2010年11月11日木曜日

漬かる様に学ぶ

世の中には残念なことに器用・不器用という性質が存在します。
例えば僕が友達とダーツに行った時。始めは横一線で下手だったはずなのに、最終的には実力に開きが出て、友人Aが勝ち続けるようになりました。そしてそれはダーツに限らずボーリングやテレビゲーム等でも同じで、僕らの中で友人Aは越えられない壁の様な存在でした。


ここで僕のような凡人が友人Aに勝つ為の手段はなんでしょうか。
結論から言いますと、習熟したい分野に対して没頭する事が一番の近道ではないかと考えました。


私の英語教師であった先生は、英語の習得について次のように述べています。



「英語講師になって8年目の春、スランプがやってきた。会議などで英語を話すとき、つっかえてしまうのだ。子供の運動会でコケてしまう、昔はスポーツマンだったメタボの気味のお父さんの様に。まずい・・・。」


「海外から帰国して約10年。すっかり貯金を使い果たしてしまったのでしょう。日常会話ならまだしも、英語を長い時間聴く事が、読むことが苦痛に感じるようになっていた。体力不足だ。野球の練習で言えばランニング。ここをさぼると足腰がおぼつかなくなる。足腰がおぼつかない選手にシャープなスイングはできないのだ。」


「やさしいものを多量に読み、書き、聴いて、話すこと。これが英語の体力増強の方法。どれくらいか? 著名な先生によれば200時間以上だそう。それ以下であれば効果は期待しないほうが良いそうだ。ジョギングをするように、自分のペースで(英語のレベルで言えば辞書なしで8割内容が取れる教材で)距離を走る(読み、書き、聴いて、話す)ことが大事。
一方、体力が付いたら素振り、トスバッティング、シートノックなどを通して正しいフォームを身に付ける。英語で言うと音読、シャドーイング、ディクテーションなどだろうか。」


(中略)


「ちなみに私はその後スカパーと契約、家のテレビは全て英語のプログラム。 出歩く時はmp3プレーヤーにいれた英語の音声を、電車の中ではペーパーバック。一日三時間程で三ヶ月を越えるころに英語が外国語ではなくなる感覚がよみがえり再び、夢を英語で見るようになりました。」



英語に限らず、このアイディアは重要です。
物事の習得は通常、始めの部分は伸びが良いのですが、途中から途端に成長が見られなくなってしまいます。この壁を突破できるかどうかが挫折してしまうかどうかの鍵です。なぜならその壁を越えた先には、学習を苦に感じ難い新たなステージが待っており、学習が再び楽しくなるからです。


学習分野の内容を夢で見ることはわかり易い目標であるとして、僕も設定しています。
しかしやらねばならない事も山積しているので、タスクに邪魔されて学習が進まない事を避ける為に電車の中や部屋での生活をもう一度見直さなければならないなと思います。

2010年11月10日水曜日

備えあれば憂いなし

11月も3分の1を過ぎました。身軽でいて服装を楽しめる季節も終わりが近づいてきてしまうことは少し寂しい半面、冬服が足りないので今年は何を買おうかと考えると楽しい時期です。


しかし受験生、とりわけ大学受験生にとってはいよいよセンター試験の足音が近づいており、心穏やかに過ごせる季節ではないのでしょう。僕は個人的に現在高校3年生の子の家庭教師を持っているのですが、その子と話をしている時に、“あと2カ月”ではなく“再来月”というフレーズが出てきた時には「リアルです…」と言ってうなだれてしまいました。


センター試験は毎年1月の半ば頃に実施されます。
国立大学を志望するならば避けては通れない試験で、通常5教科7科目をこなします。センター試験は翌日には新聞を通して回答が掲示されるため、受験生によっては(良かれ悪かれ)その3日間で決着がついてしまう事もあります。


個人的な見解ですが、旧帝国大学等の所謂A~Sランク大学を第一志望とする人を除けば、この残り2カ月からセンター試験の習熟をやり始めるべきだと思っています。
なぜならセンター試験の特徴として、教科が多いこと・試験内容がやや独特であることが挙げられます。よって受験生は総合的な学習と時間内に実力を出し切る要領が必要です。
なので過去問を用いたテスト形式で練習を重ね、解説を見ながら問いに対して研究することで知識を深めるといった学習法を繰り返し行い、自分の回答リズムを作り上げる事をします。


