2011年2月28日月曜日

後期発表

高校受験が終わりました。今年は安全な受験生ばかりというわけではなかったので、結果が出てこちらも脱力状態です。

そのうちの1人は内申が全く足りない状態での受験でした。内申のみでは2ランク以上下の学校を受けることになります。普通なら受験校をずーと下に下げるところでしたが、本人にやる気があること。そして、彼が行きたい高校の生徒を何十人も教えてきた経験から、『その高校に入れば最上位でやれる』と思えたこと。その2点で『チャレンジ受験』の決断をしました。この決断は本人の決断ですが、それは同様に私自身の決断でもありました。幾つかの模試の結果、過去問を解いた結果、学力の進捗、そうしたものを睨み合わせながら、『簡単ではないがいける筈だ』という判断で、後期選抜の願書を出したのです。

本番は計算通り、予定の範囲内の結果でした。もう少し取れても良かったのですが、贅沢はいえません。いろいろなデータから、まず90%合格だろうと判断しましたが、最後の最後に引っ掛かりが残っていました。『特記事項』です。この加算分15点がある限り一縷の不安が残ります。楽な勝負をしているわけではありませんから、この15点は脅威です。

合格の報を聞いても、喜びはさほど無く、安堵感でいっぱいでした。

2011年2月24日木曜日

相手と自分を思いやる

プロ棋士の依田紀基氏が著した「プロ棋士の思考術」は、私にとっては氏の思考術よりもその半生や社会の諸問題に対する氏の意見に対して印象の残る本でした。
氏が内弟子になった時のエピソードの中で、今でも役に立っている言葉があるので紹介します。


『ただ、(師匠の安藤氏の)奥さんからは、安藤家の家訓みたいなものを2つ言い渡された。
「絶対に借金の保証人になってはいけない。保証人になる位なら、今持っているお金を全てその人にあげなさい。」
「お金を貸してもよい。しかし、貸したなら、それはその人にあげたと思いなさい。絶対に催促してはならない。」』
(以上『』内部著書「プロ棋士の思考術」より抜粋)


これを読んだ当時の僕には保証人も金銭賃貸もまるで無縁の話題ではあったのですが、当時から大切にしておこうと思ったものです。
発想が素晴らしい。無慈悲に「保証人になるな。」ではなく、「なる位なら、持っているお金を全てあげなさい。」という発言にはこの奥さんの人情味があふれ出ています。


ここで大切なことは【相手と自分を思いやる】事です。
例えば団体の会計等を自分が管理している場合などは、どうしても返済を催促せざるを得ない場面もあるでしょう。その時も「○×までに全額返して!」ではなく、どうすれば無事に返ってくるかを考えた方が確率も高くなるし、お互いに建設的なストレス程度で済みます。


信頼している人間が思ったよりも行動してくれない事は良くあることです。
逆に信頼を得ているにも関わらずなかなか手が進まない事もあるでしょう。
それを理解する事こそが、第一歩なのではないでしょうか。




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悠々館では只今中学準備講座を受付中です。

2011年2月23日水曜日

少年Nと悠々館②

「このまま残り2年間を過ごすのは絶対にまずい。」
数学の授業後にそう感じたNは勉強の方法を考えます。


彼は大手の予備校に行く気はあまりありませんでした。
大手予備校は駅前に存在する為彼の自宅とは反対方向であった事と、(失礼ですが)彼の周りの予備校通いの子達が必ずしも年間料金に見合った成果を出していないと感じていたからです。
マジョリティに加わる事が苦手な性格である事もこれを後押しし、答えの出ないまま時を過ごす事になります。2年生からは物理も始まり、状況はいよいよ取り返しがつかなくなる所まで来ていました。


ある日、勉強の話をしていた折に一人の友人に話を持ちかけられます。
「N、それだったら悠々館に来ない?」
「悠々館?」
その塾に紹介で入る人間のおよそ9割はするのではないか、というテンプレートな受け答えの後、友人は続けてその悠々館なる塾の説明に入りました。


友人によれば、どうやら悠々館と言う場所は
・高校から近く、自転車で5分程度の距離である
・個人塾であり1クラス当たりの生徒数が少ない
・授業料も予備校に対して圧倒的に低く抑えられ、サービスも良い
そんなニーズに答える所であるそうです。優柔不断なNはその場での明言は避けたものの、既に「ここしかないんじゃないか?」という考えが心を支配していました。

