2011年4月28日木曜日

悠々会のお知らせ

本日4月28日の21:30より悠々会を行います。
時間のある方は気軽に顔を出してください。

2011年4月27日水曜日

カリスマと民主主義

 20世紀までは天才の時代でした。ニュートン、アインシュタイン、エジソン、マルクス、キュリー夫人、ケインズ、ドストエフスキー、ポアンカレ、ナイチンゲール ・・・・・ 小学校の図書館にある偉人伝には彼らがどれだけ優れた人であるかがいやというほど書いてありました。

かつての伝記は『彼が(彼女が)如何に天才であるか』を書き、 
そして、現在は『彼が(彼女が)如何に普通の人であるか』を書きます。

 それは、天才がいなくなったということではなく、個人のレベルで、民主主義が育まれたことと関係があるように思います。『彼ら天才も、我々凡人と同じ人間なのだ』という確信です。

 避難所を慰問した皇族が床に膝まづいて話しかけているのに、あぐらをかいて対応している被災者がいることに対して、あちこちで批判が出ています。私の年齢では、皇族でなくとも、目上の人が話しかけてきたら、あぐらではまずいと感じますが、これも民主主義の成果かもしれません。
避難所を訪れた首相に対しても同様なことが起こっています。

 ここ数代、日本の指導者は大変不評です。今度の震災でもっと強い指導力を発揮してほしいという声が大きくなっています。カリスマ性を持った指導者を望んでいる人も多いようです。しかし、一方で民主主義は強力なリーダーシップとは無縁のものです。世界に目を転じても、エジプトのムバラク前大統領。リビアのカダフィ大佐。カリスマの失脚が相次いでいます。民主化のうねりの中で、カリスマのマスクが剥がされているのです。

 21世紀になり、私たちは個人の価値の尊重と引き換えに、英雄喪失の時代を生きていることになります。

連休中の休みについて

4月29日(金・祝日)、5月3日(火・祝日)は授業はありません。
5月4日(水・祝日)は通常通りの授業を行ないます。
5月5日(木・祝日)は5時からの小学生の授業は他の日に振り替えます。7時からの授業は通常通り行ないます。

2011年4月25日月曜日

パラダイムシフト

今度の震災で人生が変わってしまった沢山の大人、そして、沢山の子供がいます。そして、日本全体・いや世界全体では人生そのものではなくとも、人生観が変わった多くの人がいるはずです。

エイモリー・ロビンズの著書『ソフトエネルギーパス』が話題になったのはもうどのくらい前になるのでしょうか?日本でもかなり話題になりました。以下のようなものです。

 『イギリスの物理学者エモリー・B・ロビンズにより、1976 年に提唱された概念。エネルギー需要の質と量を検討し、その最終用途での利用効率を高めるようなエネルギー供給体系を追求することが柱となる。そのためには化石燃料資源を効率よく利用しつつ、太陽光・熱、風力,水力などの再生可能な自然のエネルギーを、利用地点付近で需要の質と規模に合わせて分散的に自然界から得ることが必要となる。その技術は環境に対して穏やかであり、コスト的にも引き合うと考えられる。さらに、誰にもその技術を理解でき実施できる特性があり、自由で多様な社会を築くことに貢献できる。(牛山泉「エネルギー工学と産業社会」(財)放送大学教育振興会抜粋)』

火力・原子力といった硬直した(ハードな)エネルギーから、分散的な(ソフト)エネルギーに変えていくという考えの最も初期のものだと思います。

こうした大きな変化(ハード・エネルギーからソフト・エネルギーへの変化)にはある種の考え方(人生観)の変化が伴います。ただたんに、原子力を風力に変えようというものではありません。『どのように生きていくか?』という原初的な考えが密接に関係しています。そうした、考え方の変化を伴うような思惟をパラダイム・シフトと呼びます。

東北・北関東地方にはそうしたパラダイム・シフトを体現した多くの若者・子供がいるはずです。彼らは私たち2011年の大人が持つ主流の価値とは異なった価値を持つはずです。大変不謹慎な言い方ですが、彼らはそのことによって、厳しい現実を乗り越えながら、新しい価値観を持った世界を作り上げるのではないか?そんな期待を持っています。卒業式や入学式で流した涙がその分だけ彼らを大きく育てていく、そう願っています。がんばれ!

