2011年2月12日土曜日

受験制度の変更について・・・その2

中学校から高校に送られる『調査書』に、『特記事項』というものがあります。今度の受験制度の変更で改めて欲しいことの一つはこの『特記事項』です。

理由は簡単で、その内実が不明だからです。ある意味で不正に近いことが起こりうる部分です。公立高校が明確な基準を前提とし、公明正大に入学者を選抜するのであれば、さっさと止めるべきでしょう。さもなくば、少なくともその内容と基準を明示すべきです。

残念ながら、時として妙な噂が流れます。その多くは部活と関係しています。おそらく噂のような不正はないのでしょうが、ルールそのものが明確でない場合、事態はもっと深刻です。きちんと公の批判に晒されるべきだと思います。

様々な利害(それも受験生ではなく、その周辺の人々の利害)によって、受験制度が歪まないようにして欲しいものです。

2011年2月10日木曜日

表裏一体

今日、私立高校の入試が行なわれます。

公立後期を受ける生徒のほとんどは併願確約というシステムで受験をします。これは、公立後期を受けることを認めた上で、公立に落ちた場合、私立に進学するというものです。併願確約がある限り、私立入試で落ちる可能性はほぼ0になります。したがって、受験者数と合格者数は同数で、競争率は1倍です。

このシステムはかなり不思議なシステムです。

さて、早ければ現中1から、公立高校の入試制度が変更になるようです。これにともなって、私立高校の入試制度も変わるはずです。公立と私立は表裏一体の関係で、別のシステムというわけではありません。

ここ数十年続いている神奈川県公立高校の進学実績の落ち込みは私立中高一貫校の進学実績の向上という形で補填されています。知り合いの物理学者が『質量保存の法則のみが本当の意味で法則と呼べるものだ』といっていたのを思い出します。『公立の進学実績+私立の進学実績=一定』というわけです。

公立の受験制度の変更は私立の受験制度の変更につながります。そして、そうした変更に関し様々な利害が絡み合い、受験制度は複雑なものになっていきます。今度の変更が、どうなるか注視しなければなりません。

2011年2月9日水曜日

胃が痛い

幸いにも丈夫な内臓を持って生まれたため、暴飲暴食にもかかわらず、胃が痛いという体験をほとんどすることなく生きてこれました。ところが、ここ数年そうでもないのです。

2月7日夜、ネットで教育委員会の記者発表を見ます。後期選抜の倍率の確認です。中3生徒の受験校の倍率を確認します。ほぼ想定の範囲内でまずは一安心。志願変更することなく、10日後の受験を迎える決断をします。

少し前まで、神奈川県の高校受験は全くの無風でした。平塚を中心とした学区では落ちる受験生は大変少なく、受験前から『難しいかな』という子の中で何人かが『運悪く?』不合格になるといった感じでした。ある意味で『事前の検閲』がしっかりしており、受かると考えられるもののみが受験するシステムでした。

ア・テストが無くなり、中3全員が学校で受ける模試が無くなり、学区が無くなり、20%枠ができ、私立の相対的位置が高まり、パブルがはじけ、不景気になり、こうした様々な要因で、公立の受験は不確定な要素が増えてきました。昨年のように生徒数が増加すると、かなりの倍率になります。今年も相当数の不合格者がでることになります。

17日に後期選抜があり、その発表が25日です。私立の発表に比し、とても時間がかかります。その時に、胃がちくちくと痛むのです。教えている生徒の受験は自分の受験より、ずっと神経を使います。自分の人生は自己責任ですが、生徒の人生に関ることの重みが胃にきます。チャレンジ受験をした生徒がいる年は尚更です。そして、今年はその年です。

生徒たち、そしてある意味で私も、不安から逃れるように、勉強に集中することになります。

2011年2月8日火曜日

飛ぶ矢は飛ばず

電卓で1÷3×3を計算すると0.9999999となります。
これを生徒に見せると皆一様に驚きます。
「1÷3×3=1だから、電卓が壊れてるの?」
「いや、どの電卓でも同じ結果だよ」
「じゃあ、1÷3×3=1じゃないの?」
「とんでもない。間違えなく1だよ」
「じゃ、どっちが正しいの?」
「多分、両方とも」
「・・・・・?」

