2012年5月10日木曜日

バントのサインより大切なもの

子供が小さかった頃、自転車の練習をするために通った公園があります。通称、「自転車公園」。古くなって捨てられた自転車を整備しなおして、貸し出しています。その公園の横には更に広いグランドがあり、サッカーや野球が同時にできるようになっています。土日ともなると沢山の少年たちが試合をしています。

自転車公園の真ん中には道路が貫通しており、休日の子供が沢山いる時間帯は車が出入りしないように入り口の門を半分以上閉め、歩行者のみが出入りできるようにしてあります。

そんなある日のことでした。隣のグランドで試合を終えた少年野球チーム20人弱が半分閉められた狭い門の入り口をふさぐように車座になって座り、その後ろを父兄が取り囲み、反省会を始めたのです。コーチと思われる人が一人の少年を叱責していました。バントのサインを見落としたことを責めているようでした。

随分きつく叱るんだなあと思いながら、ふらついて走っている子供の自転車の後をゆっくり追いかけていました。

一周して帰ってくると公園の管理人と野球チームのコーチとが何やらもめています。管理人は公園の入り口をふさがないでくれといっているようでした。そして、その後ろには乳母車を押して公園を出ようとして出られないでいる女性もいました。コーチが「話が終わるまで待て」と管理人の老人をどやしつけるのには驚きました。そして、父兄の誰も道を空けようとはしません。乳母車の女性が僅かな人と人の間を通ろうとするとやっと僅かに人一人分の道をあけたのでした。

子供たちにスポーツを教えることは単に野球やサッカーや水泳がうまくなるということではないはずです。健康な体を作ること。技術を学ぶこと、スポーツの楽しさを知ること、努力の意味を学ぶこと、練習の必要性を学ぶこと、フェアプレイを学ぶこと、そして何よりもルールを守ることの重要性を学ぶこと。それはバントのサインを覚えること以上に重要です。

こうした点は指導者によって大きく異なる部分です。公園の一角で昼食を取っている多くのチームはきちんとゴミを片付け、自転車の練習をしている小さな子供たちの邪魔にならないようにしています。

我が身に翻ると、このときのコーチを呆れているわけにもいきません。計算を教える前に、単語を覚えさせる前に、歴史を教える前に・・・教えなければならないことがあるのではないか?それは勉強よりもずっと基本的で重要な部分、人間として学ばなければいけない部分のような気がします。

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