2011年4月24日日曜日

限界とは何か



「もう駄目だ~ってなってからが本当の勝負なんです。」


悠々館OBであり、僕の高校の後輩である人の言葉です。
これは筋力トレーニングに対する彼の見解です。
当然な事の様に思うかも知れませんが、僕にとっては雷が落ちた様な衝撃をもたらした一言でした。


素振り・毎日の単語・ランニング等、日課(又は週周期の課題)を持っている人は多いと思います。
毎日30回素振りをする。毎日60個単語を進める。週に2日は走るといった具合に目標を定める人もいれば、○○時間や納得するまでといった決め方をしている人もいるでしょう。


しかし、思い返せばこの課題はどうやって決まったのでしょう?
続けられる範囲?何となく?自分の一日の限界と思われる所?
この課題は今の自分にとって本当にベストな内容なのでしょうか。段々と課題をこなす自分に満足していて、手段だったノルマが目的にすり替わってしまっている事もよくある話です。


今の課題にほんの少しだけ、+αをしてみて下さい。
出来る自分に気付くと共に、ググッと力も伸びるはずです。

2011年4月21日木曜日

中学生に読書の面白さを伝えられたかな

先週の授業中に一人の生徒に一冊の本を勧めました。

5年ほど前、読書を始めて間もない頃に出会って、今でも何度も読み返している大好きな本です。
内容は難しくなく、中学生が読んでも十分理解できる内容なので、読ませてみたいなぁと思ったのです。

その生徒は自分でも「読書をしない」と言っていたのですが、ちょっとだけ内容を紹介したら興味を持ってくれて、読んでみたいと言ってくれました。
で、一週間経って、今日の授業中に「本読んだ?」と聞いたのですが、半分くらい読んだところでお母さんに、「何読んでるの?ちょっと読ませて。」と言われて取られちゃったそうです。(笑)
その生徒曰く、学校の朝の授業で読書の時間があるそうで、その時間に読みたかったそうなのですが。

でも半分くらいは読んだそうなので、内容を話しながら、「道路清掃人の話、面白いよね〜」とか、「あの話は読んだ?」とか話せて盛り上がりました。
ちょうど今日の授業は面接だったので。

その中学生の生徒とも、小学校の時の読書感想文は本当に良くないよねという話をしました。
あれってほんとに「本嫌い」を醸成していると思うんですよ。
僕も嫌で嫌で仕方が無くて、そのトラウマから抜け出すまで長いことかかりましたからねぇ。

そんな話をしながら、じゃぁもう一冊貸してあげるね、と言って「16歳の教科書2」を貸しました。
綾戸智絵さんとか、サイゼリアの創業者の話で、彼らの体験談を語りかけてくれるような本なので読みやすいし、とても心に響く内容が多いので、きっと気に入ってくれると思います。

多分、僕が1、2年かけて勉強を教えること以上に、今回読書の面白さを教えられたことの方が、その生徒の人生にとって、とてもいい経験をさせてあげられたんじゃないかなと思います。
縁あって、今その生徒に勉強を教えているわけですが、学校を卒業してからの長い人生、その生徒は成長し続けて行かなければいけないですし、そうあってほしいと想っています。
そういったことを考えると、今数学を教えることよりも、その生徒が今後の人生の支えとなるような一冊と出会える可能性を与えてあげられたことの方が意味のあることなんじゃないかと思うのです。
早いうちに本嫌いを治してあげられたなら、僕も嬉しいなぁ、と。

しかし、お母さんに本を取られちゃったってのは面白い話だったなぁ。
そのお母さんとも話してみたいわ〜。
今日貸した本もまた取られちゃったりして。(笑)

来週の授業でその本の感想を聞くのが今から楽しみです。

ちなみに、その中学生に貸した本は、下の「新・自分を磨く方法」です。
大人が読んでも楽しめる、僕の中ではとてもおすすめの自己啓発系の本です。

新・自分を磨く方法
新自分を磨く方法

新自分を磨く方法
価格:1,365円(税込、送料込)


16歳の教科書2
16歳の教科書(2)

16歳の教科書(2)
価格:880円(税込、送料込)

上下・左右

3x=5 を解かせると x=5分の3 としてしまう人がいます。しっかり理由を説明して、x=3分の5であることを理解させると、しばらくの間(人によりますが、その日だったり、数日だったり、半年だったりします)は正しくできるのですが、また、もとに戻ってしまうことがあります。間違いを意識しているうちは大丈夫なのですが、意識しなくなると、また逆になってしまうようです。

