2011年9月30日金曜日

定期テストが終わって

受験用の理科と社会の教材を生徒に配りました。

次の定期テストまでは、学校の授業にあわせたこともしなければなりませんが、同時に受験を見据えた勉強もしなければなりません。

今日から使い始めた教材が使い込まれてぼろぼろになるのは今年の暮れ。その頃には、受験に、ある程度の目鼻がついているはずです。

定期テストのための勉強は局所的勉強ですが、受験はその断片的な勉強を体系化する役割があります。中学校までやってきた知識を俯瞰する。そんな気持ちをもっていれば、この3年間が何なのか、少し分かってくるかもしれません。

子供たちの表情が引き締まってきています。

2011年9月28日水曜日

アインシュタイン

”名古屋大など11か国の研究機関による国際研究グループが「ニュートリノは光よりも早かった」ことを示す実験結果を発表した・・・時事通信”

このニュースに心躍らないということがあるでしょうか?

何かの誤謬があるのではないか? ほとんどの物理学者がそう考えるのは当然だし、発表した物理学者自身がそう考えているふしもあります。

”選ばれてあることの恍惚と不安、ふたつわれにあり”と言ったのはベルレーヌだったか、それともボードレーヌか。そんな恍惚と不安をかの物理学者も味わったのでしょうか。

願わくば、物理の地平線に放たれた一石(アイン・シュタイン)が大きな波紋を起こさんことを。

2011年9月27日火曜日

最期の曲

ジャーナリスト鳥越俊太郎が人生最後に聞く音楽を探してアメリカへ行く番組をNHKでやっていました。彼は癌と戦っており、自分の最期に聴く曲を探しをしているのでした。

初めに南部ニューオリンズを訪れます。そこで、死者を墓場へ運ぶとき先導するジャズバンドに遭遇します。みな葬式用の正装で、先頭に日傘を持った黒人の老人、その後にトランペットやサックスを演奏する4~5人の黒人演奏者がスイングしながら続きます。

晴れた日中、その演奏はとびっきり陽気で、音を聞いて家から出てきた人々もその場で踊りだします。

それは、日本の悲しみに満ちた、静かな葬儀とは全く異なるものでした。澄み渡った青空の上の上。神のもとへ陽気に近づいていく。不思議な感覚のする行進でした。

先導する老人に最期の曲を訊くと、" I will fly away " という曲を薦めました。”私は神のもとへ飛んでいきます”という内容です。

奴隷制度があった時代。逃れようの無い過酷な人生は死を迎えるまで終わることはありませんでした。死ぬことは奴隷からの開放で、それは喜びだったのです。自由になって、神のもとに飛び立っていく。心躍るときなのです。「死も悪いもんじゃない」と。

南部の強烈な陽光の下、その葬儀の乾いた悲しみが良く伝わってきました。

2011年9月24日土曜日

単位について その2

小学生が速さの勉強をしているのを見ていました。

毎時5kmを5km/hと書いています。5km/hour ですから問題なし。
小学校でも/hを使うようになったのかと納得しました。

毎秒5mを5m/sと書いています。5m/secondですから問題なし。
小学生で/sを使うのかと驚きました。

毎分50mを50m/mと書いています。50m/minuteのことなのでしょうか?
うっ?これ、変でしょ?

浅学にして、50m/min は見たことがあるのですが、50m/mは見たことがありません。一つの単位の中に別の意味を持つ同じ文字を入れる。これで良いの?

昔、新聞や本が活版印刷だった時代。一文字分にmm(ミリメートル)を入れなければならず、斜めにm/mと書いて無理やり一文字分としmmを表していたことはありました。勿論、正しい単位表記というわけではありません。

誰か知っていたら教えてください。


算数と数学

『算数』と『数学』との違いは何か。いろいろ言う人もいますが、納得できる説明に出会ったことはありません。その理由を数学的に説明するものも目にしますが、実際は、数学上の理由ではなく、歴史的な、事務的な(文部行政上の)違いなのではないかと想像しています。

数学ではいろいろな言葉が途中で変化します。『丸』が『円』になり、『ま四角』が『正方形』になり、『変化の割合』が『平均変化率』になります。中学では『上に開く』グラフが高校では『下に凸』のグラフ。数Bで『数列の和』も数Ⅲになると『級数』になり、まるで出世魚のようです。

