2012年10月24日水曜日

音読

中2の生徒と英語の教科書の音読をしました。ほぼ50分、本文を音読し続けるだけの授業でした。最後に、長い文章を個別に読み、ストップウォッチで時間を計測しました。

いつも感じることは、読みが足りないということです。とつとつと呼んでいるようでは英語も、国語もたいした学力ではないことが直ぐに分かってしまいます。

5分、10分と同じ文章をよんでいると、だんだん速く自由に読めるようになります。初めての文章でも、幾つかの単語の意味をときどき与えるだけで、少しずつ意味が取れるようになってきます。”読書百遍 意自ずから通ず(魏志)”の世界です。

本当はこうした練習に沢山の時間を割きたいのですが、文法をやったり、演習問題を解いたりすることが勉強だと私たちも、生徒たちも思い込んでおり、なかなか難しいのが実情です。

枕草子、徒然草、平家物語、方丈記、李白の漢詩、その他・・・・。私が学校で暗証するように言われたものです。これらは数十年を経ても、時として蘇ってきます。私の言葉の一部を形成しているのです。

今でも、国語の文を暗記する作業は学校で行われています。それらは我々の祖先の時代から続く日本の学問の伝統です。

一方、英語の教科書を丸暗記する、といった勉強方はすっかり廃れてしまいました。それが一番力になると分かっていてもです。その理由もなんとなく分かります。だったら、せめて音読ぐらいは十分にしたいところです。数学や物理のようなピュア・サイエンスはその本質の追求が第一です。一方、もっと日常に近い、語学のようなものは骨格もさることながら、細部が重要になります。文法のみを意識して書かれた文が如何に陳腐なものかは誰しも理解するところです。言葉をトータルに捉えるという意味でも音読は有効です。

さて、ストップウォッチの計測の件ですが、次の週になると皆とんでもなく速く読めるようになっています。そして、意味もつかめているようです。文法事項は全くやっていないにも拘らずです。

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