2015年10月29日木曜日

ハロウィンの日に思い起こさなければならないこと 採録

ハロウィンが間近に迫ってきました。

数年前に書いた文を再度ここにアップしたいと思います。日本でのハロウィンは驚くほど盛んになり、一方で、服部君事件は話題になることもあまりなくなってきました。私の中でも服部君事件は風化していますが、せめて、ハロウィンの日だけは彼の事件を思い出したいと思います。

下記の文は以前このブログで書いたものの採録です。

『ハロウィンを日本でも祝う人が増えているようです。僕自身は、陽気に騒ぐ人々のニュースを見てもあまり楽しくありません。どうせ、バレンタインと同じで、どこかの商売に乗せられているだけだと思えることが一つの理由ですが、もっと大きな理由は”服部君事件”です。

服部君は東大合格者数十人を出す愛知県の進学校、一宮高校の生徒でした。AFSの留学生としてアメリカに行っていましたから、彼自身も相当優秀な人だったと思います。当時、この事件は日本ではかなり騒がれました。以下のような事件です。

日本人留学生、服部剛丈(はっとり よしひろ、当時16歳)が、寄宿先のホストブラザーとともにハロウィンのパーティに出かけた。しかし、訪問しようとした家と間違えて別の家を訪問したため、家人ロドニー・ピアーズ(当時30歳)から侵入者と判断されてスミス&ウェッソン社製の.マグナム装填銃を突きつけられ、「フリーズ(Freeze「動くな」の意)」と警告された。しかしながら服部は仮装の際にメガネを外していたため状況が分からず、「パーティに来たんです」と説明しながらピアーズの方に進んだところ、玄関先、ピアーズから約2.5mの距離で射殺された。
 ピアーズは、日本の刑法では障害致死罪に相当する計画性のない殺人罪で起訴されたが、同州の東バトンルージュ郡地方裁判所陪審員は12名(白人10名、黒人2名)全員一致で無罪の評決を下した。評決の理由は裁判において、明らかにされていない。ルイジアナ州の法律では、屋内への侵入者については発砲が容認されているが、服部は屋内に入っていない。ただし、裁判では、服部が屋内に入ったとの証言があった。この裁判の場合、傷害致死罪を適用するのは最初から無理があり、無罪評決は正当防衛を認めたものか、傷害致死罪の構成要因を満たしていないと陪審員が判断した結果なのかは不明である。評決後の陪審員の記者会見の「外国人が米国の制度に口出しをするのが不快だった」という言葉に見られるように、過剰防衛という刑事上の問題を銃規制という文化批判にすり替えてしまった遺族側の失策に起因するとも考えられる。
 この後行われた、遺族が起こした損害賠償を求める民事裁判では、刑事裁判とは正反対の結果となった。ピアーズが家に何丁も銃を持つガンマニアであり、しばしば近所の野良犬や自宅敷地内に入ってきた犬猫を射殺しており、当日は酒に酔っていたことなどが実証されたため、正当防衛であると認められないとして653000ドル(およそ7000万円)を支払うよう命令する判決が出され、同州高等裁も控訴を棄却したため確定した。ただし、ピアーズは自己破産をしたため免責となり、実際の支払いはほとんどなされていない模様。 
 服部の両親はAFSと友人たちの協力で「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動を開始、1年余で170万人分を超える署名を集めた。199311月、当時の大統領、ビル・クリントンに署名を届けるために面会した。服部夫妻がワシントン.に滞在していた間に、アメリカにおける銃規制の重要法案であったブレディ法が可決された。” (ウィキペディアより引用)

ちなみに、ブレディ法はレーガン大統領暗殺未遂事件の際、頭に銃弾を受け半身不随となった大統領補佐官ジェイムズ・フレディが成立のため奔走した銃規制のための法律です。後のブッシュ大統領(全米ライフル協会会員)のとき、この法律は廃止されます。確か、レーガン大統領も全米ライフル協会の会員だったはずです。