これは数学を理解しているかどうかというレヴェルのことではなく、もう少し感覚的なものに関係しているようです。繰り返し練習して体に馴染ませたとして、数年後にまた元に戻っているというケースもあります。案外厄介なのです。

同様なことは英語でも起こります。中一でまだ英語を習い始めたばかりのとき、bag  を dag  とする間違いです。これは上下ではなく左右の問題です。数学と同じように間違えを指摘し、練習させることで減ってきますが、これもなかなか治らない場合があります。数ヶ月たって、もう大丈夫かなと思った頃、book  を dook と書いたりすることがあります。

さて、良く耳にする『鏡では上下はそのままなのに、なぜ左右は逆になるの』という疑問です。その答えは『上下は勿論、左右も逆になっていない』です。右の手のひらに『右』という字を書いて鏡の前に立てば右手の側に右手があります。左右は逆になっていません。といって、それが感覚的に納得できるかというとそれはまた別の問題です。

ある夫婦の会話です。妻が運転をし夫が後部座席でビールを飲みながら道の指示をしています。
夫『次右ね』
妻『分かってるわよ』 ビールを飲みながら繰り返し出される指示にいささか苛立っています。
夫『次の角だよ。右。右』
妻『もう・・・・しつこいわね。右でしょう』と言いながら、ハンドルを左に切っています。車は当然左に曲がり・・・・
夫『おい、左に行ってるよ』
妻『うるさいわね。自分で運転したら』
良くある話です。

2011年4月13日水曜日

人のふり見て

バス停でバスを待っている時に、ある張り紙を見つけました。そこには
"○△大学の皆さん、マナーを守ってバスを使いましょう。"
との注意文が書いてありました。
僕は「何か素行が問題になったのかな?」となんとなく想像していました。


バスが来て、先頭の僕から順に乗り込みます。
すると後ろの人が口々に
「お願いします。」
「こんにちは。」
「こんばんは。」
「よろしくお願いします。」
と運転手に挨拶を交わしながら乗り込んできました。
恐らくですが、彼らは皆○△大学の学生さん達でしょう。


"マナーを守ってバスを使いましょう。"
一段上のマナーをさらりと言ってのける民度が、そこにありました。

2011年4月12日火曜日

4月に入り、あれほど寒かった気候は一気に春めいて来ました。
花粉症の方にとっては何も嬉しくない季節だと思います(そういう僕も軽度の花粉症持ちで、今も目がかゆいです)。しかし、僕はこの春の陽気が一番好きです。


並木道を歩いていた時、そこには桜の木が点在していました。
青々とした緑の葉を蓄え始めた木々の中に映える桜色は真に見事で、彼らを桃色・ピンク色等と表現しては失礼に当たる様な気がしたほどです。


その時、ふと桜について考えました。
彼らは1年の内のわずか1週間ほどしかその輝きを見せず、その他の期間は他の木々と同様に緑の葉を蓄えます。事実、5月に入れば誰も関心を持たないでしょう。
そんな刹那の代物であるにも関わらず、今も昔も桜の木は春のシンボルとして、各学校や大きな公園にはほとんど必ず植えられています。


このメリハリ、春に咲くタイミング、桜色のアイデンティティ。
まさにブランドだ。そう思いました。

2011年4月10日日曜日

人生の禍福あざなえる縄の如し

 3・11の震災から一と月になりました。あまりに強烈な出来事でその前のことをがかすんでしまいました。

 新燃岳の噴火はどうなっているのでしょう。駐日アメリカ大使が沖縄県知事に謝罪というのもありました。

 3月の初め、以前の塾生から沢山参考書が有るけど必要ですか?と連絡がきました。それを貰いに行くと、やはり塾生だったお姉さんとお父さんがダンボール一杯の本を抱えて出てこられました。本人は東大の3年で地球物理を学んでいるのですが、今、八丈島にいるとのこと。新燃岳のことが頭にあり、『いつか、TVで火山が爆発したり、地震が起こったりすると解説に出てくるかもしれないなあ』と思いながら帰ってきました。

