2010年9月13日月曜日

読書感想文:もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら

 今回悠々館講師の中で共通の本を読み、それについての読書感想文を書こうということになり、最近話題の「もしドラ」についての感想文を書こうと思う。ちなみにこれは「もしもドラえもんがいたら」ではなく、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の略である。真面目に書こうと思う。

 この本は大変読みやすく、単にマネジメントのことをつらつらと書いているだけでなく、それをストーリー仕立てに分かりやすく書いているところがミソである。この本が参考にしているP.F.ドラッカーの本も読んでみたが、普遍性が高くどのような状況にも適用できるがそれ故具体性に欠け、非常に難解なものに思えた。そこで「もしドラ」の中ではドラッカーの原文を次々に引用して、それを野球部の運営という想像しやすい具体的なものに還元していった。それがこの本のヒットした理由だろう。

 さて、これから内容についても触れたいが、まず初めに言っておくことがある。僕は理系の人間である。理系の自分は「苦労して作りだした技術こそがNo.1だ」と信じていた。だから最初、「マネジメント」という言葉を聞いても魅力を見いだせなかった。マネジメントというものは、それ自体何も物を生み出していない、つまり、ものつくり程は価値がないものだ、と思っていたのだ。しかし「もしドラ」を読み進めているうちに、マーケティングについて書かれている部分に行きついた。そこには

    製品からのスタートでは「販売」、顧客から始め、その満足を満たすためのものが「マーケティング」である

とあった。言い換えれば、「手段ではなくゴールに集中せよ」、という風に僕は解釈した。これを読んだとき、受験の時のことが僕の頭をよぎった。僕の大学受験はあまり良い結果ではなかった。終わってから一番後悔したのは、「もっと調べておけば良かった」、ということだった。僕は毎日何時間も何十時間も一生懸命勉強した。でも実際のところ、何をどこまでやれば良い、というところまで調べていなかった。日々何時間も何時間も勉強し、努力している自分に満足し、または心のどこかで、それだけやっていれば大丈夫だ、と自分落ち着かせるために勉強をしていた。つまり、「ゴール」ではなく、「手段」に注目してしまったのだ。また、この「マーケティング」は僕個人の経験だけでなく、現在の日本経済にも問題提起しているように思える。皆さんはiPodを持っているだろうか。iPodは今や世界中だれでも持っているデジタルオーディオプレイヤーとなった。しかしiPodの開発元のapple社よりも前にすでにSONYはデジタルオーディオプレイヤーを開発していたし、売っていた。しかしSONYは自分の著作権を大事にするあまり技術をオープンにせず、結局のところiPodにやられてしまった。しかも皮肉なことに、技術力でいえば、SONYの方が圧倒的に上なのに、である。バッテリーの持ち、音質、ノイズキャンセリング等その他の機能どれをとってもSONYの方が上である。しかし消費者のニーズはいつでも音楽をダウンロードできる手軽さと直感性、デザイン性であった。SONYは砂漠の中オアシスを、体力を頼りに一週間求めて歩いたが、appleは最初の2日で正確な地図を手に入れ、3日目に真っ直ぐにオアシスにたどり着いたのだ。

 日本には世界に誇れる技術がある。もっとも高度な技術が必要とされる分野、例えば「航空宇宙分野」などに力を入れ、世界のリーダーシップを取っていくべきだ。「はやぶさ」の帰還は、日本の今後の進むべき道を私たちに示しているようだ。

またそれと同時に、iPodの例にあるように、自分たちの技術に溺れることなく、「顧客の満足につながる」開発にももっと取り組むべきだ。

「理系人間」の自分の価値観を見つめなおす、良い機会だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