僕の場合の回答リズムはこうでした
1.大まかに形を組み上げる
2.出来なかった部分を考える
3.出来てる部分が本当に合っている事を確認する
4.もう一回見直す
少なくとも3番まで達していなければ、そのテストは失敗作です。もちろん国語等は時間的に厳しいのでこの限りではないのですが、基本はこの手順を踏めるように本番も心がけて解きました。


一発勝負の世界において何よりも強い事は安定感であると確信しています。
とりわけセンター試験は何をやるのか判っているのですから、準備=点数安定率の向上なのです。
ラストスパートを、身近にいる人の誰よりも頑張ってください。

2010年11月9日火曜日

スパイラル・モデル

先日、学生のビジネスプランコンテストを見てきました。
経営学部が主催だったのですが、現代社会が取り入れられていない部分に目を付け、収支や数年間のプランをかなり具体的に述べていて素晴らしかったと思います。こういったプレゼンテーションを見ていると、大学生もまだまだ捨てたものではないと思うものです。


例えばソフトウェアならば、組み立て式なので設計さえ完璧ならば(それが困難なのですが)各自が然るべきパーツを組み上げて、それをつなげれば思った通りの作品が完成します。
しかしビジネスプランコンテストでは、何の作業をするにしても全員が情報を共有していなければ段々とプランにズレが生じてしまい、作品のクオリティを損なう原因となります。


チームには多角的視点と長所の相乗効果の為にも、様々な人種の人間が必要です。
しかし思考が異なる為に、上記のような同期のズレを生む危険性もまたあります。よってチームには綿密な計画を練る事や、目に見える成果物をこまめに提出する事で意見のズレを修正しながら作業を進めていく必要があります。


今回見たグループの一つに「駅のホームを花と緑で快適通勤に!」というテーマがありました。僕がまっさきに思ったことは「満員電車の中に蜂が入る危険性とその対策」でした。結局この事やこれ以外の非人間的トラブルに対する技術的対策はありませんでした。恐らくこのチームには工学的発想の人物が不足しおり、そこだけがちょっと残念でした。

2010年11月7日日曜日

how to ものの本について

20年ほど前、ある著名な文化人が『アメリカの出版物の大半はいわゆる how to もので・・・』とそれを揶揄するような文を書いているのを読んだことがあります。"how to もの”とは”~の仕方”、”~の方法”といった種類の出版物です。『私はこのようにして大富豪になった』『私はこのような勉強法で、偏差値40から東大に入った』『正しい、乳母車の選び方』 『初めての株』 そんな本のことです。

その影響か、私自身は how to もの をあまり読まないようにしていました。ところがそれからだいぶ経って日本の出版状況は大きく変化してきました。本屋の書架は漫画に席巻され、how to ものはその割合をアメリカ並みに増やしてきました。今や how to ものはベストセラーの中に沢山顔を出しています。

その理由はいくつか考えられますが、一つは、ある世代の持っている知識が次の世代に連続的に伝わっていかなくなったこと。もう一つは技術に対する信仰が広まったことではないかと思っています。

前者に関しては言を要さないかと思いますのでここでは割愛するとして、後者のことを少し考えて見ます。

西洋の科学技術は方法論の歴史です。科学においてある事柄が認められるということは、同じ条件で別の人が同じ実験をすると同じ結果を得るということです。そうした追試によって、その理論・実験の価値が決まってきます。それはまさに方法論そのもので、『このようなやり方で・・・すれば、あなたも同じように・・・できる』という主張です。『このようにすれば、あなたも大富豪になれる』『このようにすれば偏差値40のあなたも東大に入れる』『このようにすれば、あなたも絶対に乳母車の選択に失敗しない』とうわけです。

一方、我が国の技術の歴史は必ずしも方法論の歴史ではありません。ある技術者がある技術を体得したとします。その技は弟子の中の最も優れたものがある種の偶然と共に師匠から授かります。『秘伝を授かるわけです。』 誰もがその技術を得られるわけではなく、苦労して技術を磨く中で幸運に恵まれた人がそれを得ることになります。西洋の方法論が連続的に伝わるものであるとすると、日本のものは点から点へと不連続に伝承されます。『このようにしたとしても、あなたは・・・ができるわけではありません』という考えです。

戦後民主主義には様々な功罪(功が圧倒的に多いと思いますが)があります。そのなかで、日本的な技術の伝承は特殊な分野(古典芸能や工芸など)では何とか残っていますが、ほとんどの技術は方法論という一大勢力に支配されたといえるでしょう。方法論さえあれば『あなたも大富豪になれる』『君も東大に入れる』というわけです。当然 how to ものが売れるはずです。

さて、私は尺八をやっています。練習熱心とはいえないのでなかなか『免許皆伝』とはいきません。
『上手な尺八の吹き方』という本があれば買いたいのですが、どこかに売ってませんか?

