2013年4月28日日曜日

大学入試でのトフル義務化


自民党の教育再生実行本部が、英語試験のTOEFLを大学入試で義務づける案をまとめたようです。各大学がトフルの点数を受験資格とするもので、大学が指定する点を越していない場合、受験できないことになります。

そんなことをしても、トフルという試験に対応した技術的な勉強がはびこり、 実際の英語力向上には繋がらないだろうという識者の意見もあります。実際、韓国や中国ではそうしたことがあるようです。

英語力のなかでも、読む部分ではなく、話す部分、書く部分を向上させたい、そして海外で活躍できる日本人を増やしたいということのようですが、それに関して私には腹案があります。

それは、学校教育での英語に点数をつけないことです。私たちは、間違えることに関して、強く意識します。自由に話せと言われても、正しい英語を話そうとし、口が重くなってしまいます。それは、長い学校教育の中でそのように躾けられているからです。英語の話す部分に関してだけでも、点数をつけない。間違えてもバンバン話す。そんな教育環境を整えることができないものでしょうか。

かつて、多摩大学学長グレゴリー・クラーク氏が入試科目から英語を外したことがありました。入試英語は使える英語力という意味では「百害あって一利なし」というような理由だったと思います。日本の英語教育に一石を投じたものだったのですが、現在、多摩大入試は英語無しというわけではありません。難しいものですね。

2013年4月21日日曜日

さよなら、行列。また来て、複素数平面。

昨日、高3に数学を教えていました。数Cの行列の計算です。新指導要領の完全実施で今年を最後に高校数学からなくなります。

その代わりに複素数平面が復帰します。行列と複素数平面は、こんなふうに入れたり、出したりが繰り返されています。同時に行列と複素数平面を高校で扱ったことは日本の歴史の中ではないはずです。

大学では行列(線形代数)は重要ですから、なぜこのような扱いなのか腑に落ちないところもあります。

そういえば、新指導要領で何もかも難しくなったわけではありません。数Ⅰで3次以上の整式の展開・因数分解が無くなり、数Ⅱへ移動しました。つまり数Ⅰでは2次式までしか扱わないわけです。

過去にも三角関数の単位円を半円にして、下半分を数Ⅱにしたり、積分で3次以上を扱わなくしたりという、およそ数学的でないことを繰り返してきた文部科学省のやることですから、驚きませんが。

そんなわけで行列を教えるのは今年で最後です。次に高校数学に戻ってくるとき、日本は、若者は、社会は・・・どう変わっているのでしょう。

”行列は忘れた頃にやって来る”

次に行列を教える頃には、すっかり忘れてしまっているかもしれません。

2013年4月19日金曜日

新中1

新中1の授業はとても楽しい。新しいことを学ぶ喜びに満ちています。

この段階でよい学習習慣・・・しっかり音読をすることや計算の途中経過をきちんと書くことなどなどを体に染み込ませなければなりません。それは同時に小学校時代につけた悪い習慣、例えば問題を読まずに解答を始める、間違えを訂正して丸をつけできた気になる、約分した数字を鉛筆で塗り潰すといったことを直していくことでもあります。これを直すためには地味で忍耐強い指導が必要になります。

その際、最も重要な要素は”素直さ”です。それは人の意見を取り入れる柔軟性です。学力が大きく伸びるかどうかに相当な影響があります。

一緒に大きな声を出して英文を読む中1を見ていると、この点に関しては安心してよいように思えました。

2013年4月18日木曜日

ライン

新高1数人と話したとき、入学前に入学予定高校の”ライン”に入っているものが100人近くいると聞いて驚きました。

それでどうするのと尋ねると、「みんなで駅に集まって、一緒に学校に行ったりする」とのこと。沢山の見知らぬ生徒が改札に集まって、ぞろぞろ学校へ行くのだそうです。これには更に驚きました。

9年間の義務教育を終わって、かつては過半数の若者が就職したこの時に、皆で一緒に学校へ行く? 幼児化極まれり!

成長するとは自立すること。自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取ること。

それで、良いのか? などと呟くのは、スマホを持たない、時代に取り残された者の嘆きなのでしょうか?


2013年4月13日土曜日

新高1

 新高校生を見ていて、気づきました。周辺の公立高校では授業開始時期が全くばらばらだということです。早いところは入学早々授業が開始されています。一方、入学式から一週間が経って、未だ1回も授業をやっていないところもあります。入学式、健康診断、部活紹介、その他・・・で日程を使っているのです。

