2012年6月28日木曜日

時事問題

社会のテストで時事問題を出す学校が沢山あります。

今回出題された問題にはこんなものもありました。
「ドルトムントの香川選手が移籍したマンチェスター・ユナイティッドはどこの国のチームか」
「最終予選でセルビアに勝ってオリンピックに出場することになったスポーツは何か」

スポーツ好きにとっては簡単な問題ですが、多くの中学生が毎晩プロ野球ニュースを見るわけではないでしょう。そして、スポーツ新聞の3面を読んでいるわけでもないでしょう。これに点数を付けて、成績に反映させる。どうかなと思います。何のために時事問題を社会の問題の一部として出題するのか考えたことがあるのでしょうか。

次の10人はAKBとSKEのどちらかに所属しているか、記号で答えよ。こんなのもそのうち出てきそうです。

2012年6月24日日曜日

ゲームセンス

日系カナダ人・若林仁はアイスホッケー選手としてカナダで活躍しました。来日して、西部鉄道、国土計画で選手や監督として長く日本のアイスホッケーの発展に力を注いできました。

彼が、
「日本人は基礎練習を沢山する。練習のほうが試合より多い。だから、技術はとても上手い。でも、ゲームセンスがない。カナダ人は下手なうちからたくさん試合をする。だから、ゲームセンスが良い」
というようなことを言っていました。

ホッケーにかかわらず、他のスポーツでも、或いは勉強でも、概ね同じことが言えるような気がします。

数学の勉強は数学の問題を解くことだと思っている人が殆どです。実際、私たちのやっている数学は沢山の練習問題を解くことです。新たな公式や法則に至ることはまずありません。与えられた練習問題を正確に早く処理をする練習をしているわけです。

その結果、大学で突然数学が苦手になる人がいます。大学の数学は高校のような練習問題を沢山解くことではありません。僅かな例題と類題の処理をして、さっさと次の定理へ進んでいきます。そのスタイルに慣れない高校数学の秀才が沢山います。数多くの基礎練習をしないと試合ができない。そうした体質になっているのかもしれません。

もっとも、最近の日本代表のサッカーを見ていると、外国人に「ゲームセンスがない」などとは言わせない、豊かなセンスを持った選手が何人もいて、頼もしい限りです。

2012年6月23日土曜日

居残り

英語の人称変化( I my me mine です。)が書けない中1の生徒を残して、書けるまで再テストをしました。2度、3度失敗し、なかなか覚えられません。時間は10時を過ぎています。家に電話を入れさせて、こちらもとことんやる気です。

途中、以前の教え子がお菓子を持って訪ねてくれたり、通りかかった父兄が顔を出してくれたりもあり。7度目か8度目。ついに全部書くことができました。

中1の英語では、人称変化以外に、三単元のs、be動詞と一般動詞、複数形など幾つかの山場があります。それを確実にひとつずつ越していきます。勉強はいつも辛いわけではありません。急登しなければ登れないピークと、登り終えてしばらく続くなだらかな尾根と、その繰り返しです。このピークをごまかして迂回してしまうと、山頂にたどり着けません。キチンとした勉強とはこうしたピークを1つずつ、遠巻きすることなく直登することです。

彼は今日ピークの1つを登り終えたのです。

気をつけて帰るように諭して家に帰らせ、後片付けをして塾を出ると、町は未明の沈静の中にありました。

2012年6月21日木曜日

面接について

来春の高校入試では内申点、学力検査とともに面接が全員に課され点数化されます。学校ごとに質問の内容が発表されていますから、練習は必須です。試験官2人に受験生1人。時間は10分程度です。

個人的体験では面接で人を選ぶのはなかなか難しいものです。第一印象が当たった例がありません。誰もが自分を良く見せようとしてくるので、正直な人間は逆に印象が悪かったりします。私の友人たちの第一印象はたいてい良いものではありませんでした。彼らは取り繕うことなく、正直に自分自身を私に見せていたからです。「変なやつだなあ」と思った人が後々の親友になる。逆に、「すごく良い人だなあ」と思った人が全く違っていた。こんなことは普通にあることです。

とはあれ、私たちもある時期から面接の練習をしなければなりません。昨年までも、前期選抜の面接練習はしていたので、それを深化させる形でやっていくことになります。

最近こんな話を聞きました。あるトップ校の学校説明会で「面接の練習をする時間があったら、勉強してください」という趣旨の発言が学校側からあったというのです。正論です。私の言いたいことを先に言われてしまいました。

2012年6月20日水曜日

2番

今回の中間テストのことです。

「学校で2番でした」そう言って学内順位の書かれたグラフを得意そうに見せてくれた生徒がいました。「そう。良かったねえ」と褒めて、テストの詳細を見た後、ケアレスミスを見つけ、「でも、もうちょっととれば1番だったよね」と言ってしまいました。おそらく後一題、彼女にとってつまらないミスがなければ1番になっていたでしょう。

