2011年9月3日土曜日

予行演習

単語を覚えたり、歴史を覚えたり、記憶は勉強のかなりの部分を占めています。

それを覚えるための技術も、脳科学の成果もあり、昔とは随分変わってきました。単語一つを考えても、様々な単語帳が様々な方法を提案し、なるほどと唸るものもあります。ところが、それを使っても必ずしも良好な結果が得られるわけではありません。どのような優れた方法でも、本でも、最後の部分は【覚える】という基本的な行為を前提にしています。その部分に問題がある人が増えているように感じます。

appleという単語を覚えるとします。その文字が目に入り → 網膜に映る → 神経を経由し → 脳に至る。そんな経路を情報が伝わっていくうちに、電気信号がどんどん微弱になっていく。脳に着くころにはほとんど無くなっている。そういう気がします。

その信号を強くする部分は気持ちなのではないか?昨日、三角形の相似条件3つを確認しました。「ちゃんと覚えていない人は残って覚えていくことにしよう」というと、皆あっという間に覚えられます。さっきまで、何度も間違えた人もです。これを覚えなければならないのだという強い気持ち、そこが欠けているようです。といっても、当人たちは覚える気があるというに違いありませんし、事実覚えようとしてもいるのです。ただ、傍から見ているとなんとも切迫感がないのです。

一度で身につけることは一度で身につける。そういう体験が少なすぎるのかもしれません。現代では、大抵のことはたくさんの練習を経て身につけるようになっています。学校でも家庭でも、予行演習を沢山して子供を育てていきます。そして、そのうち自然にできるようになると考えているふしもあります。

学校教育は延々と続く予行演習だというわけです。


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