2011年4月27日水曜日

カリスマと民主主義

 20世紀までは天才の時代でした。ニュートン、アインシュタイン、エジソン、マルクス、キュリー夫人、ケインズ、ドストエフスキー、ポアンカレ、ナイチンゲール ・・・・・ 小学校の図書館にある偉人伝には彼らがどれだけ優れた人であるかがいやというほど書いてありました。

かつての伝記は『彼が(彼女が)如何に天才であるか』を書き、 
そして、現在は『彼が(彼女が)如何に普通の人であるか』を書きます。

 それは、天才がいなくなったということではなく、個人のレベルで、民主主義が育まれたことと関係があるように思います。『彼ら天才も、我々凡人と同じ人間なのだ』という確信です。

 避難所を慰問した皇族が床に膝まづいて話しかけているのに、あぐらをかいて対応している被災者がいることに対して、あちこちで批判が出ています。私の年齢では、皇族でなくとも、目上の人が話しかけてきたら、あぐらではまずいと感じますが、これも民主主義の成果かもしれません。
避難所を訪れた首相に対しても同様なことが起こっています。

 ここ数代、日本の指導者は大変不評です。今度の震災でもっと強い指導力を発揮してほしいという声が大きくなっています。カリスマ性を持った指導者を望んでいる人も多いようです。しかし、一方で民主主義は強力なリーダーシップとは無縁のものです。世界に目を転じても、エジプトのムバラク前大統領。リビアのカダフィ大佐。カリスマの失脚が相次いでいます。民主化のうねりの中で、カリスマのマスクが剥がされているのです。

 21世紀になり、私たちは個人の価値の尊重と引き換えに、英雄喪失の時代を生きていることになります。

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