2012年10月30日火曜日

県立高校募集定員発表

県立高校の募集定員が発表されました。

昨年度とほとんど変更はありませんでした。

http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p530658.html

2012年10月28日日曜日

いくらいる?

以前の教え子からメールがありました。

「いくらいる?」

えっ? 何かの間違え? お金の無心なんかしてないし・・・

なぞはしばらくして解けました。いくらは鮭の卵のほうでした。美味しく頂きました。

2012年10月24日水曜日

音読

中2の生徒と英語の教科書の音読をしました。ほぼ50分、本文を音読し続けるだけの授業でした。最後に、長い文章を個別に読み、ストップウォッチで時間を計測しました。

いつも感じることは、読みが足りないということです。とつとつと呼んでいるようでは英語も、国語もたいした学力ではないことが直ぐに分かってしまいます。

5分、10分と同じ文章をよんでいると、だんだん速く自由に読めるようになります。初めての文章でも、幾つかの単語の意味をときどき与えるだけで、少しずつ意味が取れるようになってきます。”読書百遍 意自ずから通ず(魏志)”の世界です。

本当はこうした練習に沢山の時間を割きたいのですが、文法をやったり、演習問題を解いたりすることが勉強だと私たちも、生徒たちも思い込んでおり、なかなか難しいのが実情です。

枕草子、徒然草、平家物語、方丈記、李白の漢詩、その他・・・・。私が学校で暗証するように言われたものです。これらは数十年を経ても、時として蘇ってきます。私の言葉の一部を形成しているのです。

今でも、国語の文を暗記する作業は学校で行われています。それらは我々の祖先の時代から続く日本の学問の伝統です。

一方、英語の教科書を丸暗記する、といった勉強方はすっかり廃れてしまいました。それが一番力になると分かっていてもです。その理由もなんとなく分かります。だったら、せめて音読ぐらいは十分にしたいところです。数学や物理のようなピュア・サイエンスはその本質の追求が第一です。一方、もっと日常に近い、語学のようなものは骨格もさることながら、細部が重要になります。文法のみを意識して書かれた文が如何に陳腐なものかは誰しも理解するところです。言葉をトータルに捉えるという意味でも音読は有効です。

さて、ストップウォッチの計測の件ですが、次の週になると皆とんでもなく速く読めるようになっています。そして、意味もつかめているようです。文法事項は全くやっていないにも拘らずです。

2012年10月23日火曜日

受検まで何日?

中3の三者面談で、希望校より2ランクも下の高校を薦められるというケースは珍しくありません。

鳩山(弟)元法相が”公立の中学が民間の模擬試験を使って受験指導するのはけしからん”というようなことを言って以来、学校で市販の模擬テストが行われなくなりました。

その結果、学校の進路指導は内申点に頼らざるを得ず、更に、安全な受験ということを考慮すると、上記のような話は納得できるものです。私が進路指導するとしても同じことになるのでしょう。

問題は内申点と学力とが一致していない受験生です。そして、そんな受験生は沢山います。学力が十分なら、学校で薦められた高校より2ランク上を狙うことも当然考えられます。そして、その判断の基準は模擬テストになります。

模擬テストは1月中旬で最終になります。結果が出るのが1月末。2月始めには願書を出さなければならないので、1月後半や2月始めには模擬テストは行われません。

さて、そうなると、2月15日の受検まで1と月を余した1月中旬の最終模試には学力にめどが立っていなければなりません。今日から約2ヶ月と3週間程度です。受検当日までは約3ヶ月と3週間程度ですが、実際にはその1ヶ月前に結果を出さないと希望校に願書を出せないことになります。

受検まで”・・・日”という言葉に誤魔化されてはいけないようです。


2012年10月19日金曜日

無精者

サボテンは無精者に最適の植物です。

以前、友人の引越しを手伝ったとき、いつ買ったとも知れないサボテンが埃にまみれていました。
「これ、捨てる?」と聞くと、「持っていくかな」の返事。何の世話もしていないように見えましたが、しっかり生きていました。「サボテンって、すごいな」という印象がインプットされました。

今年、サボテンの寄せ植えを購入しました。乱雑で、殺風景な息子の部屋に置いたのです。勿論、世話は息子がします。

先日、そのサボテンが枯れているのに気づきました。どんな無精者も枯らすことがないと思っていたサボテンが枯れたのです。

KC3N0025.jpg

「お前ってやつは・・・・・」



手前右が枯れたサボテン

2012年10月17日水曜日

国体

国体の開会式をTVで見ました。国体の開会式を見るのは随分久しぶりです。

47都道府県の選手が各県のプラカードの後ろの整然と?並んでいます? うっ。そんなに整然とはしていません。後ろのほうは列が歪んで、選手もだらしなくお喋りしています。

