落語家・立川談志が亡くなりました。落語といえば、大家と隠居です。
隠居という言葉で思いつくのは落語に登場する隠居とか、旗本・大久保彦左衛門とかです。江戸時代に何歳くらいで隠居していたか知りませんが、今から考えると相当若い時期に隠居しているはずです。平均寿命がかなり違うので簡単に比較できませんが、それにしても若い時期のはずです。
この隠居という制度の良い点は若い世代に次を任せることで、新たな風を呼び込むことです。日本のような儒教の影響の大きい社会では、年齢による上下関係は大きいですから、隠居というシステムがそれに風穴を開ける役割を果たしたのでしょう。中央官庁で同期生が局長になると同期の官僚が一斉に退職するのもそうした考えだと思います。
現代の日本では、嘗ての家制度は崩壊し、核家族や単身世帯の割合が圧倒的に大きくなっています。従って、隠居という言葉自体の意味がなくなっています。ところが、会社や役所のような組織になるとそうではなく、日本的家制度がまだまだ残っています。そして、とっくに隠居するはずの人が権力を握っていたりします。
従って、昔なら表に出てこないはずの人々が政界、財界問わず、あらゆる所で顔を出してきます。政治の世界ではそうした人々は五万といるし、ある新聞社のいざこざもその類いです。
老齢化社会を迎え、どのようにその齢(よわい)を生きるか。大切な問題です。
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