英語ではおそらく子供から大人まで circle は circle のはず。

数学を含めた多くの科学用語が明治以降の翻訳によっていることにその原因があるのかもしれません。『磁場』と『磁界』のように同じ内容のものが、異なる翻訳のまま現在に至っているものもあります。

いつの日か 『丸の面積をもとめよ。』とか『 三角形あいうと三角形かきくの合同を示せ。』とか『2あ+3あ=5あ』とかになる日が来るのでしょうか?そんなことはないか。

2011年9月22日木曜日

今週末の予定

22日(木)は試験明けのため、中学の授業はありません。小学生以外は通常通りです。中3は面接があります。

23日(金)祝日はお休みです。

24日(土)から、通常の体制に戻ります。

台風

久々に強烈な台風でした。

塾を休みにするかどうか悩みに悩んだのですが、テスト期間中ということで、中2と中3は授業決行。中1と高校は休講としました。

外で強風が吹き荒れ、様々なものがすさまじい音を立てながら、道路を飛散していく中での授業は、子供の頃の台風の一夜を数十年ぶりに思い出させました。

当時、日本の電力事情は悪く、台風になると頻繁に停電になっていました。その日は父が出張で不在。怖がり屋の母と小学低学年の子供たちがちゃぶ台の上のローソクを取り囲んで、吹き荒ぶ(すさぶ)風の音に怯えながら、食事をしていました。いつかこの夜に終わりが来るのだろうかと考えながら、風の雨戸を揺らす音に震えていたような気がします。

ふと気づくと、布団の中で、いつしか風はおさまり、隣で寝ている母親の存在を確認して安堵したものです。

翌日は台風一過の快晴。さわやかに澄み渡った青空の爽快感と、倒れている物置。垂れ下がった電線。不思議な光景でした。そんな中を友達と大声を出し、走って、学校へと向かっていたのでした。

2011年9月17日土曜日

自習室の開放

中学生がテスト前なので、土日に塾を自習室として開放します。
自習に使える時間は以下の通りです。
9/17(土)8:00~19:00
9/18(日)9:00~19:00
自宅よりも温度は高いですが、自宅では集中して勉強できない人などは遠慮なく来て下さい。

2011年9月15日木曜日

フィールズ賞

学校推薦で校内の選抜が決まる時期になりました。早々に合格を出した高校生がすることはたいてい自動車の免許を取ることと、アルバイトをすることのようです。最近は推薦入学の生徒のレベルの低さに危機感を抱いた大学が課題やレポート、場合によっては通信教育などの勉強をさせることもあります。それにしても、高3のこの時期から来年の4月まで半年以上(あるいはずーっと?)ほとんど勉強をしない者が大学に入学していきます。 驚くことです。

数学のノーベル賞といわれているフィールズ賞は40歳以下の数学者に与えられる賞です。4年に一度ということもあり、日本人の受賞者は僅か3人です。なぜ40以下の人に与えられるの分かりませんが、こう想像しています。

数学は物理、化学、生物などに比べ、経験や実験を必要としません。純粋に思惟することによってできる部分が大きい学問です。ギリシャの神、アポロが詩と音楽と数学の神であったのは偶然ではないのでしょう。詩、音楽、数学は、他の科学、芸術と比べ圧倒的にピュア・サイエンスなのです。こうした純粋に頭脳のみを使った活動は人間の持って生まれた部分の影響を色濃く受けます。そして、10代後半から30代でそのピークに達します。運動選手なら当たり前のことですが、数学もある意味で同様です。40代の頭脳は10代の頭脳のように動きません。そんなことが40歳以下の理由の一つかと考えています。

さて、その最も頭が動く、18歳から19歳の半年以上を大して、頭を鍛えることなく過ごす。運動選手が半年トレーニングをサボればどうなるか、誰にでも分かります。一方、頭の中は見ることができませんから、それがどうなっているのか分かりません。しかし、鍛えなかった体と同様になっていると考えてもそんなに間違ってはいないように思います。

推薦が決まった人。AOで受験する人。そのことを考えておいたほうが良いよ。

2011年9月14日水曜日

eight days a week

Ooo I need you love babe
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Eight days a week I love you
Eight days a week is
Not enough to show you I care

