2011年12月26日月曜日

脳力

体を鍛えた人とそうでない人の差は一瞬にして分かります。ランニングを開始して、数分で息が上がる人とそうでない人。体力は目に見える形で分かります。

一方、頭の中のことになると、事情が違います。一見しただけでは鍛えられたものかどうか分からないこともあるし、勘違いすることもあります。しかし、脳も人間の体の一部ですから、体と同じ理屈が成り立ちます。負荷をかけると鍛えた脳とそうでない脳の差がよく分かります。

中3の冬期講習は長時間です。脳の持久力の差が出てきます。普段は3時間程度ですから大して目立たないのですが、長時間になると違いが歴然としてきます。鍛えていない脳は悲鳴を上げ始めます。そうした違いを意欲の違いと考えるか、脳の持久力の違いと考えるかで、対応の仕方が変わってきます。

やる気とか意欲といった精神論のみで片付けることができるとは考えないほうがよいようです。

2011年12月25日日曜日

冬期講習初日

中3は7時間を越すロングランが毎日続きます。

初日は体がこのリズムになじめず、教えるほうも教えられるほうも手探り状態です。最後に模試をやって終了。ご苦労様でした。また、明日頑張りましょう。

2011年12月23日金曜日

中3模試

中3模試の結果が出ました。

やっている人は間違いなく結果にそれが反映されていました。勉強って本当に単純です。しっかり勉強すればその分が必ずかえってきます。こんなに分かりやすいことは人生に無いとすら思えます。

やっているのに成績が上がらないという人。それは大きく①やっているつもりだが、実はやっていない。②実際やっているがやり方が悪い。このどちらかになります。

①は実際にはやっていないのですから、問題外です。そして、このタイプの人はかなり多数存在します。

②に関しては、勉強法が分からないとか、技術的なことを気にかける人が多いのですが、問題はそれ以前に存在します。一番の問題は勉強に対する態度です。謙虚さと言い換えたほうが良いかもしれません。これが欠けていると何をやってもだめです。このタイプの人はアドヴァイスをすると『でも、先生・・・』と必ず言います。他者の意見を入れてやってみようと言う気持ちが余り無いのです。同時に人の意見を聞くことができないので、問題の意味を理解することもできません。

①②に思い当たる人。注意しましょう。

素直に、着実に勉強すればその成果は指数関数的に増加するのです。

2011年12月18日日曜日

蛍の光、窓の雪

嘗て卒業式で歌う歌と言えば『蛍の光』でした。

 蛍の光 窓の雪、書読む月日、重ねつつ
 何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く

誰でも知っているものと思っていました。

先日、古文の授業でこの歌詞の出典を読みました。

概要は以下のようになります。
東晋の時代、車胤は家が貧しく油が買えなかったために蛍を集めてそのの光で勉強していた。同じ頃、孫康は、窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世した。

設問はこの故事が由来となっている言葉を4字で答えよ。と言うものでした。勿論『蛍雪の功』なのですが、正答がありませんでした。聞いてみると、誰も『蛍の光』を歌ったことが無いとのこと。本当?

2011年12月16日金曜日

えっ?

現中2から実施される入試問題のサンプルが発表されました。

問題を見て驚きました。その問題は、1ヶ月ほど前にある中学で配られた問題と同じものだったのです。教育委員会の発表が延びていたので、どんな問題になるのか首を長くして待っていたのですが。それが、ずっと前に出ていたものと同一とは。一体どういうことなのでしょう。これでは本物の入試問題だって事前に流れかねません。

新入試制度、早くも拙速の感ありです。

2011年12月14日水曜日

一人鍋

福島産の白菜。
茨城産の水菜と葱。
アメリカ産の豚。

塾が終わって、遅い時間に一人で食事をします。最近のマイブームは一人鍋です。ビールを飲みながら、さっさと簡単に作ります。風評被害のせいか、お買い得の野菜は福島、茨城産が多いような気がします。

年寄りは多少放射性物質を含んだものを食べたとしても、その蓄積が危険な量になるまでには寿命が来る・・・らしい。1年間に摂取可能な放射線量×今後生きると考えられる時間(年)。うん。十分に生きられる。

