2013年5月29日水曜日

かえれまテン

久しぶりに”帰れまテン”をしました。数学の問題が予定の得点をクリアするまで延々と同じ問題を解き続けるのです。

初めは喜んでやっていた生徒も10時を過ぎ、11時になんなんとすると、さすがに疲労の色が見えてきました。11時になり、ドクターストップ。

それでも、生徒の間には終わったという開放感とやりきったという充実感が残ったようで、”先生、またやろう!”と言いながら、元気に家に帰っていきました。

よし、今日もやるぞ!

吉田秀和の死

昨年98歳で亡くなった文化勲章受章者にして音楽評論家・吉田秀和のドキュメンタリーをNHKでやっていました。その中で、”結局はバッハ、モーツァルト、ベートーベンの3人。バッハは裏切らないよね”と言っていたのが記憶に残りました。

そのせいもあり、、塾で、バッハの平均率クラヴィーア曲集を流したりしています。特に高校生の数学の授業では思考に沈溺するのに良いようにも思えます。

吉田秀和と言えば、小林秀雄、大岡昇平、中原中也、河上徹太郎等、そうそうたる鎌倉文化人の一人でした。小林秀雄のモーツァルト論によると、大阪の御堂筋を歩いているとき突然、交響曲40番が頭の中に流れ始めます。そして、その有名すぎる旋律を”疾走する悲しみ”と呼び、その後長く日本人のモーツァルト像は小林秀雄のモーツァルト感そのものだったように思います。

私は小林秀雄のあまりに文学的過ぎるモーツァルトからクラッシクに目覚め、吉田秀和によって、更にその世界に関心を持つことになっていきました。

吉田秀和の死は小林秀雄を中心としたスクールの終焉とも言えるもので、日本の文化・思想の中心部に大きな空白ができたような感じがします。

ところで、今年のセンター試験の国語に、小林秀雄が久しぶりに出題されていました。まだ、出るんだ・・・。勿論古文ではなく、現代文です。

2013年5月25日土曜日

ローマ字

新中1を教えていてふと気になりました。英単語がなかなか憶えられない人が目立つのです。そして、その間違え方が普通ではないのです。

その原因の1つはローマ字の学習不足だと思われます。ローマ字に慣れていればアルファベットと発音との間にある程度の類似があります。apple をアッペレ、baseball をバセバ11とよんで憶えるやり方です。

英語学習にローマ字をはさむことに対する批判があります。しかし、十分な英語環境が与えられていない普通の小学生が中学に入って初めて英語を学ぶ場合、ローマ字が自由かどうかは無視できません。

ゆとり教育が終わり、小学校で十分にローマ字を教えているのか?という疑問も湧いて来ます。小学校4年生から英語を必修化するようですが、その中でのローマ字の扱いはどういうものなのでしょう。

とりあえず、一部の生徒にローマ字の宿題を出しておきました。

2013年5月19日日曜日

文武両道

ホームページを見ると、文武両道を謳っている高校が沢山あります。この場合の文武両道は”勉強”と”部活”です。

文武両道の意味については諸説ありますが、一般的には”学問”と”武芸”ということなのでしょうが、”文は考えること、武はその考えを実行すること”だという説も有力です。

問題はそれを両立させることです。個人的な感想をいえば、”勉強はゆるく、部活はきつい”という高校が多いように感じます。

来週から、近隣の高校が一斉に中間テストです。昨日は一日テスト対策をしていました。体験に来ている生徒があまりに基本的なことを知らないので、「学校の授業聞いているの?」と聞くと、「寝ている」との事。彼の属するサッカー部は夜遅くまでの練習に加え、朝練も当然のようにあり、テスト期間中も自主錬という名での練習や試合が入っています。そのため、サッカー部は全員授業中に寝ているそうです。さもありなむ。

個人的には、学校での部活を一切無くし、今部活でやっていることを地域のクラブのようなところでやるというドイツ式のやり方が理想的だと思います。学校と部活が同じメンバーによる閉鎖された社会ではいじめや暴力を含め、様々な問題の解決が図れません。社会人や大人の目に晒された学校とは別の組織で学校では学べないことを学ぶ。どうでしょう?

