高校3年のときの思い出話を少し。
高校3年の始めころに、同じクラスの友人が数学の授業中に予備校の問題を解いていました。
僕は授業の後に何の気なしに、「どんな問題解いているの?」と問題を見せてもらったのですが、これがまためちゃくちゃ難しい。
たしか慶応大学の過去問だったと思うのですが、当時の僕はまったく見たことがないような問題で、読んでも答えまでのアプローチが全く浮かばない問題でした。
で、僕はその友達に、「こんな難しい問題解いてもしょうがないんじゃないの?」と聞いてみたところ、「でも、こういう問題は、一度解いたことがないと本番で絶対解けないよ」という返事。
「そうか」と言ってその場を去ったのですが、その時の印象は強烈に残っています。
その時に思ったことは、「でも同じ問題は絶対出ないんだから、やってもしょうがないよなぁ」ということと、「多分試験問題の中でも最高峰に難しいであろう問題を、高校3年になって間もない頃に解ける必要があるのか?」ということと、「授業で先生が解いていた数学の問題、果たしてこの友達は解けるのか?」ということ。
最初の方は、賛否両論あって、難易度が高く良質な問題は、その問題の類題が試験に使われることはよくあります。なので、解く意味はあるのでしょう。
どちらかというと、2つ目と3つ目の話が今日のテーマです。
数学にしろ、英語にしろ、勉強とは階段を1段ずつ登っていくようなものです。
例えば今の自分の力が10段階で4段目だとしたら5段目の問題を勉強しなければいけない。
前述の彼は、きっとその数学の授業で先生が説明していた問題を解けなかったと思います。
こと数学に限って言えば、4段目の人が9段目や10段目の問題を勉強しても僕は無意味だと思う。
(これが物理になってくるとちょっと変わってきます。物理の場合は難しい問題をその時は解けなくても何度も何度も解くことに意味があるようです。僕の体験的には。)
現役の高校生に求められることは、解ける問題を落とさないことです。
そのためには、いきなり階段を飛び越えるようなことはせず、自分のレベルにあった問題を着実に1問ずつこなしていくことです。
そのためには、自分の現時点での力を客観的に評価できないといけない。
過大評価してもいけないし、過小評価でもいけない。
高校3年生になると、とかく受験を意識して自分を見失う場合があるようですが、焦らず一歩ずつ階段を登っていった人が自分のゴールに到達できるのだと思います。
今年受験の人も、来年以降受験の人も、ぜひ自分に甘えず、自分の力を正しく分析して、適切な勉強をして実力を伸ばしてほしいと思います。
2010年1月23日土曜日
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