 それから、ほどなくの地震でした。

 新燃岳は意識の中から吹っ飛び、官房長官が駐日アメリカ大使に頭を下げ、援助に対する謝意を表明していました。数日前と主客逆転です。本当に、一寸先は・・・

2011年4月9日土曜日

4月28日(木)悠々会やります。

時間等詳細は追って連絡します。

新入生との授業

新入生との授業はとても楽しい。それが数学であれ、英語であれ、中学生であれ、高校生であれ、とても楽しい。

先日、新高校生に因数分解を教えた。相当優秀なメンバーだったが、彼らが簡単にはできないレベルの因数分解までやった。知恵の輪を外すように、複雑な因数分解には理屈があり、扱い方がある。手順を過たないようにしなければならないし、先を見据えていく洞察を必要ともする。唯の因数分解にも思想がある。それが伝えられたかどうか。いづれにしろ、高校数学の面白さの一端を垣間見せることができたのではないかと・・・

”数学は不公平な学問”で、勉強すればするほど簡単な方法が手に入る。ちょっとできる高校生が5行~6行かけてやっとできるような因数分解が暗算でできたりする。初心者はいつももっとも効率の悪い方法を強いられる。だから、数学嫌いの生徒は直ぐに「めんどくさい」と叫ぶことになる。たくさん勉強して、最強のアイテムを身につけると楽なんだけど。

2011年4月7日木曜日

本日より通常授業再開です。

 街のいたる所で新入生の姿を見かけます。まだ着慣れない制服、新しい鞄、新しい靴。緊張と喜びと期待と不安。様々な感情が入り混じって、その初々しい表情からあふれ出ています。社会全体が一歩前に進みだしたような気がします。少しずつ良い方に向って行きますように。そう願わずにはいられません。

 悠々館も今日から新年度です。真新しいテキストをどんどん汚して使い込んでいきましょう。
”ぼろぼろになればそれが聖書”

2011年4月6日水曜日

4月6日

今年度の授業は明日7日(木)からの開講です。
それに伴い、本日は電話対応が出来ません。申し訳ありません。
ご用の際はこちら(お問い合わせページ)からメール送信にてお願いします。

少年Nと悠々館④

前回までの記事はこちら


数学とはなんと都合の良い科目なのでしょうか。
例えば二次関数の後に三角関数の部分を学習するとします。すると三角関数の序盤の内容は二次関数の二の字も出ないほど独立しています。そして徐々に発展し、両者が絡み合った問題が出てくるわけですが、三角関数の基礎が出来ていれば全く問題なく解く事が出来るようになります。むしろ二次関数も得意になってきたりします。


そんな数学の性もあり、Nは(過去の分野を無視すれば)瞬く間に、数学について不安を覚える事が無くなっていました。学校の先生から出される問題は解けるし、宿題部分にまで手が回る。
あぁ数学は楽しいなぁと、好循環に流されるままに力をつけて行きました。


対して、英語や古典はかなり苦戦しました。
これらの言語は積み重ねが物を言う為、新しい分野だよし頑張ろうとは中々行かないものです。
これまでの単語が、文法が、そして読んできた長文の数が物を言います。特に単語をサボっていた彼は何処から手をつけて良いのか迷い、収集がつかなくなっていました。
『単語や文法が判らない→読めない→続かない→学校は進む』という悪循環を独自に抜け出す事は容易ではありません。そしてまだしばらくは、その循環の中に身を沈める事になります。


そして一番の問題、部活。
季節は初夏の気配漂う6月、夏の甲子園大会予選を控える野球部では背番号発表が行われる時期です。その頃Nは野球部の2年生でした。実力は正直に言って戦力外でしたが、消去法的に背番号19をつける事になりました。
当時の努力量からして当然の処遇だと思っていましたが、若さゆえの非合理といいますか、屈辱を覚えるもそれをバネとする事が出来ませんでした。それよりもこの19番を返上するかどうかという、方向違いな悩みを抱えていました。


光の見えてきた部分と、まるで解決の見えてこない部分。
梅雨の不安定な気候の如く、両者が混在する時期でした。





※念のため、一言。
Nは見掛け上数学が解ける様になっただけで、総合的な数学力がついた訳では全くありません。野球で例えるならとりあえずバッティングは出来る様になったけど、守備は無視しているのでさっぱりという事と同じです。
3年の受験勉強に入った後に、他の分野と比べて数Iの出来が悪い事に気が付きます。

2011年4月4日月曜日

4月4日春期休日です。

本日は授業はありません。4月6日(木)より、新年度授業を開始します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勉強を単純化すると。

①理解する・・・・・>②習熟する・・・・・>③忘れないようにする

ということです。

①に関して、分からないという人は案外いません。塾では分かるところまでやっています。問題はわかったような気になっている。分かったつもりでいる。雑に理解している。そんな場合です。何をするときでも初学者は丁寧に、確実に学ぶことに気を配ります。

