2011年3月4日金曜日

めいめい

ある高校生に「これどういう意味ですか?」と聞かれました。
見てみると each  でした。each を知らないのは高校生としてどうかと思いますが、
 「”めいめい”って意味だよ」と答えると、
 「えっ。めいめい?」とぽかんとした顔をしています。
 「めいめいといっても、山羊の鳴き声じゃないぞ。ほら、めいめいざら(銘々皿)とかさ」
 「はっ?めいめいざら?」
どうやら”銘々皿”は良くなかったようです。そこで、
 「おのおのってことだよ」と言うと、
 「えっ?おのおの?」とやはり通じません。
 「おのおのといっても、金の斧、銀の斧とは違うぞ。ほら忠臣蔵で大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が『おのおの方、準備はよろしいか?』とか言うじゃん」
 「えっ?大石・・・?」
どうやら”忠臣蔵”も良くなかったようです。そう言えば、以前は”平行四辺形の対角線はおのおのの中点で交わる”となっていた教科書が”それぞれの中点で交わる”に変わっていることを思い出しました。
 「つまりさ、それぞれのことだよ」
 「なあんだ。初めからそういってくれれば分かったのに」と生徒。
そうだよね。だけどその前に「日本語、話せますか?」って聞いておけばよかった。

悠々会やります

2月14日(月) 悠々会 やります。
時間の詳細は後程。
通常より早く始めたいと思います。

2011年3月3日木曜日

小学のテストから中学の点を予想すると

中学受験をする子供たちは模試の偏差値によって、その学力がどの程度のものか親も子も明確に知っています。一方、公立中学に進学する場合、その子の学力を本人も親もほとんど知らないのが実情です。通常の小学校のテストだけでは学力の判断ができません。問題が易しいからです。極言ですが、「100点をとる」≒「最低限のことができる」なのかもしれません。

そうしたテストを見ているうちに、これで十分な学力があると勘違いしてしまいます。これは、本人も、その家族も、更に学校の先生も。もちろん塾の講師もです。

最近、こんな公式を作りました。簡単なものですが、

     《小学校のテストの点(100点満点です)》 × 0.9 ÷ 2

です。小学校のテストの点は1割引(9割)だとして、この地域の中学のテストが50点満点なので÷2をします。2割引の方が現実に近いような気がしますが、少し甘くしてあります。その分、小数点以下を切り捨てることにします。

小学校で大体90点の生徒は中学では  90×0.9÷2=40・・・内申点3 場合によって4 
小学校で大体80点の生徒は中学では  80×0.9÷2=36・・・内申点3
小学校で大体70点の生徒は中学では  70×0.9÷2=31・・・内申点3 場合によって2

内申点は他の要素が大きいので、大体のところです。2割引だともっと悪くなります。

小学校のときに90点前後とっていれば親としては「うちの子はできる方かな」思います。ただし、2割引きなら中学で90×0.8÷2=36点です。この点はできる生徒の点ではなく、ごく普通のクラス平均程度の点です。「中学になって急に成績が悪くなった」と言われるものの内、かなりのものが実は小学校段階で既にその状態だったと考えられます。

理科総合って?

テスト前日の生徒と化学Ⅱをやりました。硫酸銅・5水和物の析出の問題でした。その生徒は中高一貫校の2年生で、公立高校よりずっと速く進んでいます。

ところが、僕はその同じ問題をもっと早く、公立高校1年のときにやっています。その問題には特別な思い出があってよく覚えていました。

中高一貫校は1学年程度、公立高校より進度が速いと言われています。確かにその通りです。ただし、それは公立高校がその内容を少しずつ減らし、更に『ゆとり』になり決定的に学習内容を減らしたためです。私立一貫校が速くしたのではなく、公立が一年以上遅くしたため、相対的に速くなったわけです。

新指導要領では高校でやる『理科総合』の多くの部分が中学に戻っていきます。そして、中学の延長のような高校の『理科総合』がなくなることになります。理科総合は中学校の理科の多くの部分を高校にまわすためだけにできたような教科です。ゆとりで扱えなくなった部分をまとめて『理科総合』とし、高校にまわしたのでしょう。以前、問題になった、高校での未履修もこの理科総合と無縁ではありませんでした。なくなって当然だと思います。

いったい、この10年~20年は何だったのか?