2011年2月22日火曜日

中学準備講座・開講
●対象 新中1
●日程 3月の月・火 5時~6時40分
●内容 月曜日:英語入門・・・英語学習が初めてであることを前
                   提に基礎の基礎から
     火曜日:数学入門・・・正の数・負の数~方程式
●費用 初めての人は無料(ただし、テキスト代1,000円程度の
     負担をお願いします)
●問い合わせ・申し込みは 電話(19:00~)またはメールで

八木先生のこと

過日、若き友人にして、教え子、そして同僚である八木先生の父君が他界されました。ここに、その御冥福をお祈りしたいと思います。

しばらく八木先生は塾に関ることができません。その分を長尾先生、野地先生にお願いすることになります。

随分前、八木先生が早稲田の理工に合格したとき、ぼくは彼に数学を教えていました。合格の報告に来たとき、父上と夜行列車「北斗星」で北海道へ行くのだと、嬉しそうに話してくれたことが昨日のことのように蘇ってきました。

今度は八木君をおいて、父君一人で旅立たれたました。合掌。

2011年2月21日月曜日

面接と作文

次の高校入試がどのような形になるのかはっきりしていませんが、選抜の中に面接と作文を入れる話もあるようです。

作文はまだしも、面接については異論があります。

私のささやかの経験の中で、非常に親しくなった友人のほとんどは初対面で良い印象を持たなかった人。悪い印象だった人です。彼らは自分を取り繕っていませんから、初めはよく思えません。ただ、付き合う時間が長くなるにつれその良さが分かってきます。

逆に誰が見てもとてつもなく好印象というタイプの人もいます。人生の中で数人ですがそんな人にあったことがあります。その印象はたいてい裏切られることになります。彼らは自分がどう見られているかをよく知っており、残念ながらそれを利用します。

さて、試験官は余程の慧眼を持った方なのでしょうが、面接には必ず恣意性が付きまといます。それが、作為的でないように注意しなければなりません。面接そのものを否定する気はありませんが、得点化には細心の注意が必要です。稀有の才能が面接によって試験を落とされるというケースは洋の東西を問わず様々あります。

同様なのは、以前も書きました特記事項です。この学区では後期選抜の20%枠に特記事項の15点を加える高校があります。その学校は独自入試ですから、5教科で高々190点程度の争いです。そこに、突然ジョーカーのようにして、内容の明示されない15点が加わってきます。この15点はかなり大きな得点です。TVのクイズ番組でよくあるボーナスポイントです。「今までの問題は何だったの?」というやつです。何か意図があるのかと勘ぐられても仕方が無いものです。

何れにしても、子供たちの努力が正当に評価されるシステムであることを望みます。

2011年2月20日日曜日

ノートをきれいに書く・・・そんなのは勉強じゃない

学年末テスト一週間前となりました。早くから塾に来て、自習をしている子達もいます。その勉強の様子を見て『うーん』と唸ることがよくあります。

最近、気になったたのは、彼らが勉強と称して、ノートのまとめを作っていることです。『東大生のノートは必ず美しい』といった類の本がベストセラーになった影響か、それとも、内申点にノート点〈ノートの評価〉が入るからか、熱心にやっています。昨日も「これをコピーしてください」と言って、教材を持ってきた子がいます。どうするのかと思ったらそれをノートに張るのだそうです。そのとき、感じたのは「こんなのは勉強じゃない」ということです。自分の手でうつすのならまだしもコピーを使うところでもう終わっています。

ノートを書くことは勉強の入り口で、中心的な課題ではありません。ノートを美しく作る人はたいていそこで勉強が終わっています。問題はノートの先なのです。

もっと色を使ったらノート点がAになる、と言われた子もいます。変な話です。色は黒に赤で十分。多色になれば見づらいだけ。ノートに時間を使うより、問題演習に時間を費やした方が効果的です。入力ばかりの勉強なんでありえません。初期の段階から、入力に見合った出力を考えるべきです。