そう考えて以来、使命感のように白菜を食べまくっています。

2011年12月10日土曜日

三者面談

中3の三者面談が終わったようです。これで私立推薦入試校、または私立の併願校が概ね確定したことになります。

公立受験希望者が私立推薦に変更する場合、併願確約が取れる私立高校より上位の高校または上位のコースに入学できるというのが一番多い理由です。そして、上位の高校、上位のコースを選ぶのは大学進学に有利だというのが最大の理由です。

それは良いのですが、問題は推薦でいくことを学校に伝えた段階(まだ推薦合格が決まっているわけでもない段階)で既に、学習意欲がかなりなくなることです。その結果、これから始まる公立前期、私立入試、公立後期まで、じっくり勉強した者と大きな差がつくはずです。そして、それは大学入試とも関係してきます。この数ヶ月で学ぶことは相当に大きいからです。

12月中旬から翌年の4月まで、どのように学習を進めていくか推薦でいく人は考えなければなりません。

2011年12月7日水曜日

願わないことは成就しない

願わないことは成就しない。それなりの時間を生きてくるとこの意味が分かるようになります。

願わなかったけれど、プロ野球選手になった。
願わなかったけれど、一億円宝くじに当たった。
願わなかったけれど、エヴェレストに登れた。
願わなかったけれど、総理大臣になった。
願わなかったけれど、オリンピックに出た。
そんなことはあり得ません。

願っても、叶わないことは沢山あります。しかし、
願わないのに、何かが叶うということはほとんどありません。
願わなければ、大抵のことは叶わないのです。

小さなことでもそうです。
勉強する気が無くて、良い点を取る。
そんな都合の良い話はないのです。
自分に問いかけてみましょう。
”私は何を願っているのか?”
と。

2011年12月3日土曜日

雨の朝

朝、冷たい雨が降っていました。 

いつも一緒に学校へ行っている娘の友達から「今日は車で行くことにした」とのメールが娘にありました。「うちも送っていこうか?」と声をかけると、「自転車で行くからいい」と言います。最近、車で送ろうとするといつも断られます。先月位まで、必ず乗っていったのにどうしたのだろう。

そのとき、ふと思い出したことがあります。修学旅行に行く早朝、最寄の駅まで送っていきました。大きな荷物があったので自転車で行くのは大変だと思ったからでした。車中で娘にこんな思い出話をしました。「高校の修学旅行のとき、朝4時か5時に起きて、ボストンバッグを自転車の荷台にしばりつけ、学校に向かったのを思い出したよ。みんなそうだったな。男も女も。10km以上の距離を学校まで自転車を飛ばして。あの頃は、雨だろうが、寒かろうが、靴がびしょびしょになっても、でも当然のように自転車でせっせと通ったもんだ。今の子供は甘いな!」

それを覚えていたようです。娘が家を出る時間になり、レインコートを捜しているときに、もう一度確認しました。「送っていこうか?」

娘はそれを断って雨の中を自転車で出て行きました。その日は中間テストの最終日でした。手がかじかんで、最初のテストはちゃんとやれないのではないかとか、送っていってやればよかったとか、考えている自分に気づきました。「なんだ、甘いのは俺の方か!」

子供を自立させるには親が子供から自立しなければならないという当たり前のことを再認識することになりました。

2011年12月1日木曜日

自立して考えるようになれるのだろうか?

最近の高校用問題集は本体より厚い解答がついているのが普通になりました。数学も英語も分からない部分が無いようにとんでもなく詳しく、そして基礎の基礎から解説してあります。嘗ては、日本中の高校で使われていた数研の「オリジナル」のようなハイレベルのしかも詳解の無い問題集を使える高校は極々、一部の進学校だけで、大抵の学校は詳しい解答のついた、もっと易しい問題集しか使用できません。

その結果、かえって分かりにくいという皮肉な状態になっているものも多く出ています。詳しすぎる解答は実は分かりにくい解答なのです。重要な、分かりにくい部分のみを詳説すれば十分なのですが、1から10まで同じように詳細に解説するため、ポイントがつかめず、どうでもいい部分にまで時間をかけざるを得なくなるからです。高校になってまでx-(x-2)=x-x+2=2などという説明は不要のはずですが、小学以降の基礎トレーニングが欠けた高校生が多いので、そうしたニーズがあるのかもしれません。更なる問題は、詳細すぎる解答によって、考えるという作業がどんどん減ってしまうことです。その問題は理解できたが、頭は少しも鍛えられず、他の類題を解けるようにならないのです。

社会や家庭が子供を甘やかしたのと機を一にして、問題集も子供を甘えさせているかのようです。