センター試験の国語は読解という技術を悪い方向に変えてしまったのではないか?と思っています。詳細はここでは述べませんが、文章を読む楽しみを損ねる方向に向いています。いまや、国語の点数が取れることと文章が読めることとは同じことではありません。
さて、この世には”読みの達人”とでも呼べき人たちがいます。代表的な人物は評論家の故・小林秀雄です。日本人の持つモーツアルトのイメージは小林秀雄のモーツアルトであり、日本人のもつゴッホのイメージは小林秀雄のゴッホです。
モーツアルトを”疾走する悲しみ”と呼んだ小林秀雄はゴッホ論の中で『自ら狂人たらんと欲する多くの常人の中、唯一、自ら常人たらんと欲する狂人・・・』というような文章を書いていたような気がします。それが、ぼくのゴッホの根源的なイメージです。
ゴッホは若い頃ワーキングビショップ(労働司祭)のようなことをしています。働きながら神に仕えていたのです。その頃の作品『ジャガイモを食らう農夫』のような作品は晩年の色彩溢れたものとは一線を画す秀作です。そして、パリに出、やがて、ゴーギャンとのアルルの生活。その理想に破れ最後は自ら命を絶ちます。生前、ほとんど絵は売れず弟のテオの援助で生活をしていました。
随分前、とても若かった頃、ぼくはパリで暮らしていました。ある日、ゴッホの墓を見に行こうとパリ郊外に向かう電車に飛び乗りました。
オーヴェール・シュール・オワーズに彼の墓があるはずでした。オーヴェールの駅はとても小さく、ほとんど人通りもありませんでした。近くのカフェに入ってコーヒーを飲みながら、情報を仕入れます。ゴッホの墓までの行き方、ゴッホが自殺した部屋のある建物の場所などなど。
カフェを出て少し駅のほうに戻りそのまま進むと、左側に上り坂があったように記憶しています。その小径をしばらく歩いていくと二股に道が分かれています。そしてその正面にオーベールの教会が建っていました。ゴッホの代表作『オーヴェールの教会』の教会です。彼が思っているよりずっと写実的に描いているのに驚きました。そして、その背後にはたわわに実った穂を風に揺らす黄金色の麦畑が彼の絵そのままに広がっています。ご丁寧に、その空にはカラスのような鳥さえ飛んでいます。まさに『カラスの飛ぶ麦畑』なのです。
そこであった村人にゴッホの墓の行き方を尋ねると、長々とゴッホの説明をし始めました。そして、最後に『ほら、そこだ』といって、直ぐ右手のレンガ塀に囲まれた墓を教えてくれました。
墓標の文字を頼りにゴッホの墓を探したのですが、かなりの時間がかかりました。それは、他の墓と比べるとずっと質素な石のプレートが2枚並べてあるだけのものでした。一つには『ビンセント ヴァン ゴッホ』 そして、もう一つには 『テオドール ヴァン ゴッホ』と書いてありました。
(注)とても昔のことで記憶間違いが沢山あるようにも思います。悪しからず。
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