2016年7月14日木曜日

夏になると思い出す

暑い日々が続いています。教室に入ってエアコンのスイッチをつけるとき、塾を豊原町に移転した最初の夏を思い出すときがあります。

その夏、N君は高校3年生でした。教室の鍵を渡してあったので朝7時から塾に来て勉強していました。黒板には朝から深夜までの予定がびっしり書いてあり、できたものは横線を引いて消してありました。ストイックに自分の目標を追い求めている雰囲気が伝わってきました。

彼らと数Ⅲの授業をするのは私にとっても楽しみでした。夏の初めころは難関大学の入試問題にはなかなか歯が立ちません。それでも、毎日、問題を解き続けていました。夏休みも終わろうとする頃、ある難問の解説をしているとN君が「あっているかもしれない」と呟きました。それは彼にとって、驚きと喜びの混ざった瞬間だったのでしょう。そしてその瞬間から、次々と難問を解けるようになっていきます。一つ上の段階に上ったのでしょう。その時の表情が今でも記憶に残っています。

今年の夏もそのように学んでいく塾生がいてほしいですね。

2016年7月12日火曜日

永六輔氏死去 (生きているということは)再掲

”♪~生きているということは~誰かに借りを作ること~
生きていると~言う~ことは~誰かに~その借りを返すこと~” (永六輔)

 インドを旅しているとき、人から小銭をもらうことが度々あった。最初に体験したのはニューデリー空港を一歩出たときだった。公衆電話を使おうとして、近くにいる同年代の若者にいくらで電話がかけれるか聞いた。彼は黙ってポケットから小銭を出し、使えと言う。
 それを使って電話をかけ終わると、小銭より少し高額の紙幣を返そうとした。彼は首を横に振って受け取りを拒んだ。そして「次は、君がその金を誰かのために使ってくれ」と言った。やせ細った浅黒い肢体と精悍な目、そして、破れた靴から指が出ていた。

”♪~生きているということは~誰かに借りを作ること~ ♪~” ぼくは鍋をぶら下げた大きなリュックを担いで、オールドデリーの街中に安宿を探しに出かけた。

・・・・・・永六輔氏が亡くなりました。”上を向いて歩こう”の作詞でも有名です。以前、書いた文を再度掲載しました。私が若かった頃、長いヨーロッパ放浪から日本への帰途のときのことです・・・・・・

2016年7月7日木曜日

徹夜勉強会

時々やっている徹夜勉強会をやりました。
今回は2週間後に定期テストを控えている高1の希望者対象に金曜夜から土曜朝までです。眠くなった場合は別室に敷かれた畳で仮眠をとります。

このような無理な勉強に意味があるのかと問われると正直「?」です。1時2時までは皆元気ですが、3時4時になるとかなり疲労してきます。当然、学習効率も下がってきます。


それでも、やる理由は多少の無理をする中で自分の限界が自分が思っているよりずっと大きいこと「あっ、俺ってもっとやれる」ということを理解するからです。そして、人生の局面局面で出くわすちょっと無理してでも頑張らなければならない事態への良い準備体操になるのではと思うからです。

もっとやりたいという声も大きいのですが、問題は私の体力のほうです。