20年ほど前、ある著名な文化人が『アメリカの出版物の大半はいわゆる how to もので・・・』とそれを揶揄するような文を書いているのを読んだことがあります。"how to もの”とは”~の仕方”、”~の方法”といった種類の出版物です。『私はこのようにして大富豪になった』『私はこのような勉強法で、偏差値40から東大に入った』『正しい、乳母車の選び方』 『初めての株』 そんな本のことです。
その影響か、私自身は how to もの をあまり読まないようにしていました。ところがそれからだいぶ経って日本の出版状況は大きく変化してきました。本屋の書架は漫画に席巻され、how to ものはその割合をアメリカ並みに増やしてきました。今や how to ものはベストセラーの中に沢山顔を出しています。
その理由はいくつか考えられますが、一つは、ある世代の持っている知識が次の世代に連続的に伝わっていかなくなったこと。もう一つは技術に対する信仰が広まったことではないかと思っています。
前者に関しては言を要さないかと思いますのでここでは割愛するとして、後者のことを少し考えて見ます。
西洋の科学技術は方法論の歴史です。科学においてある事柄が認められるということは、同じ条件で別の人が同じ実験をすると同じ結果を得るということです。そうした追試によって、その理論・実験の価値が決まってきます。それはまさに方法論そのもので、『このようなやり方で・・・すれば、あなたも同じように・・・できる』という主張です。『このようにすれば、あなたも大富豪になれる』『このようにすれば偏差値40のあなたも東大に入れる』『このようにすれば、あなたも絶対に乳母車の選択に失敗しない』とうわけです。
一方、我が国の技術の歴史は必ずしも方法論の歴史ではありません。ある技術者がある技術を体得したとします。その技は弟子の中の最も優れたものがある種の偶然と共に師匠から授かります。『秘伝を授かるわけです。』 誰もがその技術を得られるわけではなく、苦労して技術を磨く中で幸運に恵まれた人がそれを得ることになります。西洋の方法論が連続的に伝わるものであるとすると、日本のものは点から点へと不連続に伝承されます。『このようにしたとしても、あなたは・・・ができるわけではありません』という考えです。
戦後民主主義には様々な功罪(功が圧倒的に多いと思いますが)があります。そのなかで、日本的な技術の伝承は特殊な分野(古典芸能や工芸など)では何とか残っていますが、ほとんどの技術は方法論という一大勢力に支配されたといえるでしょう。方法論さえあれば『あなたも大富豪になれる』『君も東大に入れる』というわけです。当然 how to ものが売れるはずです。
さて、私は尺八をやっています。練習熱心とはいえないのでなかなか『免許皆伝』とはいきません。
『上手な尺八の吹き方』という本があれば買いたいのですが、どこかに売ってませんか?
2010年11月7日日曜日
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how to 本についての考察、面白いですね。
返信削除確かに、西洋科学は「再現性」に重きを置いてきました。
しかし、優劣は別として、それだけが唯一の価値観ではないとハッとさせられました。