そうか、日本も変わったんだな。オリンピックで外国の選手団はそんなにちゃんと並んでいません。日本人も世界基準になったようです。

選手宣誓のとき、男子選手が言葉を忘れてしまったようです。その後、昨年の優勝県の代表者が天皇杯を変換した後、レプリカを受け取るのを忘れて戻ってしまい、再度、レプリカを取りに壇上に上がるというハプニングもありました。

変わった。確かに変わった。日本人はそうしたことを沢山の練習によって、世界で最も完璧にやってのける国民だったはずです。そして、それが日本の製品の信頼性を支えていたはずです。

以前こんなコマーシャルがありました。”大丈夫か? 俺。 大丈夫か? 日本” 

ところで、国体は必ず開催県が総合優勝するように仕組まれています。かつて、高知県知事の橋本大二郎が”もうそろそろ、開催県が優勝しなくても良いのではないか”といったことがあります。県外選手の住民票を開催県に変えたり、その他様々なことをして優勝をするようにするのはどうなのだろうという疑問提起でした。その年、高知県は優勝せず10位になりました。それが、長い国体の歴史で唯一、開催県が優勝しなかった年です。

山口県のある知事にいたっては”ずるをしてでも優勝しろ!”とか”旗振り競技(柔道のように判定する競技)では地元に有利に旗をあげるべきだ”とまで言いました。

人間は変わっても、システムがそれに追いついていないようです。

2012年10月13日土曜日

模試その2

今月は2種類の模試を行いました。どちらも神奈川県の新入試を意識したものですが、内容と問題のレベルに大分違いがあります。

一方はこれまでの神奈川県の入試に教育委員会発表の出題例を加えたようなもので、わりあい点数を稼ぎやすい。もう一方は首都圏の埼玉県や千葉県の入試を意識しつつ、やはり教育委員会発表の出題例を加えたようなもので、難しいと感じる生徒が多い。

このどちらが本物に近いのか気になるところです。昨年までの神奈川県の入試は高得点にほとんどの受験者が集まるという正規分布とは程遠いものでしたが、今度は幾らか正規分布に近づくのではないかと思われます。

何れにしても、ミスをしないことばかりを気にする勉強(易しいことを間違えない、守りの勉強)から、積極的に問題を解いていく(できないことを少しでもできるようにする。責めの勉強)に少しだけ舵を切ったことになります。

あと4ヶ月。頑張れ、受験生。

2012年10月9日火曜日

模試

中3で模試を行いました。答案を回収し、整理します。その際、受験番号等のチェックを同時にします。

そんな時、受験番号を間違える人、選択問題の記号が未記入の人、その他の不備のある人が必ずいます。たったそれだけのことがきちんとできなくて、良い点を取ることなどできるはずはないと思えます。

彼らが社会に出たときに、彼らに仕事を頼んだら・・・ちゃんとやれるのだろうか?

日本人の仕事の精度が落ちているという話は随所で耳にします。仕事に対する精度や姿勢はおそらく相当小さい頃から培われるものでしょう。その生真面目さこそがこの国を支えてきたはずです。

消しゴムで、受験番号を書き直し、選択番号を記入し。これが本番だったら?笑って見過ごすわけにはいかなくなります。

2012年10月2日火曜日

理想とする英語力①

国連で尖閣諸島をめぐっての議論がありました。中国外相の日本批判に対し、日本の国連代表部・次席大使が反論をしたのです。

中国は中国語で、日本は英語での議論でした。

次席大使は中国外相の日本批判を聞きながら、その場で反論を書いていました。TVを通してなのではっきり分かりませんでしたが、それは日本語ではなく、英語で書かれていました。

そして、直ぐに英語による反論を開始したのです。そして、その英語は日本の高等教育の中できちんと学んできた英語という印象を与えるものでした。つまり、英語をマザータング(母国語)とする人のような流暢な発音ではなく、一語一語、明確かつ丁寧に発音されいる、おそらく文法的にも正確な英語という意味です。

英語の得意なタレント(例えば、関根まり)やある程度の期間アメリカにいた帰国子女に比べても、明らかに外人が話しているとわかる英語でした。そして、その英語で堂々と議論する。それこそ英語を母国語としない人々が理想とすべき英語なのではないかと思えました。

フランスの外相が話す英語、ドイツのEU大使が話す英語。これらは決して英語英語した英語ではないように聞こえます。強烈なフランス語風の英語やドイツ語訛りの英語です。

F1のドライバーは大抵、自由に英語を操ります。そして、彼らの英語もイタリア語のような英語、スペイン語のような英語です。

そこに、私たちの目指す英語があるように思います。英語は最早、イギリス語、アメリカ語ではなく、その単語と文法を借用した別の言語だと考えたほうが良いのかもしれません。私たちのカタカナ英語をもっとブラッシュアップして、日本語のような英語亜種を作り出す。どうでしょう?