「はい、次ぎ頑張ります」と言って、話は終わったのですが、私は帰りの車の中で反省していました。なぜ、あんなこと言ってしまったんだろう、という後悔です。 大規模校での2番ですから、標準的な人数の学校なら1番かもしれません。素直に、単純に喜んでやればよかった。そう思いました。実際、私は心の中で随分喜んでいました。ても、職業柄よけいな一言が出てしまったのです。

「2番じゃだめなんですか?」と言った国会議員がいました。そんなことありません。「1番なんてどうでもいいよ。2番で十分すごいじゃない」

いつものように、その晩、酒量が増えたのでした。嬉しい夜でした。

2012年6月19日火曜日

武道の必修化

安全性が確保できるのか、指導者がいるのかという批判もありましたが、武道(主に柔道のようです)が中学体育の必修になりました。

柔道を学ぶことは悪いことではないと思うのですが、気になる点が2点あります。

①ある種のスポーツは最初に身を守ることから始める。
 カヤック(カヌー)は最初に沈(ひっくり返ることを沈と言います。カヤックはいとも簡単に沈します)したときに、どのようにしてセルフレスキュー(自己保身)するかを学びます。これをしないと死ぬこともあるからです。川の流れの中でひっくり返ったカヤックから抜け出し、カヤックを起こし、下流の岸までパドルとカヤックと一緒に泳ぎ着く。そこまでできない限り流れのある川に漕ぎ出すわけには行きません。
 柔道も同じです。人を投げる前に、十分な時間、受身の練習をするはずです。この練習がおろそかだとその後、怪我をする恐れがあります。受身一つを見ればその人が上級者かどうかすぐに分かります。全国上位の柔道家の知り合いがする受身はそれは迫力があるものです。その部分にしっかり時間をかけれるのか?

②武道なのかスポーツなのか。
 武道をやる一番の意義は心を鍛えることでしょう。心・技・体。どの1つを欠いてもいけないはずです。それが無い武道は武道ではない。似て非なるものです。それができるのでしょうか。個人的には心を鍛えない武道には魅力を感じません。電車の中で剣道の防具を通行の邪魔になるのもお構い無しに置いている高校生を見るとあまり期待はできないと思えてきます。

新指導要領の改変はこういった所にも及んでいます。

2012年6月18日月曜日

数学Ⅲ

日曜日は中3のテスト対策と高3の数Ⅲを行いました。

数Ⅲをすると数学の楽しさの端緒に触れることができます。小学校から数Ⅱまでの数学と一線を画します。ここから先は大人の数学だよ。という感覚があります。いままで、気にしていた様々な制約とは無関係に、厳密で、詳細な厳しい解を作っていけばよいからです。

例えば、有理化。数Ⅱまで、分母の有理化は必須です。その理由は数学的な要請ではないはずです。なぜ解を有理化しなければならないのか理解できません。採点に都合が良いからかもしれません。あるいは、文科省の指導かもしれません。それが、数Ⅲになると、分母の有理化が必須でなくなります。そんなことは本質ではない。もっと重要なことがあるといっているように思えます。

”ゆとり”になるずっと前から、数Ⅲを学ぶ高校生は激減しました。一番大きな理由は私大理系学部の多くが、受験しやすくするために数Ⅲを受験科目から外したからです。かつては慶応大学経済学部のように文系でも数Ⅲが必要な骨太な学部がありました。現在では一橋大の後期が文系では唯一だと思います。余談ですが、数学の素養のある経済学者の多くは理系学部からの転部だという話を聞いたことがあります。理系でも数Ⅲを必要とする大学は私大では少数派です。

小学校からの同級生の中で、半分が高校で理系を選択するとして、その理系の半分かそれ以下しか数Ⅲを学びません。大目に見ても、同世代の4分の一弱。現実にはもっとずーと少ない人しか数Ⅲをやりません。

数Ⅲは楽しい。もっともっと多くの人に学んで欲しいと思います。

2012年6月17日日曜日

特色検査

新高校受験制度で特色検査をする高校があります。特色検査は2種類あり、ひとつが自己表現、もう一つが実技です。
その内容については各校が概要を発表しています。しかし、具体性を欠くため、実技はともかく、自己表現のほうは必ずしも内容が明確ではありません。

この周辺で自己表現をする高校は、平塚江南、湘南、小田原、厚木といった旧学区トップ校です。合否に関する内訳は 内申:学力検査:面接:特色検査 の比率で

江南  4:4:2:2
湘南  3:5:2:1
小田原 3:5:2:2
厚木  3:5:2:2

となっています。

特に地元の平塚江南は学力検査の比率が上記各校より低く(つまり、内申の比率が高い)特色検査の得点は学力検査の半分(つまり、2.5教科分)となります。特色検査は英語、数学、それに国語の半分の得点と同じ重みを持つことになります。