かつて東大生は字が下手なことで有名だった・・・ような気がします。本当に『東大生のノートは必ず美しい』のか訝っています。

2011年2月18日金曜日

少年Nと悠々館①

高校1年生の時、Nは塾に入っていませんでした。自主自律という校訓など全く知りませんでしたが、「高校からは自分で勉強する」といって中学まで通っていた塾を離れたのです。
本心はその塾が「江南行ったなら東大行け!」と言う位高校生に対してしっかりと進路指導する所だったので、そのまま塾を続けていたら部活を続けられないと思ったからでした。
こうして初めて鎖を解かれた少年は、真っすぐと下降の道を歩むことになります。


おかしいなと感じ始めたのはいつからでしょうか。
テストの点はとれない。授業も身が入らない。学業が楽しくない。先生からポジティブな言葉をかけられた覚えは一度もないし、とにかく学業についてまともな覚えがありません。
周囲はやれ横国だ、MARCHは最低限と話す中、Nは自分が入れる大学なんて存在するのか?と思っていました。


原因は「家庭で学習する習慣が無いから」
Nとしては中学のテスト勉強は家でやっていたので高校でも同じようにやれば良いと思っていたのですが、現実は家に着くと何もやる気が起きませんでした。
とにかく眠い。机の横のベッドが放つ重力は強力で、彼は容易に吸い込まれていったものです。


そしてそのまま2年生になり、転機の瞬間が訪れます。
学校の先生「ではN君、この直線のtanθはいくつかな?」
N「え、、、わかりません。」
先生「えぇっ!?ちょっとちょっと勘弁してよ(笑)」
呆れてものも言えない。といった顔をした先生は少し合間を空けた後、別の人に答えをもらい授業を再開しました。

2011年2月17日木曜日

限界を超えて

『もうだめだ』と思ったとき、『それでもまだ頑張ってみる』。そんな体験をいったいどこでするのでしょう。

かなりの距離を走って校庭に入った後、『あと一週』の声。『えーっ』と思いながら、最後の渾身の力を振り絞ってよれよれになってゴールする。そんな昔の部活のことを思い出しました。

中学校の部活については色々な意見があります。必ずしも肯定的なものばかりではありません。確かに批判されるべき多くの点があります。

ただ、今の生活の中で、中、高生が限界まで頑張って、更にその先に挑戦する。そんな機会は運動部の部活を除くとなかなかありません。

勉強でも同じことが言えるのですが、頭の中はあくまで個人のものです。他人が拘束することはできません。そして、多くの人間は自分に甘くなってしまいますから、『もうだめだ』と思うと、さっさと止めてしまいます。結局、限界を超えることができません。それどころか限界のはるか手前で止めてしまうことになります。

あの不合理で理不尽に思えた部活の練習にも、それなりの意味があったのかと思ったりもします。

2011年2月15日火曜日

不器用なメッセージ

【反抗期】
反抗期とは、親の希望や要求に対して子供が反抗した行動を取る時期を指し、
一般的に3・4歳時に訪れる反抗期を第一反抗期、思春期頃に訪れる反抗期を第二反抗期と呼ぶ。



この反抗期という時期について、心療内科医師であり不登校のスペシャリストでもある赤沼侃史医師は次のように述べています。


『一般論として、思春期の反抗期、第二反抗期を子どもの自然な姿だと解釈されていますが、それは間違いです。第二反抗期とは子どもが与えられた環境、多くは学校について、または親の対応について、辛いよと子供が出すサインです。


思春期前後の学校生活を楽しめている子供には、第二反抗期はありません。
思春期前後の学校生活が楽しめない子供について、親が追い打ちをかけて子供を苦しめてしまうときに、大人が第二反抗期と判断してしまうような反応の仕方を子供がしてしまいます。「学校が辛いのに親がその子に追い打ちをかけて辛くしている」という子どもからのサインを大人が勝手に反抗期だと理解しています。
ですから大人が反抗期と理解したときには、子どもは学校が辛いしその辛さに親が追い打ちをかけているというサインを出しているのだと判断されます。』

(以上『』内http://shitaina.fc2web.com/text/a111.htmlより抜粋)


僕が初めて中学生を担当した時、まずはじめに抱いた心は生徒が反抗期を迎えた時が怖いという恐怖心でした。年下の子供を持たない僕にとってそれは未知の世界であったからです。
また「反抗期とは誰しも必ず訪れる自然現象」だと解釈していた事もあり、赴任後も彼らの様子に心を砕いて授業を行っていました。


