2013年4月9日火曜日

現実主義と理想主義

「豊かな家庭の子ほど良い教育をくけるのは”やむをえない”か?」という調査をベネッセがおこなっています。それによると

         2008年   2012年
やむをえない  40%     53%
問題だ      58%     39%

ここ数年でやむをえないと考える人が問題だと考える人を逆転しました。現実に存在する教育格差を良しとしなくとも、”認めざるを得ない。そして、それはどうにもならないだろう”という層が増えたということです。実際、中学受験に関して、大卒初任給程度の費用を教育費に当てる家庭は珍しくありません。公立の教育を前提とする人にとって驚くべき金額です。

社会で明治維新を教えるとき、そこで実行された改革に驚くことがあります。学制もその1つです。我が国の発展は教育制度を無視して語ることはできません。「勉強すれば、弱者が強者になることもできる」そんな仕掛けがそこにはありました。それは社会全体をかくはんし、活性化させるシステムでした。そして、理想を夢見る理想主義的社会でもありました。

戦後4分の3世紀を過ぎ、我が国は豊かになりました。かつては夢だった車も、カラーテレビも、エアコンもあって当たり前の時代になりました。物質的な欲望の多くが満たされる時代、夢の多くが実現される時代となったのです。

一方、日本は最盛期を過ぎ、人口の減少とともに、先行きの不透明な時代に突入しています。そんな時代に夢を持たないが、しかし、それなりに満たされている人々が現実肯定的となるのはある意味で当然なのでしょう。簡単に言えば「まあ、この程度で良いや」ということなのかもしれません。現実主義の台頭であり、それがこの調査の結果にも表れているような気もします。

「やむをえない」という層の増加は、”教育の格差”≒”学力の格差”を推し進めることとなり、塾を生業とするものとしてはいささか気になるところです。

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