2010年7月16日金曜日

数学と言えども社会性がある。

中1の生徒に文字式の扱いを教えています。そのとき、いつも気になるのが、a÷(-2) のようなものです。分数にするわけですが、マイナスの記号をどこにつけるかです。
(-a)÷2 ならほとんどの生徒がマイナスを分子につけます。同様にすると a÷(-2) ではマイナスを分母につけることになります。ところが、多くの中学校でこれを間違いにします。分母にマイナスを書いてはいけないようなのです。符号の計算を先にして、分数の前にマイナスを書かせるように指導しているのかもしれませんが、本当の理由は分かりません。

間違えになるいじょう、生徒にはマイナスは分母に書かないようにと指導することになります。理由を聞かれることもあります。「学校でバツになるかもしれないから」と答える以外に理由はありません。この理由は数学上の理由ではないのです。何か分からない社会的な要請です。僕自身は分母にマイナスがあっても良いという立場なのですが・・・

同じようなことは時々あります。中3で無理数を扱うとき、最後の答えを有理化するかどうかです。
「答えは必ず有理化するんですか?」と尋ねられると「テストのときは必ずしておいて」と答えることにしています。そして、子供たちは有理化することを当然だと考えるようになります。その結果、数Ⅲで複雑な無理関数の増減を調べるようなときも有理化にこだわって失敗していきます。数Ⅲでは有理化は必要性が無い限りしない方が良いのです。最終的な解も少し複雑だと有理化しないで答えることになります。「どういうときは有理化しないで、どういうときは有理化して答えるのですか?」という問いには「それは数学上の問題ではなく、社会的な問題です。君は人の家にいったとき、帽子を被ったまま?それとも帽子を脱ぐ?それと同じだよ」と答えます。

最近も数列の和を求める問題で、「答えは因数分解の形ですか?それとも、展開の形ですか?」という質問がありました。答えは「君が美しいと思う方にしておいて」でした。つまり、どちらでも良いのです。

数学は厳格な学問ですが、本質的でない部分ではもっと自由度があってよいと思っています。

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