どのみち、現状では”文武両道”なんて殆どの高校で絵空事なのですから。

2013年5月17日金曜日

新規まき直し政策

ゆとりの教育のときは中1、中2で地理と歴史、中3で公民をやっていました。

新指導要領では中1,2で地理と歴史、中3で歴史の残り(近現代史)と公民をやるようになりました。中3に歴史の一部が残っているのが何となくすっきりしないように思っていましたが、最近、これは案外良いかもと考え始めています。

その理由は、現代社会が近代の歴史の結果として成り立っていることがよく分かるからです。以前は公民は地理とも歴史とも無関係の別の教科を扱っているかのようでした。それが”このような歴史的経緯があり、その結果、現在の制度や考えができている”という風に理解しやすくなったからです。

昨日は世界恐慌を扱いました。ニューディール政策、ブロック経済、・・・。まさに、そのまま現代社会です。アベノミックスをどう理解するかの一助にもなるかと思い、授業を進めました。

そういえば、ニューディール政策は”新規まき直し政策”と訳されていたはずです。カタカナ英語を日本語にすると英語にはない”微妙な感情”が付け加わります。アベノミックスをひらがなと漢字で言い換えるとどうなるのでしょうか?

2013年5月12日日曜日

桜 鳥 電車

私には90歳を越した父がいます。旧陸軍将校で、今でも数冊の本を平行して読み、ボケ防止のためと称して高3程度の数学の問題を解き、車の運転は勿論、数kmのジョギングをし、様々な公の活動にかかわっています。

その父が急な腹痛で、生死の間をさ迷うことになりました。胆管に1.5cm大の腫瘍らしきものがあり、激しい傷みと、黄疸が出ていました。

救急外来に着くと、各種検査をし、そのまま入院ということになりました。入院手続きをする際、老人のためか、次のような質問を看護士がしました。

”これから言う、3つの言葉を覚えてください。桜、鳥、電車”
父は頭はハッキリしていますが、耳が遠く、聞き取れる音とそうでない音があります。
”さっき、言った言葉を言ってください”と看護士。
”桜、鳥、ねんざ”と父。
”桜、鳥、電車ですよ”と看護士。
”桜、鳥、便座?”と父。
このとき、一緒に行っていた私の娘が我慢できず、その場に似つかわしくない大笑いをしてしまいます。
看護士はやや苛立って、”電車、電車!ですよ”と大声で叫びます。
”あー、なんだ。電車か”と父。

耳が遠いという一事で、ボケ老人として扱われるところでした。

2013年5月10日金曜日

新中1 その2

新中1を見ていると、今の小学校がどんな様子かよく分かります。基本的な学習態度ができていない生徒が目立つからです。その中でも、人の話を聞くことが総じてできていません。本来、それは小学低学年で身につけるべきことだと思います。

話が聞けないということは、伝えられる情報のかなりの部分が伝達されないということです。恐らく学校の授業の殆どを聞いていないのでしょう。それでは分からないのも当然です。

新たに入塾した子たちが話を聞けるようにしながら学習を進める。話が聞けるようになっている中2、中3に比べるとかなりのエネルギーを必要とします。

勉強そのものもさることながら、学習態度にそれ以上に留意する。それが中1を教える難しさと楽しさです。

2013年5月7日火曜日

歴史から公民へ

憲法改正がいくらか現実味を帯びてきました。まずは、改正手続きを定めている96条の扱いが問題となります。

現在、中3の生徒は歴史で第1次世界大戦前後を学んでいます。その後第2次大戦。戦後社会と進み、高度経済成長以降は歴史ではなく公民になります。

北方領土、尖閣諸島、竹島。地理でも、歴史でも、公民でも現実の問題を度外視して、授業を進められなくなってきました。生徒たちにとってそれらは宇宙のかなたの話でもなければSFの話でもなく、数年後、或いは十数年後の未来の話なのです。

生徒たちもそれぞれが意見を持っています。私の役割はそれらを一方へ誘導することではなく、彼らが自分の力で十分に考えられるようにしてやることだと思っています。

私の世代は幸いなことに鉄砲をかつがずにすみそうです。しかし、今の中学生は分かりません。彼らの未来がどのようなものになるのか、それに十分関心を払ってもらいたいものです。彼らの未来は彼らの手の中にあるのです。”

ノンフィクション作家の鎌田慧氏が東京新聞に書いたコラムの中にこんな一節がありました。

「戦争には勝者も敗者もいない。沢山の死者がいるだけだ」

政治をしている老人たちは30年後、40年後の社会に責任を持ちません。若い世代の意見を十分に取り入れるため、選挙権を18歳まで下げて良いかもしれません。彼らこそ憲法改正の功罪を身をもって担わなければならないからです。