ビートルズのヒット曲”エイトデイズ ア ウィーク”の一節です。
昨日、長尾先生が書いた密度に触発されてこれを書いています。

高校の英語でこのときの ”a” は1ではなく、”~について、~あたり” という意味だと教わります。eight days a week は1週間に8日(それほど多く)ということになります。100分率のパーセント(per)と同じ意味ですからeight days/week ということになります。時速がkm/h, 密度がg/cm3 です。英語を母国語とする人にとってこれはとても自然なはずです。一方、我々日本人は小学校で毎時~kmと教わるのでちょっと違和感があります。5g毎立法センチメートルというときの”毎”という表現もしっくりしません。

若い人は誰も知らないと思いますが、かつて、演歌歌手五月みどりが ”一週間に十日来い”という歌を歌っていました。Ten days a week です。ビートルズを凌いでいます。そう言えば、ビートルズの”イエローサブマリン”を演歌歌手の金沢明子が歌っていたこともありました・・・

2011年9月13日火曜日

密度=?

昨日、「密度ってどうやって求めるんだっけ?」と聞いた生徒がいました。
突然ですが問題です。密度の式はなんでしょう?体積と質量を使います。
そんなの忘れたという人が多いでしょうか。
答えは【密度=質量/体積】です。
割り算なのでイメージしにくくて覚えにくいですね。ではこれでどうでしょう。


【質量=体積×密度】
質量は簡単に言えば”モノがどれだけ重いか”です。その重みは
・体積(ものの大きさ)が大きいほど重いイメージ
・密度(中身)が詰まってれば詰まってるほど重いイメージ
です。大きくて詰まってるモノの方が重いでしょう。だから割り算ではなく掛け算です。この式だけ覚えておけば、移行するだけで密度や体積も計算することが出来ます。


公式には丸覚えした方が良い(解の公式など)ものと意味を考えて覚えるべきものがあります。
考え方は色々ありますし、厳密でなくてもいいです。自分が納得できる考え方を見つけること、その過程もまた大切です。


ちなみに
「足し算じゃダメなの?」
「えぇ!?(←そこまで考えたことなかった)・・・まぁそこは割り切って覚えてくれよ。」
ここで「割ってないし」とかいう反応を期待した後、それが大分おっさん臭い発想なことに気づき少し落ち込んだ瞬間でした。。。

2011年9月11日日曜日

ベクレルとシーベルト

福島原発の事故以来ベクレルとシーベルトという単位はとても有名になりました。

今はそれに慣れてしまったのですが、かつてはマイクロマイクロキュリーというものを使っていたはずです。ここ20年程度の間に、いろいろな単位が変更されてきました。

最も影響の大きかったものは気圧の単位(パスカル、ヘクトパスカル)です。以前はミリバールが主でしたが、もはや死後となりました。同様に、中学の理科からg重(gW)が無くなり、N(ニュートン)が導入されました。カロリー(cal)もJ(ジュール)にその地位を少しずつ奪われてきています。

理由はNを中心とした単位の体系に統一するという考え方があるからです。そして、一方では、オングストローム(Å)やダイン(dyn)のように、学校教育の場から別の事情(簡単にするため?)で滅んだものもあります。

かつて、尺貫法を廃止することに躍起になっていた時代がありました。それを使っていると世界に遅れをとるといわんばかりでした。長くそれを使っている職人たちからの反発も強かったようです。

こうして、単位は私たちの日常から少しずつ離れていきました。シーベルトにいたっては最早、実感不能な魔物のようです。

2011年9月10日土曜日

高校期末テスト

高校のテスト対策授業をこの1週間していました。

テスト終了後の12時頃から夕方7時くらいまでほぼ休憩無しでの授業です。終わったときにはもうやることは無いと思えます。『満点取って来いよ』と言って、生徒たちを帰します。

昨日はα、βと2回ある数学のテストのβのテスト対策でした。その際、生徒が持ってきたαの問題を見て、勉強の方向に誤りがなかったかの確認をします。

全19題。90分のテストでは多少時間が厳しかった者もいたかもしれません。出題は完璧に予想通り、全て一瞬にして解法が分かるものばかりでした。塾でも全て扱っています。

この高校は旧学区最難関校なので以前は最後の数題は少し考えるものもありました。しかし、最近そのような問題に遭遇することはありません。全てお馴染の標準問題です。それでも、高得点がポンポン出てくるわけではありません。

