2012年8月20日月曜日

ミミがいない

30年も前、僕はスイスのチューリッヒに住んでいました。しばらくして、その屋根裏部屋に日本人がやって来ました。桐朋学園出の指揮者Kでした。

僕らはいつしか親しくなり、一緒に夕飯を作り(彼は料理上手だったのです)、その後、彼が今練習しているオペラの曲・モーツァルトの”魔笛”を一緒に聞き夜を過ごすという時期がありました。

クラッシックは好きでしたが、マーラーの曲に沈潜していた時期で、オペラはほとんど関心を持っていませんでした。しかし、毎晩毎晩、魔笛を聞くうちに、Kより先に僕が魔笛の歌詞を覚えてしまったのです。ドイツ語の歌詞ですから、音楽の素養より、ドイツ語の素養のほうが重要だったのでしょう。

さて、その後、いろいろな事情で、ぼくはチューリッヒを離れなければならなくなりました。チューリッヒを去る直前、Kと東京芸大出のホルン奏者Yとで演奏会に行きました。それは、僕の送別会だったのです。その日、チューリッヒ・トーン・ハレが演奏したのはプッチーニの”ラ・ボエーム”でした。

ラ・ボエームは主人公の詩人ルドルフォとその病んだ恋人ミミの恋愛を中心に、ルドルフォの親友たち(一緒に苦しい生活の中で学問と芸術に生きている)哲学者、音楽家がからんだ物語です。

数日後の夜、彼らに見送られて、チューリッヒのハウプト・バーンホッフをパリに向けて立ちました。パリではシベリア鉄道の旅で知り合い、その後親友となった画家のIが迎え入れてくれることになっていました。チケット以外にほとんどお金がありませんでしたから、しばらく、彼に世話になることになります。

翌日の夜。パリに着きました。サンドニにあるIの屋根裏部屋のアトリエの一角に簡易ベッドを組み立てて荷を解いたのは深夜になった頃でした。彼の最近の絵を見ながら、安ワインを開け、明け方まで、語り明かしたものです。

そうした日々は、僕たちのラ・ボエームだったのです。ただし、ミミがいませんでした。

Iはその後白血病を患い30歳目前に冥府へと旅立っていきました。

なぜか今日はそんな、若かりし日を思い出す日でした。

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