極限という概念は大変怪しいものだと思ってきました。
中世の神学者たちが「神の存在証明」をするときに、人間から神にいたる無限の距離を証明しようとしてついに果たせなかったように。もし極限という概念を使っていたら、

   lim人(n)=神
      n→∞  

ということになっていたかもしれません。

ギリシャ時代の『飛ぶ矢は飛ばず』や『アキレスと亀』といったパラドックスはこの部分をついているわけです。

大学の数学でやるテーラーとかマクローリンとかの展開で、ある微細な部分を『ごみ』と呼ぶ人もいます。我々の科学はその『ごみ』によって、充足されているようにも見えます。『塵も積もれば山となる』なのです。

そう言えば、「ハヤブサ」が持ち帰ってきたのも「塵」でした。

頬杖ついていて、できるようになんかならないよね。

机に向かった姿勢と学力には何らかの相関があります。

問題を解いているときに、頬杖をついている生徒は99%学力中位~下位です。問題を解き終わった僅かな瞬間に、頭を机に伏す生徒も同様です。足を組んだり、前に投げ出したりしているものもそうです。体を支えるエネルギーを持ち合わせていないかのようです。

勉強を教えながら、「頬杖をつくな」とか「足を投げ出すな」とか「椅子にちゃんと座れ」とか教えなければなりません。一度では治りませんから、何度も何度も指摘することになります。これは、小学生の話ではありません。小学生であろうが、大学生であろうが事情は同じです。

逆に学力上位の生徒で、姿勢を問題にしなければならないケースはほぼ皆無です。余計なことに煩わされず、教科を教えることができます。意欲が姿勢を制御しているのです。

ところが、ハーバードの白熱教室のような外国の授業を見ていると、脚を組んだり、頬杖をついたり、ガムを噛んだりしている学生でいっぱいです。勿論彼らは優秀な大学生です。

この違いは何なんだろうと思います。

2011年2月6日日曜日

時間って?

時間とは何か?
この問いに明確な解答を与えることは今のところ不可能のように思えます。

哲学者ベルグソンは時計のことを『持続して流れている時間を空間の移動距離に置き換えたもの』というように説明していたと記憶しています。つまり、『15分とは時計の長針が空間上で90度移動したということだ』と言うわけです。

これはなかなか良くできた説明で、気に入っていました。

ところが、ベルグソンの時代には無かったデジタルの時計ができて、話はまた振り出しです。

最近メールで塾のあれこれを先生方とやり取りしています。1対1のときは問題ないのですが、数名でやり取りしているうちに『時系列』が込み入ってきて、よくわからなくなるときがあります。この話はもう解決済みなのか。今している話はひょっとして、以前の話ではないのか。えっ、その話ってどこかでしていたっけ。それが判然としないことがあります。

ネット上の質問で、とんでもなく古い質問(数年前の質問)に今答えているものを見ることもあります。それも、同じ事情かもしれません。

ぼくのようにデジタル時計やメールが人生の途上で出てきたアナログ型の人間にとって,ちょっとした超えなければならない課題のようです。

2011年2月2日水曜日

2月1日

2月1日は特別な日です。

公立高校前期選抜の発表。
有力中高一貫校の試験。
私大入試もいよいよ。

夜、高校の授業をしていると、数本のメールが入ってきました。
私立中学受験、合格の報です。午前中に受験で、当日夜にはもう発表があります。
公立高校の発表まで(一週間もある)とは対照的です。

授業の後で祝福の電話を入れて・・・

実は、朝からずっと気にかけていた子が他にもいたのですが、とうとう連絡がありませんでした。理由は分かっていますので、こちらからは連絡を取りませんでした。

あと数日、こうした日が続きます。