本日で夏期講習終了です。来週月曜より通常授業を開始ます。
中3は入試を控え、授業時間を増やします。その関係で、時間割が若干変更されます。月謝に変更はありません。
暑かった夏もようやく、その終焉が見えてきました。涼しくなったころには勉学の秋です。そして、あっという間に受験が迫ってきます。すべからく復習を怠らないこと。
2018年8月25日土曜日
後1週間
夏期講習も後1週となりました。
中3はこの夏と12月までの4か月が山場です。公立の受験は2月中旬ですから、まだ6か月あると思いがちですが、そうではありません。というのは、一月初めの模試の結果が一月後半に出て、直ぐに、願書を出します。つまり、一月初め、或いは12月終わりの時点で志望校を決定するわけです。12月後半には志望校に受かる学力をつけておかなければなりません。2月に急に学力がついたといって志望校を変えるわけにはいきません。それを判定する模試がないからです。
ひとつづつ、できないことをできるようにしましょう。例えば、社会の時差の問題です。毎年、必ず出題されます。そして塾でも何度も何度もやっています。残念ながら、まだ間違える生徒がいます。なぜでしょうか?自分で分かっているはずです。今回の受験が公立高校に進む殆どの人にとって初めての人生の選択です。それが、ある程度君たちの将来を決めます。今後、大学受験や就職、そして結婚。その他、様々な局面で自分の人生を決めていかなければなりません。その初めての体験なのです。
中学受験をする子たちは、小学の段階で、明確に学力分けされます。過酷なほどの体験で自分がどんな能力を持っているのか、いやでも知らされます。それを前提にして生きていきます。公立の生徒はそのことを今初めて体験します。残念なのは、その意味を理解していない子供そして父兄が多いことです。
中学受験をする子たちは、小学の段階で、明確に学力分けされます。過酷なほどの体験で自分がどんな能力を持っているのか、いやでも知らされます。それを前提にして生きていきます。公立の生徒はそのことを今初めて体験します。残念なのは、その意味を理解していない子供そして父兄が多いことです。
2018年8月24日金曜日
2018年8月22日水曜日
最も簡単に学力をはかる方法
初めて会った生徒の学力を短時間で知る最も早い方法はその学年に応じた文章を読んでもらうことです。
所々つっかえるか、流れるように読めるのか。これは決定的です。漢字が読めないのはその言葉の意味も知らないのと同様です。国語だけでなく、全ての教科に悪い影響があります。おそらく、理科や社会も外国語を読んでいるように理解できていないはずです。これを直すのは並大抵ではありません。というのは、生まれてから現在に至るまでの言語体験を前提とするからです。学校で学ぶ国語などはその100分の1にもならないでしょう。
受験を控えた中3と地理や歴史をやっていて感じるのは彼らの知識の底が浅いことです。できる生徒は教科書の数倍の知識を背景に持っています。真面目であっても、学校の内容のレベルに終始している生徒はそうした知識の背景がないため、ある点数以上になかなか伸びません。学んでいることが氷山の一角に過ぎないからです。見えない部分を含めて大きな背景がないからです。ケチな勉強は止めましょう。テストに出るかどうかばかり気にしないようにしましょう。
もう一つ。三角錐か、正四面体が画けるかどうかも、一つのメルクマールです。三角錐が描けない生徒は予想外にたくさんいます。
所々つっかえるか、流れるように読めるのか。これは決定的です。漢字が読めないのはその言葉の意味も知らないのと同様です。国語だけでなく、全ての教科に悪い影響があります。おそらく、理科や社会も外国語を読んでいるように理解できていないはずです。これを直すのは並大抵ではありません。というのは、生まれてから現在に至るまでの言語体験を前提とするからです。学校で学ぶ国語などはその100分の1にもならないでしょう。
受験を控えた中3と地理や歴史をやっていて感じるのは彼らの知識の底が浅いことです。できる生徒は教科書の数倍の知識を背景に持っています。真面目であっても、学校の内容のレベルに終始している生徒はそうした知識の背景がないため、ある点数以上になかなか伸びません。学んでいることが氷山の一角に過ぎないからです。見えない部分を含めて大きな背景がないからです。ケチな勉強は止めましょう。テストに出るかどうかばかり気にしないようにしましょう。
もう一つ。三角錐か、正四面体が画けるかどうかも、一つのメルクマールです。三角錐が描けない生徒は予想外にたくさんいます。
2018年8月18日土曜日
頭を通過させる
夏休みの宿題は終わりましたか?
