2010年3月28日日曜日

4年に一度の楽しみ

バンクーバーで行われていた冬期パラリンピックが終了しました。

前回のトリノ大会から、チェアスキーという競技を見ることが楽しみになっています。スキーの上に固定された椅子のようなものに乗り、両手に小さなスキーのようなものを持って滑るのです。

もっともスピードの出る種目『滑降』は時速100km前後で競われているようです。
立って滑る普通のスキーよりも視線の位置が低いので、体感スピードは相当なものだろうと想像されます。ましてや下半身は椅子に固定された状態なのですから、恐怖感もかなりあるはずです。
それは『障害者』や『健常者』という枠をはるかに超えた素晴らしいパフォーマンスです。

日本は得意種目で幾つかのメダルを手にしました。
彼らの勇気と努力に敬意を払いたいと思います。

4年後がもう待ち遠しい。

2010年3月22日月曜日

春 その2

野地先生の『春』を読んで様々な感慨が蘇ってきました。

かつて日本の春の風物詩の一つは『集団就職』でした。東北や九州の中学校を出たばかりの子供たちが集団で東京、大阪、名古屋の工場などに就職したのです。

TVで『今年も集団就職の第一陣が上野駅に到着しました』というニュースが必ず取り上げられていました。中学の制服を着たホウズ頭の男の子、おかっぱ頭の女の子が両手にボストンバッグを持ち、上野駅に下りる様子が映像で流れていました。

そうして、東京の町工場や、大阪の商店、名古屋の繊維会社等に就職した子供たちが今日の日本の繁栄の一翼を担ったのでした。

それから随分経って、同年代の子供を持つ親となって初めて分かったことがあります。当時、東京に行くことは今とは比べ物にならないほど大変なことだったようです。まだ15歳の子供を、見ず知らずの遠い東京の工場に働きに出す。その親の心中を思うに、その悲しみがどれ程のものであっただろうかということです。

高校の漢文の授業をそんなに熱心に学んでいたわけではありませんが、幾つか覚えている文があります。

 燕々 汝 悲しむこと無かれ 
 高飛して 父母に 背きし日
 当時 父母の思い 
 汝 今 まさに 知るべし

というものです。昔のことで間違えている部分もあるように思います。ご容赦ください。
突然蘇ったこの漢文の意味が少し分かる年齢になりました。

今の中3はまだまだ子供です。一人で生きていけるとはとても思えません。それでも、とんでもない可能性を持った子供であることも事実です。

そうした別れの後に、また素晴らしい出会いがあったのだろうと思いたい気持ちでいっぱいです。

きょう高校野球春の大会開幕です。

2010年3月21日日曜日

近頃急に春らしくなってきました。早いもので、近所ではもう桜の花が咲き始めています。
そんな春は別れと出会いの季節とよく言われます。

受験が終わった中学生や高校生は新しい世界へと一歩踏み出してゆきます。
また、受験生以外でも、就職や、新たな生活がスタートする人たちも大勢いると思います。

僕もその一人のようです。

今後の自分の進むべき道を選ぶのに迷ったり不安になりますが、
「迷う」時点で、どの道を選んでも大した差はないのかもしれません。
どちらの道を選んでも多少の後悔はする気がします。

ただ、あとになって「あの選択をして良かった」と思えるようになるためには、
選択自体が大切ではなく、選択した先でいかに努力して成果を出したかによるのではないでしょうか?

人生の最期に、「自分の人生は良かった」と思えるような、完全燃焼の人生にしたいと思います。





2010年3月20日土曜日

厳しさと曖昧さ

『すみません。近くの地下鉄の駅を教えてください』と尋ねます。
『地下鉄? えーっと。直ぐそこの信号を右に行って。えーっと。2つ目、まてよ、3つ目かな。あっ2つ目だ。2つ目の交差点を左折して、しばらく行くと左手にコンビニがあって。その角を左に行って直ぐ右側ですよ』と丁寧に教えてもらいます。
『なるほど、分かりました。ありがとうございます』とお礼を言って、直ぐそこの信号を右に曲がります。”確か2つ目って言ってたなあ。うっ? 3つ目か?いや、2つ目でいいのか。で、そこをどっちだっけ?”もう怪しくなっています。通りかかる人を見つけて、
『すみません。近くの地下鉄の駅を教えてください』と再度尋ねることになります。
『分かること』と『できること』はこんな風に違っています。駅までの道順をメモするか、頭の中で再現できるまで繰り返すべきだったのです。

勉強もそうで、分かった気になったとして、それができるようになるまでにある種の距離があります。それをどうするかそれが問題です。必ず目的地につけるように厳しく学んでおかなければなりません。最後の最後の詰めのところまでちゃんとやることそれが厳しい勉強です。

一方、勉強にはある意味で曖昧さが必要です。丁寧に一生懸命勉強しているのに結果が伴わない人にそれがいえる場合があります。ノートもしっかり取れている。教科書もびっしりマーカーの線が入っている。本人も生真面目に時間をかけて勉強しているのですが、よくみていると、事の軽重というか濃淡というか、重要度の差が認識されていないようです。こうした人は、ある程度の成績を上げますが、勉強の割りには成績が伴いません。

逆に重要な部分を把握する事の得意な人がいます。問題の核心を掴む能力、または嗅覚に優れている人です。大して勉強していないようなのにテストでよい点を取るのはこうしたタイプです。重要なものを見分け、余り重要でないものを捨てる。そうした判断に優れているのです。瑣末なものを学ぶことに拘りすぎない。そんな曖昧さも必要な気がします。