しかし勉強について赤沼先生の主張を採用すれば、学校での勉強が辛く・家庭や塾でもその悩みを解決することが出来なくなった時に彼らは反抗を起こす(サインを出す)事をします。確かに取り返しが容易でなくなる時期と反抗期は重なる所があるのではないでしょうか。
つまり、もし生徒が僕に反抗してきた場合、それは授業が問題の解決になっていないということを意味することになります。書いていてドキッとしてしまいました。

2011年2月12日土曜日

受験制度の変更について・・・その2

中学校から高校に送られる『調査書』に、『特記事項』というものがあります。今度の受験制度の変更で改めて欲しいことの一つはこの『特記事項』です。

理由は簡単で、その内実が不明だからです。ある意味で不正に近いことが起こりうる部分です。公立高校が明確な基準を前提とし、公明正大に入学者を選抜するのであれば、さっさと止めるべきでしょう。さもなくば、少なくともその内容と基準を明示すべきです。

残念ながら、時として妙な噂が流れます。その多くは部活と関係しています。おそらく噂のような不正はないのでしょうが、ルールそのものが明確でない場合、事態はもっと深刻です。きちんと公の批判に晒されるべきだと思います。

様々な利害(それも受験生ではなく、その周辺の人々の利害)によって、受験制度が歪まないようにして欲しいものです。

2011年2月10日木曜日

表裏一体

今日、私立高校の入試が行なわれます。

公立後期を受ける生徒のほとんどは併願確約というシステムで受験をします。これは、公立後期を受けることを認めた上で、公立に落ちた場合、私立に進学するというものです。併願確約がある限り、私立入試で落ちる可能性はほぼ0になります。したがって、受験者数と合格者数は同数で、競争率は1倍です。

このシステムはかなり不思議なシステムです。

さて、早ければ現中1から、公立高校の入試制度が変更になるようです。これにともなって、私立高校の入試制度も変わるはずです。公立と私立は表裏一体の関係で、別のシステムというわけではありません。

ここ数十年続いている神奈川県公立高校の進学実績の落ち込みは私立中高一貫校の進学実績の向上という形で補填されています。知り合いの物理学者が『質量保存の法則のみが本当の意味で法則と呼べるものだ』といっていたのを思い出します。『公立の進学実績+私立の進学実績=一定』というわけです。

公立の受験制度の変更は私立の受験制度の変更につながります。そして、そうした変更に関し様々な利害が絡み合い、受験制度は複雑なものになっていきます。今度の変更が、どうなるか注視しなければなりません。

2011年2月9日水曜日

胃が痛い

幸いにも丈夫な内臓を持って生まれたため、暴飲暴食にもかかわらず、胃が痛いという体験をほとんどすることなく生きてこれました。ところが、ここ数年そうでもないのです。

2月7日夜、ネットで教育委員会の記者発表を見ます。後期選抜の倍率の確認です。中3生徒の受験校の倍率を確認します。ほぼ想定の範囲内でまずは一安心。志願変更することなく、10日後の受験を迎える決断をします。

少し前まで、神奈川県の高校受験は全くの無風でした。平塚を中心とした学区では落ちる受験生は大変少なく、受験前から『難しいかな』という子の中で何人かが『運悪く?』不合格になるといった感じでした。ある意味で『事前の検閲』がしっかりしており、受かると考えられるもののみが受験するシステムでした。

ア・テストが無くなり、中3全員が学校で受ける模試が無くなり、学区が無くなり、20%枠ができ、私立の相対的位置が高まり、パブルがはじけ、不景気になり、こうした様々な要因で、公立の受験は不確定な要素が増えてきました。昨年のように生徒数が増加すると、かなりの倍率になります。今年も相当数の不合格者がでることになります。

17日に後期選抜があり、その発表が25日です。私立の発表に比し、とても時間がかかります。その時に、胃がちくちくと痛むのです。教えている生徒の受験は自分の受験より、ずっと神経を使います。自分の人生は自己責任ですが、生徒の人生に関ることの重みが胃にきます。チャレンジ受験をした生徒がいる年は尚更です。そして、今年はその年です。

