ成果を得るわけではありません。その成果の差が能力によらないならば学習の質に違いがあるはずです。2人の高校生が同じ数学の問題を同じ時間解くとします。一方はさっさと解き始め一題終わるとすぐに次の一題にとりかかります。もう1人は問題の意図を考え、何を要求されているのか、今、自分がしていることは何なのかを考えながら解いていきます。一題終わった後にはその問題の解答に至る思考の流れを確認して、次の問題にとりかかります。こうした作業は短時間にできますから、処理した問題量はたいして違いません。前者の生徒はテキパキと問題を解いているので一見良さそうに思えますし、本人もやっているという感覚を持つだろうと思います。ただし、ひと月もするとその問題はすっかり忘れられていることも珍しくありません。あるレベル以上の問題ではこうしたことが良くあります。

勉強も運動も、自分のしていることを自覚的に意識しているかどうかによって、大きな差が出てきます。今、何のために単語を書いているのか。今、何のために計算をしているのか。意識しておきます。それが無いと、単語や計算が頭の中を通過していくだけになり残っていきません。いわゆる『練習のための練習』になってしまいます。

2010年10月12日火曜日

二芸に秀でる

集団社会において、自分を見出すにはどうすれば良いでしょうか。
価値ある人間であるとはどういうことでしょうか。




どの分野においてもそうですが、ある程度システムが熟成した分野では"マルチな能力"というものが必要とされてきます。
例えば先のサッカー日本vsアルゼンチン戦では、アルゼンチンのゴールを防いだシーンの一つに岡崎選手のナイスクリアがありました。攻撃だけでなく守備にも献身的な彼の能力がチームの危機を救ったのです。


しかしそれと同時に、レギュラーやアカデミックな栄誉を得る為には他には無い突出した能力も必要となります(もちろん「高い総合力」という選択肢もありますが)。
またも岡崎選手を例に取ると、彼は飛び出し(守備陣の裏をかいて抜けだしボールをもらう事)が優れていると言われます。(自称)足の遅いFWである彼が日本代表に選出され、世界でゴールを挙げている理由はここにあります。


ここまでの話を総合すると、岡崎選手のスキルとは
「飛び出しの速さ×攻守に活躍する姿勢」
であると考えられます(僕は岡崎選手ではないので正確ではないのかもしれませんが)
いかがでしょう。個性を主張しつつ、全体をフォローしている選手像がイメージされてきませんか?




経験上ですが、よく言う「一芸に秀でた人間」には
・それ以外がイマイチ
・その分野で他にもっとすごい人間がいる
という事が多く、チームとしてはサブに回る事が多いと思います。いつ不必要になるかわからない存在でもあるため本人にとっても安住すべき位置ではないでしょう。


しかし、「二芸に秀でた人間」となった途端、状況は一変します。
なぜならバリエーションが一気に多彩となる為、組み合わせ次第で他の人と被る事がぐっと少なくなるからです。仮にサッカーの売り出し文句の数を20個とすれば、一芸では20通りだったものが、二芸では20×20=400通りの個性が考えられます。


後は自分のアイディア次第です。もちろんあえて同じ芸を組み合わせて徹底的に突出する決意を固める事も良いでしょう。
個性に確かな価値が存在し、理想像に努力が追い付いた時、きっとチームはあなたを手放す事は出来ないでしょう。




ごまんといる情報学習得者にあって自分がどんな存在なのか。
ごまんとある塾にあって悠々館はどんな存在なのか。
ひとつのアイディアモデルとしてこんな事を考えています。







※20×20=400について
二芸といっても、僕の中では(第一能力)>(第二能力)といった考えであり、(第一能力)×(第二能力)と書くために400通りになります。例えば
「シュート精度×ポストプレイ」と「ポストプレイ×シュート精度」は違うという意味です。

2010年10月10日日曜日

精霊バッタ

育てているスウィート・バジルの葉が殆ど食べられてしまいました。”精霊パッタ”のせいです。お盆の頃から増え始め、その姿が精霊流しをする船に似ていることからその名がついたようです。水をかけると何匹ものバッタがバッタバッタと飛び出してきます。彼らがバジルを食べつくしているようです。

このバッタの名前を長い間”小乗バッタ”だと思っていました。頭を上下する様子が小乗仏教の仏教徒の礼拝に似ているので”小乗バッタ”というのだと誰かに聞いたような気がします。頭を動かす仕草が米をついているようにも見えるので、”米つきバッタ”とも呼ばれます。ネットで検索してみたのですが、”小乗バッタ”では何もヒットしません。思い違いだったのかもしれません。

秋になり、大きなメスの上にずっと小さなオスが乗った、つがいのバッタが何組もバジルの葉をかじっています。

『むっ、待てよ・・・。小さいのが乗っているのだから小乗バッタか?” 謎は深まるばかりです。

2010年10月8日金曜日

大人の常識子供の非常識

【常識】
健全な社会人なら持っているはずの(ことが要求される)、ごく普通の知識・判断力。(新明解国語辞典』より

社会には『常識』と言われるものが沢山散らばっています。例えば


「キャベツとレタス」違いは?
「料理のさしすせそ」とは?
「~行と書かれた封筒」を返送する際に何をしますか?
etc…


答えられたでしょうか。これらは家庭でよく使うものですので、20を過ぎた人ならば知っておいたほうがいいことであることは誰でもわかりますね。
では次の例はどうでしょうか。


「ISDN」って何の略?
「ワンセグ」のセグって何?


