小学生の頃、絵を描くことが好きでした。絵は誰にも負けず上手く描けるとも思っていました。
確か、3年生の写生大会のときのです。私たちは画板と水彩セットを持って写生に出かけました。数人の友人と近くのお寺の絵を描いていました。
鉛筆で描いた下書きを水彩絵の具で塗り始めた頃です。雨がぽつぽつと降り出しました。やばいと思って、大急ぎで学校に帰ることにしました。
雨に濡れないように画板を傘の代わりにし、走りに走って、学校に到着しました。見ると一緒に走ってきた水沢君は絵を画板の上にしたまま傘代わりにしたので、絵が雨で滲んでしまっています。私を含めほかの友人は絵が濡れないように絵を画板の下にしていました。ちょっとどじなところのある水沢君を皆が大笑いしたように覚えています。
その後、絵を仕上げ、それらは教室の後ろや、廊下に展示されました。
一週間ほどして、学校に行くと、その絵に最優秀賞、優秀賞、佳作と描かれた札が貼られていました。私のは優秀賞で昨年と同じ。秘かに最優秀を狙っていたので、少しがっかりしながら、最優秀賞の絵を探しました。
そして、その絵を見つけて絶句しました。それは水彩絵の具が雨でぐちゃぐちゃになった水沢君の絵だったのです。選考委員の一人、町の画家が彼の絵を面白く斬新だと言ったとか。
その日以来、私は絵を描く情熱を失ってしまいました。丁寧に描くということに意味を見出せず、雑な絵を適当に描くというパターンが高校の美術選択まで続きます。それを”水沢君の呪い”と呼んでいます。
今も絵を描くとそのときのことを、ふと思い出すことがあります。