学校のワークをやっている生徒を見ていると、幾つか気になることがあります。
一通り解答して、丸付けし、できなかった問題、間違った問題を赤ペンで正解を書き写してできあがりです。丸付けについてはあまり良いことだとは思いませんが、学校が丸を付けるように指導しているようなのでしょうがありません。話が長くなるのでここでは省略しましょう。(以前、このブログで書いていますが・・・)
問題は、正解を書き写したとして、その問題が頭を通過しているかどうかです。一旦、頭に入れる努力をしましょう。逐一解答を見て、転記するのではなく、一度全体を頭に入れてから、解き直します。習慣化しましょう。
学校のワークをやっている生徒を見ていると、幾つか気になることがあります。
一通り解答して、丸付けし、できなかった問題、間違った問題を赤ペンで正解を書き写してできあがりです。丸付けについてはあまり良いことだとは思いませんが、学校が丸を付けるように指導しているようなのでしょうがありません。話が長くなるのでここでは省略しましょう。(以前、このブログで書いていますが・・・)
問題は、正解を書き写したとして、その問題が頭を通過しているかどうかです。一旦、頭に入れる努力をしましょう。逐一解答を見て、転記するのではなく、一度全体を頭に入れてから、解き直します。習慣化しましょう。
2018年8月17日金曜日
2018年8月11日土曜日
夏期講習前半終了
夏期講習前半終了。来週は塾はお休みです。再来週20日より後半が始まります。
夏期講習期間中、中3は長時間なので、途中で30分の食事休憩を入れます。男の子はコンビニに弁当を買いに連れ立って出ていきます。とても楽しそうです。日本も豊かになったなと思います。
以下の分は数年前に書いたブログです。ふと、思い出したので、再掲します。
・・・・・・・・・・・
一家で寝過ごして、遅刻しそうな娘を中学へ送っていく際、弁当の代わりにコンビニでおにぎりを2つ買って持たせた。
その夜の娘との話。
「今日お昼、どうだった?」
「うーん、買い弁ってやだな」
「おにぎり買って来る子はいないの?」
「女の子はあまりいない。でも男の子はコンビニの弁当の子、沢山いるよ」
「ふーん。そうなんだ」
そして、話は読書好きなA君のことになってきた。
彼は、両親が夜働いていて、毎日自分で弁当を作ってきている。
「ご飯だけ入った弁当箱に、缶詰とかもって来るんだよ」
「そうか」
「こないだ、友達が泊りに行ったらしいんだけど、朝4時に起きて、ご飯炊いて、朝ごはん作ったんだって」
「へー。えらいねえ」
「たまに寝過ごして、弁当作り忘れることもあるんだよ」
「お昼どうしてるの?」
「本読んでる」
「そうか」
もう、この辺で僕の涙腺は緩み始めている。
あまりに昔読んだので殆んど忘れてしまっているが、イギリスの学校の食堂での話。
カフェテリア形式の食堂で中学低学年の女の子が、おそらく経済的事情で、ミルクのみのお昼をとろうとしている。受け取ったミルクを持って席に着こうとしたとき、人と交錯し、コップを落としてしまう。彼女は呆然と立ち尽くしてしまう。もう一杯のミルクを買う余裕はない。それを見ていた作者の私(年配の男)がミルクを買い、戸惑っている女の子にそっとミルクを渡す。そんな話だった。
第2次大戦後、世界はまだまだ貧しかった。イギリスも同様だった。
「それでね、水だけのときも・・・」
「うっ。もう良いよ」
限界だった。
”ああ
飯(めし)が天なのであります
みなで
分かち合い
食らうもの”
誰の作か忘れてしまった詩が数十年ぶりに蘇ってきた。
夏期講習期間中、中3は長時間なので、途中で30分の食事休憩を入れます。男の子はコンビニに弁当を買いに連れ立って出ていきます。とても楽しそうです。日本も豊かになったなと思います。
以下の分は数年前に書いたブログです。ふと、思い出したので、再掲します。
・・・・・・・・・・・
一家で寝過ごして、遅刻しそうな娘を中学へ送っていく際、弁当の代わりにコンビニでおにぎりを2つ買って持たせた。
その夜の娘との話。
「今日お昼、どうだった?」
「うーん、買い弁ってやだな」
「おにぎり買って来る子はいないの?」
「女の子はあまりいない。でも男の子はコンビニの弁当の子、沢山いるよ」
「ふーん。そうなんだ」
そして、話は読書好きなA君のことになってきた。
彼は、両親が夜働いていて、毎日自分で弁当を作ってきている。
「ご飯だけ入った弁当箱に、缶詰とかもって来るんだよ」
「そうか」
「こないだ、友達が泊りに行ったらしいんだけど、朝4時に起きて、ご飯炊いて、朝ごはん作ったんだって」
「へー。えらいねえ」
「たまに寝過ごして、弁当作り忘れることもあるんだよ」
「お昼どうしてるの?」
「本読んでる」
「そうか」
もう、この辺で僕の涙腺は緩み始めている。
あまりに昔読んだので殆んど忘れてしまっているが、イギリスの学校の食堂での話。
カフェテリア形式の食堂で中学低学年の女の子が、おそらく経済的事情で、ミルクのみのお昼をとろうとしている。受け取ったミルクを持って席に着こうとしたとき、人と交錯し、コップを落としてしまう。彼女は呆然と立ち尽くしてしまう。もう一杯のミルクを買う余裕はない。それを見ていた作者の私(年配の男)がミルクを買い、戸惑っている女の子にそっとミルクを渡す。そんな話だった。
第2次大戦後、世界はまだまだ貧しかった。イギリスも同様だった。
「それでね、水だけのときも・・・」
「うっ。もう良いよ」
限界だった。
”ああ
飯(めし)が天なのであります
みなで
分かち合い
食らうもの”
誰の作か忘れてしまった詩が数十年ぶりに蘇ってきた。
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