2010年9月28日火曜日

どこに行くのか?

 何のために勉強するのか?という問いに正面から答えるのは難しい。しかし、その問いに対する解答を持つことなく勉強を続けることもまた難しい。

 そこで、とりあえず至近の目標を作ることになる。一番多いのは、「**高校に受かるため、~~大学に受かるため」というものだ。塾でも志望校を早めに決めさせる。それにより、学習意欲が向上し、現実的にすべきことが明確になってくる。目標の設定は即効的な効果があり、行きたい学校が決まると、皆それなりに勉強し始める。しかし、事は簡単ではない。というのは、心の深部にこれが本当の目的ではないという疑念があるからだ。

 フランツ・カフカの小説に「城」という作品がある。城での仕事を依頼された測量士Kが城に行こうとするが城に入ることすらできず、不条理な中で翻弄されていく様子が描かれている。目的にたどり着けない中で、目標へ向かう行為自体(手段)が目的に摩り替わっていく。

 こうしたことは現代では至るところで起こりうる。目的を失って、道に迷う。迷った挙句、別の目的地に辿り着く。場合によっては終生迷い続ける。それを防ぐために、目的地までの道標を適宜設定することにする。それは親や教師そして友人たちの役目だ。可能な限り迷わなくするために、その道標は細かく、具体的で、簡潔に設定される必要がある。それに従っていけばまず間違いなく目標に到達する。

 問題はそのように生きていると、人生で頻発する予定外のことに対応できないこと。自立する能力が養い難いこと。そして、人生がとんでもなく退屈なことだ。

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