数学一教科にかかる勉強はかなりなものです。それが二教科半です。その二教科半と同じ得点のテストが内容もはっきりしないままに実施される。頑張っている受験生にとって、「英語と数学と国語半分の得点と等しいテスト、他にするからね。内容は未だ ひ・み・つ!」といっているわけです。以前にも書きましたが、”受験は博打(ばくち)ではない”のです。合格に向けて、周到な準備と努力をした者に門戸が開かれるべきです。その意味でも今回の改変は拙速の感を免れません。

一刻も早い具体例の発表が待たれます。

2012年6月16日土曜日

一区切り

高橋容疑者が逮捕されました。彼の顔写真はあちこちで見ていました。

今から十数年前の一月、スキーをしているときでした。休憩に入った山小屋のTVで、事件の様子が実況されていました。それは地獄絵図というような、息を飲むものでした。「こんなことがありえるのか?」と思いつつ、画面に見入りました。

オーム真理教は既に有名でしたし、坂本弁護士一家誘拐事件や松本サリン事件との関連も取りざたされていました。
”サティアン”と呼ばれる教団施設の大きさと、中で行われているサリンなどの製造。その犯罪のスケールの大きさに、想像力がついていくことができないほどでした。

高橋容疑者の逮捕で一区切りというところでしょう。多くの有能な若者を魅了し、あのような暴挙に向かわせたのはいったい何なのか気になるところです。今の若者の心の隙間があの当時より小さくなったとは思えないからです。

余談ですが、二の宮町にある演奏会などの行われる公共施設の前を車で通るたびにオーム真理教のことを思い出します。というのはその施設の名が”ラディアン”だからです。

2012年6月10日日曜日

社会性のない自販機

空き缶やペットボトルを捨てるケースを置いていない自動販売機があります。中には「ここで買った以外の缶・ペットボトルをここに捨てるな!」という張り紙をしているものもあります。

ある自販機で買った人はそこで立ち止まって飲むわけではないわけですから、どこか他で処分することになります。そう考えると、自販機に缶を捨てるケースを設置するのは社会的責任であるように思います。

缶の処理をする気のない自販機からは買わない。それはささやかな抵抗でもあります。

似たような話ですが、公共の場所にゴミ箱を置かないところが増えてきました。ゴミは持ち帰ろうというものです。基本的に賛成ですが、ゴミの総量に変化がない限り、それは別の場所の負担になります。

美しくするということの多くはある場所からある場所に物を移動することだったりします。私の部屋の片付けは大抵そんなもので、整頓された部分と、その反動で雑然といろいろなものが押し込められた段ボール箱とに2分することと同義のような気がします。

かつて、平塚駅の地下通路には多くのホームレスがいました。今は、誰もいないはずです。尿の匂いもなく、綺麗になって利用しやすくなりました。しかし、その通路を通るたびに、彼らが何処に行ったのか気になります。

2012年6月6日水曜日

来春の高校入試

来春の高校入試の詳細が発表されました。

最も学力重視にすると内申:学力検査:面接=2:6:2となります。そのような学校は僅か3校でした。旧学区トップ校の殆どが3:5:2で大変意外でした。

近郊の高校は 内申:学力検査:面接の順で

茅ケ崎    4 4 2
茅ケ崎北陵 3 5 2
鶴嶺     4 4 2
茅ケ崎西浜 4 4 2
寒川     5 3 2
平塚江南   4 4 2 +2(特色検査)
高浜     4 4 2
大磯     4 4 2
二宮     4 4 2
平塚湘風  4 3 3
平塚農業  4 4 2
平塚商業  4 4 2
平塚工業  4 3 3

旧平塚学区に関しては、申し合わせたような数字が並びました。学力重視が予想されていましたが、全得点に占める学力検査の割合は、前受験制度の後期選抜よりも下がったようです。例えば、平塚江南の学力検査のポイントは1200点満点中の400点でしかありません。

大山鳴動して鼠一匹・・・というところでしょうか。

2012年6月1日金曜日

中間テスト

K中学が中間テスト真っ最中です。

テスト範囲表を塗り潰しながらやっていない部分が無いように注意します。テスト前日までには全ての試験範囲がマーカーで塗り潰されます。

授業が終わった後に、ある生徒が授業で使ったプリントを復習用に欲しいと言ってきました。よくあることです。テスト範囲の別のプリントが欲しいという希望もよくあります。彼らに、プリントを渡し、”頑張れよ!”と言って家に帰します。

一見、勉強熱心で良いように思えますが、試験前日にもっとプリントが欲しいと言う生徒の結果はあまり良くないはずです。キチンとした点を取る生徒はテスト前日には最早やるべきことがほとんどなくなっています。「あーあ、もう明日の数学100点以外、考えられない!」と言った生徒がいます。現在の公立中学の数学ならそう思う子がいても全く不思議ではありません。そして、そのような結果が出ます。

重要なのは、”やったことを確実にできるようにする(再現できる)”ということで、沢山の問題を解き散らかすことではないのです。