僕にとってのハロウィンは服部君事件であり、銃規制です。仮装して大騒ぎをしている日本人を非難する気はありませんが、年に一度、この日は日米の多くの人々の銃規制に対する努力に敬意を払う日であり、一向に変わらない銃の現実を憂う日であり、そして何よりも、服部君の鎮魂の日なのです。合掌。』

2015年10月25日日曜日

実力に合わない問題「大学受験数学」

この時期、予備校と塾を掛け持ちでやっている受験生から予備校の教材に関する質問が増えてきます。

学力ではなく志望校によってコースを選ぶためか、教材が全くあっていない場合が多々あります。その教材をほぼ1から10まで教えた後で、「これは、お前の勉強には合ってないぞ」と伝えます。本人もそう思っているようですが、高額の授業料を払い込んでいたりで、簡単ではありません。予備校で扱う教材を予備校で処理できず、それを教わりに塾に来るのは本末転倒ですが、現実には難しいのでしょう。

同様に、志望校が高すぎる場合、赤本のような教材をやっていくのも問題です。入試問題が必ずしも良問でないということ、難しい過ぎる問題を教えられて解いても自力で解けるようにならないこと(その基礎となる技術に習熟していないから)などです。一度、ランクを落として、足元を固めるべきです。例えあと3ヶ月後だとしても。

人生には泣いても笑っても上手くいかないことはあります。受験はそのひとつです。大切なことですが、それが全てでもありません。自分のやっていることに相対的な視点を持つことも重要です。

2015年10月20日火曜日

悠々会2

前回の悠々会の写真を少しアップしておきます。

カヤックのある教室。
いつも氷の入った袋を持って来るSさん。
ありがとう。冷たい飲み物が造れます。



懐かしい顔も。

2015年10月18日日曜日

煮干の解剖

ちょっと気になっている会社「仮説社」の「煮干の解剖教室」という本を取り寄せました。

仮説社:煮干の解剖教室

来週、小学生と実験です。10センチ以上の腹の割れていない煮干を使うとありました。

煮干を買うのは初めてです。10センチって?煮干ってそんなに大きかったっけ?それに、煮干10匹くださいってわけにはいかないよね。

余ったものをどうするか?その研究?もしなければなりません。

2015年10月10日土曜日

教科書改訂

来年中学校の教科書が改訂されます。これは4年に一度の定期的な改定です。指導要領の改訂ではないので内容的に大きな変化があるわけではありません。

その中で目立ったのは理科の教科書で、各社軒並みページ数が増えていることです。理科離れが言われる中、理科教育の建て直しは急務なのでしょう。実験を扱う部分が多くなっているようです。問題は、学校でどれだけ実験を扱うかですが・・・

解剖学者、養老猛は、”脳は自然が嫌いだ。自然は無秩序で、脳には扱いきれない”というようなことを言っています。実験はまさに脳が自然(なま物)と対峙する最前線なのです。

感覚的ですが、実験が嫌いな子供は相当割合でいると予想します。以前、東京理科大に合格した女子高生に「大学入ると実験がありますか?」と聞かれたことがあります。「当たり前だろう?うれしい?」と尋ねると。「実験したくないんです。やらないで卒業できませんか?」と鳴きそうな声で答えました。

さて、ノーベル賞です。ここ数年、日本の受賞者は、そんななま物とじっくり取り組んでいた人たちが続きます。沢山の失敗?を経て、成果を出した人たちです。同時に、スーパーカミオカンデのような巨大実験施設は、まだ貧しかった戦後の日本で、実験もままならず、理論物理をやっていた湯川秀樹(日本最初のノーベル賞受賞者)その他の俊才にはどのように映るのか、ちょっと聞いてみたい気にもなります。

2015年10月4日日曜日

全県模試実施

中3で全県模試を実施しました。

この先、11月下旬の後期中間テスト、仮内申決定、三者面談、併願私立高校決定、・・・、公立学力検査、合格発表。あっという間に時間が過ぎていきます。

それに伴い、生徒たちも高校入試という明確で具体的な目標に向かって集中と緊張を高めていきます。

毎年、この時期以降、中3の授業をするのは大きな喜びです。

それは、彼らの目標がそのまま私の目標だからです。私も目標に向かって集中と緊張を高めていきます。