2009年12月21日月曜日

独自入試問題とは?

進学重点校(平塚江南・湘南・小田原・翠嵐等)の入試では英語、数学、国語の3教科が独自入試問題になっており、全県で行われる共通問題よりかなり難しいものになっています。

そうした問題を解いていて気になることがありました。数学の問題です。
中学入試によく出る典型的な問題がそのままか、いくらか内容を変えて出題されているということです。

例えば、水の中に物を沈めたときの水量の変化に関する問題。円周を移動する旅人算。様々な図形の面積比に関するもの。こうしたものは中学入試では基本中の基本ですが、公立中から公立高校へ進学する者にとっては全く見覚えの無いものだったりします。
逆に中学受験残念組にとってはかつてのなじみの問題です。

こうした問題を(おそらく)安易に採用することは、公教育全体の中での独自入試の意味が十分に検討されていないことの表れかもしれません。

独自を謳うからにはそれなりに独自のものを期待したいものです。

2009年12月17日木曜日

マリッジ数列って?

先週の木曜日、授業後に残っていた講師の先生二人と高校生と私とで立ち話をしていました。
その中で話したことです。

一般項が等差数列×等比数列になっている数列をマリッジ数列(等差と等比が一緒になっている)と呼ぶ人がいるという話になりました。

その中で、「ほら、和を求めるときに公比をかけて、項をずらして、差を取ってSを求めるタイプの問題あるじゃん・・・」と言いながら黒板にそれを書き並べました。
それを見て、皆一様に「あー。あれのことですか・・・」と納得してくれました。
ついでに、マリッジ数列の和をシグマを使って求める方法を説明すると大変驚いていました。

先生は二人とも江南から早稲田理工卒、生徒は江南2年なので、同じような数学環境にいたということは言えるかも知れませんが、殆どの日本の高校生はマリッジ数列の和を求めるのに、教科書に出ている解を唯一のものと信じて疑っていないように思います。かつての私も同様です。

こんな基本的かつワンパターンな問題にも有力な別解がある。それは、数学の醍醐味の一つでもあります。

受験数学が技術化し、「数学は解法暗記だ」という風潮が有力になる中、こうした別解を考える機会はどんどん減っていくのかも知れません。

良くも悪くも日本の数学は数研の教科書と数研の参考書(青チャート等)の数学なのだと感じることが多くなりました。

2009年12月15日火曜日

幸せな時

授業が終わって、11時過ぎに家に帰って、風呂に入って、ビールを飲む。その時、最高のつまみが何か分かりますか?

さかな? うーん、ちょっと違う。食べ物ではないのです。

それは生徒のテストの良い結果なのです。
定期テストでの、予想外の良い結果。模試の結果。受験の結果。それが最上のつまみです。

生徒の模試の望外の結果を見ながら『良かった!』としみじみと感じつつ、ビールを飲む。
この商売をしていて最高の瞬間です。その喜びは自分の子供と全く変わりありません。

さて、必ずしも予定通りの点を取ってこなかった中1の連中が今度の中間の英語で予想外の高得点でした。あれも心配、これも心配という気持ちだったので少しほっとし、ついつい酒量が増えるのでした。ヨッティ!ありがとう!

いよいよ、受験シーズンが迫ってきます。毎年、あれこれ考えて寝つけない夜が続きます。
Tよ!こだわるな!立ち止まらないで前に進め! Kよ。迫力を見せろ! ・・・

一喜一憂するなと生徒に言いながら、一喜一憂するのでした。

2009年12月14日月曜日

第2回 悠々会のお知らせ その2

塾生みなさん、お待たせしました。
第2回悠々会ですが、今度こそ日程決定です!