 前者が偏差値的には下位校で、後者が上位校です。早く始めた高校は学校の危機感とやる気が感じられます。反対に、上位校は過去の実績に胡坐をかいているかのようです。

 公立高校といえども、どこの高校も同じような日程でやっているわけではなく、学校の独自性が思ったより、生かされています。

 やる気のある学校で、生徒がおお化けする。そんなことがありそうな予感もします。時間はかかるでしょうが。

2013年4月9日火曜日

現実主義と理想主義

「豊かな家庭の子ほど良い教育をくけるのは”やむをえない”か?」という調査をベネッセがおこなっています。それによると

         2008年   2012年
やむをえない  40%     53%
問題だ      58%     39%

ここ数年でやむをえないと考える人が問題だと考える人を逆転しました。現実に存在する教育格差を良しとしなくとも、”認めざるを得ない。そして、それはどうにもならないだろう”という層が増えたということです。実際、中学受験に関して、大卒初任給程度の費用を教育費に当てる家庭は珍しくありません。公立の教育を前提とする人にとって驚くべき金額です。

社会で明治維新を教えるとき、そこで実行された改革に驚くことがあります。学制もその1つです。我が国の発展は教育制度を無視して語ることはできません。「勉強すれば、弱者が強者になることもできる」そんな仕掛けがそこにはありました。それは社会全体をかくはんし、活性化させるシステムでした。そして、理想を夢見る理想主義的社会でもありました。

戦後4分の3世紀を過ぎ、我が国は豊かになりました。かつては夢だった車も、カラーテレビも、エアコンもあって当たり前の時代になりました。物質的な欲望の多くが満たされる時代、夢の多くが実現される時代となったのです。

一方、日本は最盛期を過ぎ、人口の減少とともに、先行きの不透明な時代に突入しています。そんな時代に夢を持たないが、しかし、それなりに満たされている人々が現実肯定的となるのはある意味で当然なのでしょう。簡単に言えば「まあ、この程度で良いや」ということなのかもしれません。現実主義の台頭であり、それがこの調査の結果にも表れているような気もします。

「やむをえない」という層の増加は、”教育の格差”≒”学力の格差”を推し進めることとなり、塾を生業とするものとしてはいささか気になるところです。

2013年4月7日日曜日

そんなことじゃ社会に出て通用しないぞ

法政大学野球部金光監督が選手からの嘆願書によって、辞任することになったようです。

法大野球部はここ数年OB会も絡んだお家騒動が起っていましたから、そんなに驚きはしませんでした。女子柔道日本代表の行動も選手たちに何らかの影響を与えたのでしょう。事の真偽は分かりませんし、あまり関心もありません。

ただ、あるニュースに金光監督のパワーハラスメントがあったことが原因の1つと書かれていました。そして、その例として「人間性を否定するような言葉 ”そんなことじゃ社会に出て通用しないぞ”とまで言っていた」との記述がありました。

驚き、そして呆れました。有名私立大学の野球部と言えども、自立した人間を育てるのためにやっているはずです。「社会に出て通用しないぞ」と言うのは当たり前でしょう。

どうなってるの?かつて、野球にかかわったものとして、ちょっと気になりました。

2013年4月6日土曜日

春期講習終了

本日で春期講習が終了です。

8日(月)より通常事業を再開します。

2013年4月5日金曜日

山本五十六と井上ひさしの言葉

東名高速の土産物屋で売っていた湯飲みに歴代総理大臣の似顔絵が書いてありました。面白かったので即購入。

その横にあった同じ形の湯飲みに書いてあった言葉

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である

          山本五十六(連合艦隊司令長官)

なるほど、そう言えば

NHKで放送されていた人形劇ひょっこりひょうたん島の歌詞

苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのはいやだ笑っちゃおう
すすめ ひょっこりひょうたん島

         井上やすし 他

井上やすし 好きな作家でした。中3の教科書に彼の作品が載っています。惜しい才能でした。

2013年4月1日月曜日

厳しく覚える

戦後教育では、考えることが重用され、暗記することが軽んじられてきたと言えるかもしれません。これらはともに勉強の基本ですが、考えること≒主体的≒自主的≒自由。暗記すること≒無理やり覚える≒強要される≒不自由。そんな図式が暗黙のうちにあったのかもしれません。考えることに比べ、暗記することはいくらかないがしろにされてきたと言えるようです。「勉強は暗記ではない」と声高に叫ぶ教育者が沢山いたのも事実です。

授業後、八木先生と話しているとき、2時間半の授業を単語を覚えることだけに使ってみようという話になりました。メモリの部分をないがしろにしてCPUだけを高性能にしたコンピュータがあり得るかという話も出ました。確かにそうです。CPUの速度を誇るパソコンもメモリーが十分でないとてんで使い物にならないのです。

塾の授業で扱ったことが分かっていれば少なく見ても90%は得点できるはずです。ところが現実はそうではありません。「大体分かりました」「まあまあ大丈夫」「できると思います」 そんなふうに答える生徒の多くは、本人の予想した結果が着いてきません。最後の最後まできちんとできるまで詰めていないからです。

曖昧に覚えた気になっている単語を、確実に、明確に覚えたといえるまでやれたら良いなと思っています。まずは春期講習中に新中3で実行して、その後、中2、中1でもやってみたいと思います。