2014年10月16日木曜日

るつぼ それとも サラダボール

地理でアメリカ合衆国を学ぶと 「”アメリカは人種のサラダボール”と言われている」という記述に出会います。

私の学生時代にはそれは”人種のるつぼ”と呼んでいました。るつぼとは高熱で溶かした金属を混ぜて合金を作るための壺のことです。

るつぼという古風な表現に違和感があったので調べてみると、ザンクウィルの戯曲”The Melting Pot”から来ているとのこと。

様々な人種が溶け込んで一つのアメリカを作っているからというのがその理由です。

それが”サラダボール”になるのは”るつぼ”に馴染みが無いため分かりやすい”サラダボール”にしたのだろうと勝手に思っていました。

ところがそうではなく、”るつぼ”の中では異文化が溶け合うが、”サラダボール”の中ではそれぞれが別々で溶け合わないからだそうです。

うーん、そうだったのか。


2014年10月15日水曜日

入力より出力

中3の前期内申が出ました。12月始めの三者面談(ここで私立併願校の合否が事実上決まります)に向けて、11月始めに模試をすることにしています。昨年までは全員受験でしたが、今年は希望者のみの受験にしました。理由は模試が有料であり、決して安いものではないからです。

とは言え、できるだけ受験するように進めてはいます。というのは、2年前からの受験システムの変更で神奈川県の公立高校入試も急に難しくなり、内申点の僅かな差など無いようなものだからです。

受けない生徒の理由は様々ですが、決まってあるのが「もっと勉強して、できるようになってから受けたい」というものです。中1や中2はいざ知らず、中3のこの時期でこの考えはいただけません。そんなこと言っているとついぞ模試を受けずに本番に臨むことになります。内申点より学力が良い場合はまだしも、その逆の場合は悪い結果になりかねません。

以前あるマラソンランナーがこんなことを言っていました。”息が苦しくなったとき、沢山吸い込むのではなく、沢山吐き出すことを意識している”と。

入力よりも出力なのです。しっかり勉強して、完全にしてから受けたい。その思いは良く分かりますが、学んだ初期から出力するほうが良い結果が出るように思えます。

出力できない知識など無いのと同じですから。

2014年10月12日日曜日

悠々会開催のお知らせ

10月23日(木)夜9時半より 悠々会開催します。

都合の付く人は是非顔を出してください。

2014年10月9日木曜日

ノーベル物理学賞

日本人3人がノーベル物理学賞を受賞しました。ところが、日本は物理が強いと喜んではいられないようです。

或る科学評論家が「嘗ては高校生の80パーセントが物理を勉強していたが、今は30パーセントだ」と言っていました。

だんだん物理をやる人が少なくなっているのです。

物理・化学・生物・地学の理科4教科。日本史・世界史・地理・政経/倫社の4教科を日本中の高校生が必修で学んでいる時代がありました。やがて、選択制になり、更に、物理Ⅰと物理Ⅱのように分けられ、新指導要領で物理基礎(物理Ⅰより内容が少ない)と物理に変更されました。

学ぶ人も少なくなり、学ぶ内容も少なくなっているのです。今の高校生の平均的レベルを考えると致し方ないとも言えますが・・・

やがて、物理は特別な人以外扱わない教科になるかもしれません。きちんと学べは面白い科目なだけに残念です。

さて、今日は文学賞の発表です。 "MURAKAMI haruki"の受賞があるのでしょうか?

2014年10月8日水曜日

台風一過

子供にとって台風は嫌なものというばかりではありません。日常ではない風と雨と空模様に、妙な興奮を覚えるのは普通のことです。

数年に一度の大型台風19号が関東を直撃しました。

「明日、台風が来て、学校が休みにならないかなあ」という、多くの小・中・高生の願い通り、周辺の学校は殆んど休みになりました。それは、元寇ののときに吹いた神風同様、目前の脅威を一瞬にして蹴散らしたのです。ごく一部の授業が行われた高校の生徒の失望たるや想像に余りあるものです。

こうした神風の思想は今でも私たちのメンタリティーに何らかの効果を果たしているのかもしれません。一発逆転の思想です。

今はできないけど、「きっといつか風が吹く」 そう思ってじっと勉強せずに待っているのかもしれません。風が吹けば、

偏差値40から、**勉強法でT大学に合格とか
偏差値30の金髪ギャルがKO大学に合格とか

という風になるはずです。

そうして老いていくのでしょうか。





2014年10月4日土曜日

背景が痩せている Ⅱ

大学受験生で英語の長文が苦手な場合、日本語が苦手な場合がほとんどです。

大学受験に出る英文は受験生の英語力が中学生レベル(日本の中学で学ぶレベル)だったとしても、その内容はまともな大人を対称にしたものです。

田中久美が”あなたはどのスポーツが好きですか?”と聞くと、健が”ぼくは卓球が好きです”と答えるような英文を相手にしているのではありません。

例え、英語力がアメリカの3歳児レベルでも、読まされる文章の内容はアメリカの大人を相手にしたものです。

今日ある生徒が読んでいた文章(高校の課題)は”グローバリズムとモノカルチャー経済”に関するものでした。仮に全ての単語を辞書で引いたとしても、その内容を理解することはできないでしょう。日本語で読んでもチンプンカンプンなわけですから。

これには日本語が十分でないという側面と、その背景となる知識が十分でないという2つの側面があります。

新聞を毎日読まずとも眺めていれば”グローバリズム”などという言葉は自然と目に入ってきます。一方、TVやウェブのような主体的に選択する種類の情報では自分の知っているもの、関心のあるもの以外の情報に行き着く可能性がずっと少なくなっています。

電子辞書も同様です。確かに速くひくことはできますが、情報の視野が狭く、得られる知識がまさにデジタルです。同じジーニアスの英和辞典でも本と電子辞書では処理する情報量が異なります。これも、背景をやせ細らせる一因なのかもしれません。

2014年10月3日金曜日

背景が痩せている Ⅰ

期末テストの結果が出揃いました。その中で地理の点数が低いのがここ数年続いています。学校の平均点が低いのです。

問題が難しい。習っていないことがでる。というのが生徒の意見です。

確かに、そんな一面もあるのですが、一番感じるのは彼らの知識に深みが無いことです。知識の背景がやせ細っていることです。

例えば、都道府県のテストがあるとします。47の都道府県の名と場所を覚えれば済むことです。それ以上の知識も広がりも必要ありません。したがって、このようなテストはある程度できます。尤も、これすら覚えられない中学生も多いのですが。

神奈川県の公立高校入試問題がここ2年大きく変わりました。社会も例外でなく、記述問題の増加等かなり難化しました。3年前以前の記号を選択する、間違えないように注意することが最も重要な受験勉強であった頃のものとは様変わりしました。

その影響が定期テストにも現れているのかもしれません。単純な知識、限定的な知識の問題でない場合、対応できないのでしょう。

10の問題に答えるために10の知識があればよい場合。10の問題に答えるために100の知識が必要であり、一見不要だと思われる無駄なものも含む沢山の知識の中から一つの答えを導く場合。だいぶ異なっています。

そして、後者の能力に欠ける若者が増加しているように思います。

その具体的な例を次回書いてみます。