『失われた10年』は決して経済や文学だけのことではありません。

2011年3月1日火曜日

システムの中での学力

定期テストでの英語の点は良くなくても、高校入試問題になるとずっと高得点を取る人がいます。そのタイプの人は、高校の定期テストが良くなくても、私大入試やセンター試験の英語でも高得点を取ります。ただし、国立の2次では上手く行きません。

その理由は、『書けないけど読める』。そんな勉強をしてきたからです。昔のようにひたすら単語を書いて覚える。そうしたやり方は減ってきました。単語は書かないで覚えたほうが効果的だという考えも増えています。確かに、神奈川県の公立高校を受験し、私大あるいはセンターのみであれば、それで十分かと思えます。

神奈川県の高校入試、私大入試、センター試験。これらの英語の問題の特徴は、解答を選択肢から選ぶことです。単語を書く量は大変少なく、極端な場合、高校入試と大学入試の合計で2~3語しか書かないで合格ということも考えられます。単語が書けなくとも、意味が分かればよいわけです。一方、国立の2次は英作文等、記述の部分が多く、書けないとうまく行きません。

多かれ少なかれ他教科でも同じことは言えます。

コンピュータの利用により、マーク式の秀才という類型ができてきます。私大型、国立型の秀才が現れてきます。学力は多かれ少なかれそのシステムに依存しているわけです。

スキーのジャンプ、カーレースなどはそのルール(レギュレーション)の変更によって、結果が大きく変わってきます。今年の王者が翌年には下位に沈む。そんなこともあります。絶対的な実力などは存在せず、そのシステムの中での実力なのです。学力も似たところがあります。なぜかそのことが十分考慮されてはいないように思いますが。

2011年2月28日月曜日

後期発表

高校受験が終わりました。今年は安全な受験生ばかりというわけではなかったので、結果が出てこちらも脱力状態です。

そのうちの1人は内申が全く足りない状態での受験でした。内申のみでは2ランク以上下の学校を受けることになります。普通なら受験校をずーと下に下げるところでしたが、本人にやる気があること。そして、彼が行きたい高校の生徒を何十人も教えてきた経験から、『その高校に入れば最上位でやれる』と思えたこと。その2点で『チャレンジ受験』の決断をしました。この決断は本人の決断ですが、それは同様に私自身の決断でもありました。幾つかの模試の結果、過去問を解いた結果、学力の進捗、そうしたものを睨み合わせながら、『簡単ではないがいける筈だ』という判断で、後期選抜の願書を出したのです。

本番は計算通り、予定の範囲内の結果でした。もう少し取れても良かったのですが、贅沢はいえません。いろいろなデータから、まず90%合格だろうと判断しましたが、最後の最後に引っ掛かりが残っていました。『特記事項』です。この加算分15点がある限り一縷の不安が残ります。楽な勝負をしているわけではありませんから、この15点は脅威です。

合格の報を聞いても、喜びはさほど無く、安堵感でいっぱいでした。

2011年2月24日木曜日

相手と自分を思いやる

プロ棋士の依田紀基氏が著した「プロ棋士の思考術」は、私にとっては氏の思考術よりもその半生や社会の諸問題に対する氏の意見に対して印象の残る本でした。
氏が内弟子になった時のエピソードの中で、今でも役に立っている言葉があるので紹介します。


『ただ、(師匠の安藤氏の)奥さんからは、安藤家の家訓みたいなものを2つ言い渡された。
「絶対に借金の保証人になってはいけない。保証人になる位なら、今持っているお金を全てその人にあげなさい。」
「お金を貸してもよい。しかし、貸したなら、それはその人にあげたと思いなさい。絶対に催促してはならない。」』
(以上『』内部著書「プロ棋士の思考術」より抜粋)


これを読んだ当時の僕には保証人も金銭賃貸もまるで無縁の話題ではあったのですが、当時から大切にしておこうと思ったものです。
発想が素晴らしい。無慈悲に「保証人になるな。」ではなく、「なる位なら、持っているお金を全てあげなさい。」という発言にはこの奥さんの人情味があふれ出ています。


ここで大切なことは【相手と自分を思いやる】事です。
例えば団体の会計等を自分が管理している場合などは、どうしても返済を催促せざるを得ない場面もあるでしょう。その時も「○×までに全額返して!」ではなく、どうすれば無事に返ってくるかを考えた方が確率も高くなるし、お互いに建設的なストレス程度で済みます。


信頼している人間が思ったよりも行動してくれない事は良くあることです。
逆に信頼を得ているにも関わらずなかなか手が進まない事もあるでしょう。
それを理解する事こそが、第一歩なのではないでしょうか。




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