② ①で教えられたことを自分でできるようにするには一定量の演習が必要です。このとき、ただ問題をを解く、機械的に問題の処理をするのではなく、自分がやっていることを意識するようにします。大学受験生によく見られるパターンですが、自分のやった問題集(何度も繰り返してやったもの)は解ける(暗記してしまっているので)が、形を変えて出てくると解けなくなる人は視野の狭い、機械的勉強をしている可能性大です。一つの問題が広がりを持つように学習します。

③定期的な復習をしないと必ず忘れます。毎日の勉強の最初に、復習を組み込んでおきます。復習は早ければ早いほど短時間で終わります。後回しにしないようにします。

さあ、新年度です。新鮮な気持ちで勉強開始です。

2011年4月3日日曜日

一歩一歩



毎月少しずつお金を貯めておきなさい。

そうすれば年末にはびっくりする事でしょう、あまりの少なさに。

(アーネスト・ハスキンズ)



昨年の10月頃より記事を書き始めて半年、やっと八木先生の記事数に並びました。

結構書いているつもりが、実際の数はたったの35でしかありません。一月とちょっと書き続ければあっという間に到達する筈の数ですが、この若僧にそんな毎日面白みに富んだネタを送る文才は無く、ハスキンズ氏に満面の笑みを与える結果となってしまっています。



それとは対照的に、授業のワークは滑らかに進むものです。

A4の大きく、終わるのか不安で仕方のない新品のワークも、気がつけば最後のページをめくって「あ、終わりか。」とあっけなく感じてしまう時が来ます。

特に中学英語の話ですが、最近の授業ではそれが顕著です。学習に対して誠実に取り組む生徒のおかげもあり、新学期に向けた予習がドンドンと進んでいきます。読める力は確実についており、それが書ける力に昇華していくと確信しています。


僕は地道な作業が好きなのでこのまま同じ工程を続けたいところですが、それに飽きてくる生徒も出るでしょう。単語テストやまとめのテストなど、クッションを入れる事も大切ですね。

2011年4月1日金曜日

十で神童、十五で才子(さいし)、二十歳過ぎればただの人

僕は15歳の時、現在も心の師(厳しすぎて神の様な感じですが)として君臨する牧師、John Todd氏に出会いました。
彼の著書「自分を鍛える」は非常に厳格で、たるんだ生活部分を、心理を、的確かつ見逃すことなく刺してきます。
今日はその世界を少しだけご紹介しましょう。


『あなたには優れた頭脳と健全な判断力、生き生きとした想像力や幅広く物を見たり考えたりする力があるかもしれない。しかし、確信をもって言うのだが、あなたはおそらく天才ではあるまい。したがって、ひたすら努力せずしては決して人より抜きんでる事は出来ないのだ。』


『人によっては、時間厳守の習慣を身につけると平凡な人間になってしまいはしないかと恐れている。偉大な精神の持ち主が抱く大望としてはあまりにちっぽけなものだし、並はずれた人徳を備えた人間が心を砕くようなことではないのではないか、と考えているらしい。』


『あなたは細切れの時間を使えない、まとまった暇な時間が出来るまで待っているに違いない。現在の環境が大きく変わるのを待っているに違いない。だが、それは大きな心得違いと言うものだ。』


『すぐカッと喧嘩腰になるような人間は放っておけばよい。そういう人間の喧嘩相手は直ぐに見つかる。彼以上に強い者が現れて、あなたよりも上手くやっつけてくれる。口論好きな人間は一生決闘をし続けなければならない。』


(以上『』内著書「自分を鍛える!」より引用)
その他色々ありますが、どれも我々が陥りやすい心の悪魔を浮き出し、払う方法を述べています。是非一度読んでみて下さい。


尚この本を読んだ少年は、その訓示をちょっとだけ取り入れる事が出来たものの、未だに師に叱られ続ける様な生活からは抜け出せないでいます。
少年老い易く、学成り難し。しかし賢者への道は常に在り。
いつでもやり直す事が出来る点が私生活の良い所です。今日から新年度、賢者の道は茨の道なれど、頭使って頑張って行きましょう。

4月1日 春期講習最終日です。予定通りです。

本日で春期講習は終了です。停電はありませんので予定通り行います。 なお、明日の高校数学は通常通りです。

新年度の授業は4月7日(木)からです。