能力というより、勉強量の多寡がものをいう種類のテストです。

点数が伸びなかった人には 『勉強不足!』の一言を投げかけざるをえません。

物理おたく

授業が終わった後、八木先生が『天体って一度理解すると、どんな問題でも絶対に解ける。いいですねえ』と言っていました。

物理にもそれと似たところがあります。数学の素養がある人が、ある単元に限って勉強したとします。1週間あればその単元の基礎を2日で学び、次の3日で中堅大学の入試問題を解き、次の2日で難関から最難関大学の入試問題を解くということがあり得ます。

そのどれもが同じ考え方が貫かれていること、そして曖昧な部分が殆ど無いことが理由です。それが分かるとこの教科の楽しさと偉大さに気づくはずです。

こうして、物理おたくが一人誕生します。

2011年9月4日日曜日

新学期

 中3はさすがに臨戦態勢に入ってきました。その中に夏休みで驚くほど学力を伸長させたものもいます。毎年そうした生徒はいるのですが、その伸びは感動的ですらあります。周囲の予想を遥かに超した成長をみせます。模試で5割ちょっとだった数学が9割強に伸びていました。そうした場合、本人の内部で何かが変化していることがわかります。学習態度が明らかに変わっているからです。他教科が同じように伸びてくるのは時間の問題です。彼は勉強の何たるかをつかみかけているのです。

 一方、中2はまだまだです。受験が近づくというような外的刺激がないとなかなか自分を変えられません。公立中の場合、ほとんどの生徒は受験をくぐっていないので、現実に対峙する経験を持っていません。『泣いても叫んでも、だめなものはだめだ』という現実に向かい合った経験がないのです。現在の自分が近い将来(たった、1年半後)の結果に決定的に関与しているということが実感できないのです。昨日の授業の後、その話を生徒に長々としておきました。外は台風の強風と豪雨。いくらか伝わったかな。

2011年9月3日土曜日

予行演習

単語を覚えたり、歴史を覚えたり、記憶は勉強のかなりの部分を占めています。

それを覚えるための技術も、脳科学の成果もあり、昔とは随分変わってきました。単語一つを考えても、様々な単語帳が様々な方法を提案し、なるほどと唸るものもあります。ところが、それを使っても必ずしも良好な結果が得られるわけではありません。どのような優れた方法でも、本でも、最後の部分は【覚える】という基本的な行為を前提にしています。その部分に問題がある人が増えているように感じます。

appleという単語を覚えるとします。その文字が目に入り → 網膜に映る → 神経を経由し → 脳に至る。そんな経路を情報が伝わっていくうちに、電気信号がどんどん微弱になっていく。脳に着くころにはほとんど無くなっている。そういう気がします。

その信号を強くする部分は気持ちなのではないか?昨日、三角形の相似条件3つを確認しました。「ちゃんと覚えていない人は残って覚えていくことにしよう」というと、皆あっという間に覚えられます。さっきまで、何度も間違えた人もです。これを覚えなければならないのだという強い気持ち、そこが欠けているようです。といっても、当人たちは覚える気があるというに違いありませんし、事実覚えようとしてもいるのです。ただ、傍から見ているとなんとも切迫感がないのです。

一度で身につけることは一度で身につける。そういう体験が少なすぎるのかもしれません。現代では、大抵のことはたくさんの練習を経て身につけるようになっています。学校でも家庭でも、予行演習を沢山して子供を育てていきます。そして、そのうち自然にできるようになると考えているふしもあります。

学校教育は延々と続く予行演習だというわけです。


トロンはどうなったのか?

なぜか『トロン』のことを思い出しました。

東大の坂村氏が提案した壮大なコンピュータシステムです。それを利用したものが全国の小学校で使われるはずでした。それ以外にも社会のあらゆるところで活用される可能性を持っているように思えました。

突然のそのプロジェクトが立ち消えになったのは、日米貿易摩擦で非関税障壁の1つとして、アメリカがトロンプロジェクトを批判したからだったように覚えています。

小学校でトロンが使われていたら、今の社会はどう変わっていたのでしょう。ウィンドウズなんか誰も使っていなかったかもしれません。残念な気がします。

この世の中では、必ずしも良いものが、採用されるわけではない。ということを再認識することになりました。ビデオにおけるVHSとβ(ソニーの開発したβは滅んでしまいます)のように。

そんなことを考えながら今日もウィンドウズの世話になっています。