先ほどより正答率は低くなったかと思います。これらは同じく僕達の生活において身近にあるものですが、決して常識ではありませんね。
しかし僕らITの分野を専攻する人間にとっては知っていなければ笑われてしまうことでしょう。
ここで言いたいことは、「年齢」や「専攻職」によって常識が変わってくるということです。


こと僕達塾講師は学校教育についての知識の塊です。よって公式や解法等は常識の様に引き出す事が出来ますし、そうでなければなりません。
しかし生徒達はこうは行きません。僕らにとって当たり前のことであっても、彼らにとっては新しい事であるのですから。


新しい知識をいかに早く馴染ませられるか
「そんなの当たり前じゃん」と言わせる事ができるか
常の知識と昇華させられるか


焦らず、それを一つ一つ積み重ねること
授業でも私生活でも、最近はこんな事に気をつけながら学んで行こうと考えています。

2010年10月6日水曜日

我が意を得たり

病院の待合室で、普段ほとんど読むことが無い週刊誌を時間潰しに見ていました。その時、目に止まったのは”学習塾おすすめの中高一貫校ー首都圏有名400塾、塾長、教室長アンケート”(サンデー毎日)でした。

首都圏の中高一貫校が様々なテーマでランキングしてありました。それ自体はそんなに面白い記事ではなかったのですが、最後の方に『中学校に入ってから伸びる生徒はどんな生徒か?』というアンケートの結果がありました。

1位は『素直な子』 圧倒的一位で、全体の60%程度の人がそれを挙げていました。
2位は『集中力のある子』 これは、当然ですね。1位から随分離されていました。
以下・・・・・・・

結果は極めて普通で当たり前なものばかりでした。ぼくが考えるものとほとんど変わりません。だからこそこのアンケートは意味があると感じました。将に、我が意を得たりです。

乾いた砂に水をかけると、水が隅々まで伝わっていきます。教えたことがそんなふうに生徒に伝わっていくと感じることがたまにあります。そんな時、生徒は見る見る学力を向上させ、驚くほどの勢いで成長していきます。それは素直さや謙虚さと関係しています。他人の考えをどれだけでも受容することができる状態になっているのでしょう。

ただし、ここでの『素直』『謙虚』とは日常の、或いは個人の性格のものとは必ずしも同じではありません。勉強に関しての『素直さ』なのです。それは自分自身の『知』がたいしたものではないこと知ると同時に、自分の外にある巨大な『知の体系』に敬意を払えるかが問題です。

アンケートの下位に『話の聞ける子』というのがあったことを最後に付け加えておきます。

2010年10月3日日曜日

緊急地震速報

マナーモードにしているはずの携帯電話から突然聞き覚えのない呼び出し音が鳴り出した。運転中だったので無視しておいて、後で見ると”緊急地震速報”だった。”福島県で地震が発生し・・・・・”ということだった。この辺りでは何の揺れも感じなかった。

理科で学ぶP波が届くまでの僅かな時間、或いはP波がついてからS波が来るまでの初期微動継続時間の間に何ができるのだろう。これは真剣に考えておかなければ。塾ならば机の下にもぐる?運転中は車を止めて様子を見る?そんなことしか思いつかない。

以前、津波警報が出たとき、避難指示にもかかわらず多くの人が”前にもそんな警報が出たが、たいしたことが無かった"という理由で非難していないという調査研究があった。”本当に深刻な状況になるまで行動を起こさない人が大半だ”という話もあった。

今回のように何の影響も無い地震速報を頻繁に出すことが”狼少年”になるのか、それとも本当の災難のための予行になるのか。

何れにしても、個々人のレベルでの対応も考えておかなければならないようだ。来週、机にもぐる練習をしておこうっと。

2010年10月1日金曜日

中学前期期末終了

前期期末テストの結果が出揃いました。

次の4パターンに無理やり分類するとします。
①今度は良い点をとりそうだという予想通りに、良い点をとった者。
②今度は良い点をとりそうだという予想に反して、点数が伸びなかった者。
③今度は心配だなと思っていたが、予想に反して良い点をとったもの。
③今度は心配だなと思っていたが、その不安が当たったもの。

①の人。このまま頑張りましょう。多くの教科が一斉に点数が上がっています。変更すべきことは何もありません。油断と慢心を注意します。
②の人。何が足りなかったのか、一緒に検討しましょう。点数は直ぐに上がります。めげずに勉強を継続していきます。微調整すれば次は期待大です。
③の人。このパターンの人はあまりいまん。というのは普段の授業で実力を把握しているので、その予想に反して良い点をとるというケースは本当に稀です。世の中に、そうそう美味しいことはころがっていません。十分な勉強をしないで良い点をとるなんてことありえないでしょ。
④の人。失敗を繰り返しています。言ったことが治っていません。勉強以前の部分に問題がある場合が大半です。個々にいろいろな原因を考えることもできますが、ほとんどが勉強不足です(勉強しているようで集中していないものも含む)。あれこれ弁解を言わずに勉強しましょう。人のいうことに素直に従うことも必要です。

次は全員が①だと良いですね。