12月17日(木) 21:00~

日程的に、悠々会~忘年会バージョン~ですな。

今回は僕が料理を担当しようと思います。
ということで、鍋にしますよ~。

塾生にも手伝ってもらい、料理&食事を楽しみましょう。

2009年12月11日金曜日

調べ学習とパソコン

最近『調べ学習』と言うのが小・中学校で流行っているようです。『~を調べてきなさい』という宿題です。この作業には2つのポイントがあります。一つはどのような手段で調べるか。もう一つは調べたものをどのようにまとめるかです。料理に例えると、まず材料を集め、次に料理をするというわけです。

その材料集めは殆どがネットでされます。まずテーマの検索をします。ウィキペディア等で出てきたものの中で使えそうなものをプリントアウトします。それを適当にまとめて出来上がりというわけです。調べるという作業に伴う、様々な労苦やアイデアが見事に無くなっています。

さて、問題はネットに流れている情報をどう評価するかです。

あるテーマで検索したところ幾つかヒットしたとします。
Aはそのテーマの専門家によるもので生のデータを扱っています。
Bもそのテーマの別の専門家によるもので異なる意見と別のデータを扱っています。
CはAとBを見た素人で、その両方を取り入れ、まとめています。この段階で生のデータから1段階遠ざかっています。そして、Cは専門家でなく、そのテーマが良く分かっているわけではありませんが、A、Bより良いものを作ろうと考えるため、見栄えの良いものを作りました。
これを見た小学生はCが最も扱いやすく、見た目も良いのでCをプリントし、宿題を完成します。

これが『調べ学習』です。

ネットの中に流れている情報をどのように判断し、価値付けるか、それを教えてから『調べ学習』をすべきではないかと思うのですが如何?

2009年12月8日火曜日

自己表現その2

小田原高校や大磯高校の前期選抜における自己表現というよく分からないテストについてもう一言。与えられたテーマで面接時にスピーチをするというものです。前回はそのテーマを本人以外の誰かに考えてもらってスピーチする人が大半だからそうしたことを点数化することに意味があるのかという問いかけでした。今回は別の側面から一言。

私の昔の友人Kのことです。彼は極端な吃音(所謂どもり)でした。

少し緊張すると
『ぼっぼっぼっぼっぼっ・・・・・ぼくは・・・きょきょきょきょ・・きょきょきょ・・・きょう・・・がっがっがっがっがっこうに・・・・・いいいい・・・・いいいい・・・・いいい・・・いったとととと・・・とととき・・・・』
という感じでした。それを聞いている人たちは始めは我慢していますが、やがて、耐え切れずに笑い出してしまうのでした。

吃音を治すため、ありとあらゆる治療を受け、個人的に勉強し、研究会に入り、最後はその研究のため金沢大学の医学部に入学して医師になりました。しかし、彼の吃音はさほど改善されていません。

彼と話すときには親友の私も緊張する場面がしばしばあります。地下鉄のホームで話していたとき、通り過ぎる電車の音で彼の話が聞き取れませんでした。思わず、
『なに?』
と聞き返してしまいました。
途端に、彼の目に緊張の色がはしりました。
『ぼっぼっぼっぼっ・・・ぼぼぼ・・・・・』
ぼくたちはお互いに泣きたい気持ちでした。

さて、自己表現はこうした人たちの受験機会をどのように担保しているのでしょうか。
拙速で配慮に欠けた方法だと思えます。もっとましな方法があるでしょうに。

2009年12月2日水曜日

話を聞くということ・・・しつけは学力の基礎?

TVで小学受験の番組をやっていました。未だ年中や年長の子達が母親とともにある進学塾で学習するドキュメンタリーでした。

その塾の女性塾長の話です。『小学受験を詰め込みだどうだと批判される人がいますが、とんでもない。小学受験は家庭のしつけが問われているのです。私たちは家庭のしつけの手伝いをしているのです。学力のない子の多くはその家庭のしつけが家庭内でできない子達です。』

そして、今の子供に欠けていることを幾つか挙げていました。

そのうちの一つが、『とにかく今の子供は人の話が聞けない』ということでした。

うーん、我が意を得たりというところです。常々ぼくもそう思っていました。話が聞けないというのは①話を聞いていない。というのと、②聞いてはいるが内容をつかんでいない。の2つがあります。
更に、②は聞いているようで、聞いていない。というのと、聞いているが理解できないと分類できるかもしれません。

その中で気になるのは、②の方です。話をすると、聞いているように思えるのですが、話が全く伝わっていない場合が以前よりずーっと増えているように感じるのです。理解力の問題というより、他者の言説を理解しようという動機が弱いようにも思えます。

さて、その塾では母親にそのことを伝え家庭での躾を促します。その結果、年中では聞けなかった子達の多くが、年長では明らかな成長を見せているのです。それが、学力の基礎になっているのです。