彼らには最低限の学力の基礎はありますが、学習の基礎があるとは限りません。
学習の基礎とはできなかった問題をどのように扱うか、復習をどのようにするか、ノートをちゃんと書けるか、字を丁寧に書けるか、図形を分かりやすく描けるか。といったことです。特に復習をする習慣と方法を確立しているかは重要です。
ある程度優秀な、特に男子の中にこうした学習の基礎(勉強に関するしつけとも呼ぶべき部分)の無い者がいます。今までそれでやってこれたので、細かなこと、できなかった問題を復習するとか、字をきれいに書くとか、図形を大きく見やすく描くとかに関する注意になかなか耳を貸さないのです。
もしも、彼にとんでもない能力が備わっていたら、それで通せるかもしれません。しかし、残念なことに、たいていの人はそうした能力を持ち合わせてはいません。ちょっと自分のスタイルを変える。それだけで良いのですが、若者も老人に劣らず保守的にできています。なかなか簡単ではありません。
元桐朋学園大学学長の江藤俊哉氏がこんなエピソードを語っていました。彼が若いころ、もう高齢だった世界的バイオリン奏者のメニューインと話をしていました。そのとき、バイオリンの持ち方の話になり『先生、バイオリンの持ち方は今はこのように持つのが主流です』といって、江藤がバイオリンを持って見せたそうです。すると、もう50年以上毎日バイオリンを弾いてきた世界有数の老バイオリニストは次のコンサートのとき江藤から教えられたバイオリンの持ち方で演奏をしていたそうです。たいしたものですね。
毎日少しずつ自分を変えていく。少しずつ脱皮していく。それが成長の証だと思えるのですが。