生徒たち、そしてある意味で私も、不安から逃れるように、勉強に集中することになります。

2011年2月8日火曜日

飛ぶ矢は飛ばず

電卓で1÷3×3を計算すると0.9999999となります。
これを生徒に見せると皆一様に驚きます。
「1÷3×3=1だから、電卓が壊れてるの?」
「いや、どの電卓でも同じ結果だよ」
「じゃあ、1÷3×3=1じゃないの?」
「とんでもない。間違えなく1だよ」
「じゃ、どっちが正しいの?」
「多分、両方とも」
「・・・・・?」

極限という概念は大変怪しいものだと思ってきました。
中世の神学者たちが「神の存在証明」をするときに、人間から神にいたる無限の距離を証明しようとしてついに果たせなかったように。もし極限という概念を使っていたら、

   lim人(n)=神
      n→∞  

ということになっていたかもしれません。

ギリシャ時代の『飛ぶ矢は飛ばず』や『アキレスと亀』といったパラドックスはこの部分をついているわけです。

大学の数学でやるテーラーとかマクローリンとかの展開で、ある微細な部分を『ごみ』と呼ぶ人もいます。我々の科学はその『ごみ』によって、充足されているようにも見えます。『塵も積もれば山となる』なのです。

そう言えば、「ハヤブサ」が持ち帰ってきたのも「塵」でした。

頬杖ついていて、できるようになんかならないよね。

机に向かった姿勢と学力には何らかの相関があります。

問題を解いているときに、頬杖をついている生徒は99%学力中位~下位です。問題を解き終わった僅かな瞬間に、頭を机に伏す生徒も同様です。足を組んだり、前に投げ出したりしているものもそうです。体を支えるエネルギーを持ち合わせていないかのようです。

勉強を教えながら、「頬杖をつくな」とか「足を投げ出すな」とか「椅子にちゃんと座れ」とか教えなければなりません。一度では治りませんから、何度も何度も指摘することになります。これは、小学生の話ではありません。小学生であろうが、大学生であろうが事情は同じです。

逆に学力上位の生徒で、姿勢を問題にしなければならないケースはほぼ皆無です。余計なことに煩わされず、教科を教えることができます。意欲が姿勢を制御しているのです。

ところが、ハーバードの白熱教室のような外国の授業を見ていると、脚を組んだり、頬杖をついたり、ガムを噛んだりしている学生でいっぱいです。勿論彼らは優秀な大学生です。

この違いは何なんだろうと思います。

2011年2月6日日曜日

時間って?

時間とは何か?
この問いに明確な解答を与えることは今のところ不可能のように思えます。

哲学者ベルグソンは時計のことを『持続して流れている時間を空間の移動距離に置き換えたもの』というように説明していたと記憶しています。つまり、『15分とは時計の長針が空間上で90度移動したということだ』と言うわけです。

これはなかなか良くできた説明で、気に入っていました。

ところが、ベルグソンの時代には無かったデジタルの時計ができて、話はまた振り出しです。

最近メールで塾のあれこれを先生方とやり取りしています。1対1のときは問題ないのですが、数名でやり取りしているうちに『時系列』が込み入ってきて、よくわからなくなるときがあります。この話はもう解決済みなのか。今している話はひょっとして、以前の話ではないのか。えっ、その話ってどこかでしていたっけ。それが判然としないことがあります。

ネット上の質問で、とんでもなく古い質問(数年前の質問)に今答えているものを見ることもあります。それも、同じ事情かもしれません。

ぼくのようにデジタル時計やメールが人生の途上で出てきたアナログ型の人間にとって,ちょっとした超えなければならない課題のようです。

2011年2月2日水曜日

2月1日

2月1日は特別な日です。

公立高校前期選抜の発表。
有力中高一貫校の試験。
私大入試もいよいよ。

夜、高校の授業をしていると、数本のメールが入ってきました。
私立中学受験、合格の報です。午前中に受験で、当日夜にはもう発表があります。
公立高校の発表まで(一週間もある)とは対照的です。

授業の後で祝福の電話を入れて・・・

実は、朝からずっと気にかけていた子が他にもいたのですが、とうとう連絡がありませんでした。理由は分かっていますので、こちらからは連絡を取りませんでした。

あと数日、こうした日が続きます。