厳しさと曖昧さ(この言葉は妥当ではないかも?)。
私の教えた生徒で難関大学に受かった人はその両方持った人が多いように思います。

2010年3月13日土曜日

悠々会 3月11日

MARCH 11 :YouYouKai
悠々会盛大に行われました。今回は高3卒業生中心です。
この写真を縦にする方法が分かりません。横になって見てください。
また、やりましょう。

2010年3月11日木曜日

単位について

子供が牛乳などを飲む普通のカップが何mlか知っていますか?通常200mlで作られています。これは料理で言う1カップです。それは1合(180ml)よりやや大きいので、米を炊くときに便利です。

私が高校の時にはオングストロームという単位(10の-8乗)が物理で出ていました。今は無くなっています。同様に圧力の単位のミリバールが無くなり、パスカルに変わりました。そのせいで、化学で扱う状態方程式の気体定数Rが0,082ではなくなり不便をしています。
こうした流れはN(ニュートン)を単位の基準とし、できるだけそれで統一しようという考えが根底にあります。そう考えると熱量で使われるカロリー等もやがて滅びる日が来るのでしょう?

単位は数学あるいは理科そのものでもあるのですが、一方で生活そのものでもあります。マイル、インチ、ポンド、ガロン、一寸、一尺。こうしたものはいっこうに滅びる様子はありません。日本では尺貫法を廃す方向でやってきたわけですが、やはりお酒は一升瓶に入っています。

日本人が少しといって、親指と人差し指を広げたとしましょう。(注)
アメリカ人が ア リトル ビット といって 親指と人差し指を広げたとしましょう。
ドイツ人が アイン ビシュヘン といって 親指と人差し指を広げたとしましょう。
その少しの感覚が少しずつ異なっているのです。

単位はこうした肉体感覚そのもののところがあります。地球の緯度0~90度を1万等分したメートルとはその考えの根本が違っています。

アメリカのカウボーイが被っている帽子をテンガロンハットといいます。1ガロン=約3.8リットルですから、38リットル帽子というわけです。なんだか間が抜けた感じになりますね。(注)

そんな訳で、未だにヘクトパスカルに慣れていない塾長でした。

(注)アメリカが初めて月に着陸したとき、宇宙船と月面着陸船との間で次のような交信があったそうです。『 Pull it back a skoshi 』  a skoshi ってなんだか分かりますか?『少し』なのです。『少し引っ張って』という意味です。戦後日本に駐留していたアメリカ軍人たちが日本人に『英語話せますか?』と聞くと決まって『少し』と答えたのが彼らの中で流行って、アメリカに帰ってから使うようになったとか。
(注)実際に38リットルも入るはずは無く、別の由来があるようです。

2010年3月8日月曜日

第3回悠々会のお知らせ!

さて、受験シーズンもそろそろ終わりが近づいています。
ということで、悠々会やります!

日程は3月11日(木)です。

今回は受験を終えた生徒たちを労うべく、またまた美味しいものを作ろうと画策しております。
みなさん、予定空けておいてくださいね♪

2010年3月7日日曜日

悠々館ホームページリニューアルしました!

先程ホームページをリニューアルしました。
RSSリーダーで読んでいる人は、是非一度ご覧ください。

前から悠々館のホームページをもっと格好良くしたいなぁと考えていました。
どうせ変えるなら、一目で"塾のホームページ"だと分かるようなデザインにしたいなぁと思い、一つ一つの記事の背景を黒板っぽくデザインしたらどうかなと思ったことからデザインし始めました。

ホームページを一から創るのは、実は今回が初めてだったのですが、(ブログ程度なら創ってますけど。)かなり楽しかったです。
昔から美術が苦手で、デザイン関係の作業は敬遠してきたのですが、勉強になりました。

しかし、このリニューアルのために、画像作成ソフトを一から勉強したり、HTML/CSSの分厚い参考書を読んだりと、久しぶりに勉強したなぁ。
ここ2ヶ月ほどは、手が空いたときは常にホームページ制作のことばかり考えていましたね。


さて、見たら分かることですが、基本的には"塾にあるもの"で構成しています。
ルーズリーフとかノートとか。

まだ課題は残っているのですが、おいおい直していきます。
(コメント枠が見づらいとか、印刷すると見づらい、ファビコンどうすんだ、とかですね。)

何か要望があればどんどん提案してください。

2010年3月5日金曜日

旅立ち

高校受験生の息子が『合格発表が終わったら一人旅したい』と言いました。ぼくは長く旅をしていたのでその影響もあるのでしょう。『良いよ』と軽く答えておきました。

さて、発表の翌日『どうする?』と聞くと、『京都へ行きたい』とのこと。約束なので行かせることにしました。

昨日『青春18きっぷ』を買ってきて、息子に渡しました。普通列車ならどれだけ乗っても良いという有名な切符です。京都まで普通列車を乗り継いで約9時間の旅です。

若者の一人旅は新幹線ではなく鈍行を乗り継いで行くものだと思っています。はるか昔、横浜から船に乗ってナホトカに向かい、シベリア鉄道を延々とヨーロッパに向かった頃が蘇ってきました。不安と興奮と入り混じった日々でした。その中で出会ったヨーロッパの若者の旅のスタイルはとてつもなく質素なものでした。昼になると、ザックから包みを取り出します。その中にバターの塊とサラミソーセージとパンと果物が入っています。ナイフでサラミを切って口に運び、そのナイフでパンにバーターをぬり、オレンジの皮をむく。『かっこいいなあー』と思いました。食費を切り詰め、宿代を切り詰め、それでも旅を続ける。それはドイツを中心にした若者のある種の伝統です。

そんな旅を息子にもして欲しいと思います。彼の義務教育もあと僅かです。