2010年11月4日木曜日

ゴッホの墓

センター試験の国語は読解という技術を悪い方向に変えてしまったのではないか?と思っています。詳細はここでは述べませんが、文章を読む楽しみを損ねる方向に向いています。いまや、国語の点数が取れることと文章が読めることとは同じことではありません。

さて、この世には”読みの達人”とでも呼べき人たちがいます。代表的な人物は評論家の故・小林秀雄です。日本人の持つモーツアルトのイメージは小林秀雄のモーツアルトであり、日本人のもつゴッホのイメージは小林秀雄のゴッホです。

モーツアルトを”疾走する悲しみ”と呼んだ小林秀雄はゴッホ論の中で『自ら狂人たらんと欲する多くの常人の中、唯一、自ら常人たらんと欲する狂人・・・』というような文章を書いていたような気がします。それが、ぼくのゴッホの根源的なイメージです。

ゴッホは若い頃ワーキングビショップ(労働司祭)のようなことをしています。働きながら神に仕えていたのです。その頃の作品『ジャガイモを食らう農夫』のような作品は晩年の色彩溢れたものとは一線を画す秀作です。そして、パリに出、やがて、ゴーギャンとのアルルの生活。その理想に破れ最後は自ら命を絶ちます。生前、ほとんど絵は売れず弟のテオの援助で生活をしていました。

随分前、とても若かった頃、ぼくはパリで暮らしていました。ある日、ゴッホの墓を見に行こうとパリ郊外に向かう電車に飛び乗りました。

オーヴェール・シュール・オワーズに彼の墓があるはずでした。オーヴェールの駅はとても小さく、ほとんど人通りもありませんでした。近くのカフェに入ってコーヒーを飲みながら、情報を仕入れます。ゴッホの墓までの行き方、ゴッホが自殺した部屋のある建物の場所などなど。

カフェを出て少し駅のほうに戻りそのまま進むと、左側に上り坂があったように記憶しています。その小径をしばらく歩いていくと二股に道が分かれています。そしてその正面にオーベールの教会が建っていました。ゴッホの代表作『オーヴェールの教会』の教会です。彼が思っているよりずっと写実的に描いているのに驚きました。そして、その背後にはたわわに実った穂を風に揺らす黄金色の麦畑が彼の絵そのままに広がっています。ご丁寧に、その空にはカラスのような鳥さえ飛んでいます。まさに『カラスの飛ぶ麦畑』なのです。

そこであった村人にゴッホの墓の行き方を尋ねると、長々とゴッホの説明をし始めました。そして、最後に『ほら、そこだ』といって、直ぐ右手のレンガ塀に囲まれた墓を教えてくれました。

墓標の文字を頼りにゴッホの墓を探したのですが、かなりの時間がかかりました。それは、他の墓と比べるとずっと質素な石のプレートが2枚並べてあるだけのものでした。一つには『ビンセント ヴァン ゴッホ』 そして、もう一つには 『テオドール ヴァン ゴッホ』と書いてありました。

(注)とても昔のことで記憶間違いが沢山あるようにも思います。悪しからず。

2010年11月2日火曜日

制度疲労

数日前の新聞にセンター試験を2種類にするというニュースが出ていました。従来のセンター試験を国公立と一部私大用にし、それとは別に私大用のセンターを実施するというものでした。

大学全入時代を迎えて、私大の40%は定員割れを起こしています。同時に学生の学力も低下し、現行のセンター試験では難しすぎて参加できないということのようです。それならばもう一つ易しいセンターをやって・・・。ということのようです。屋上屋とはこういう時に使うのでしょうか。それならばセンターという看板を下ろしたほうが良いと思います。

今年前半にはこんなニュースもありました。高校、大学提携のニュースでした。今までも高校生が大学の授業を受ける等いろいろされていましたが、今回のものは画期的でした。というのは、大学生が分からない勉強を高校に行って教えてもらう(補習してもらう)というものだからです。

最早、下位大学では大学という名に値する授業を維持するだけの質の学生を集めることができないのが現状です。特に理系は深刻で実験のレポートが書けない人が相当多く、そのレポートを書くアルバイトが存在しています。当塾にも面倒見てもらえないかという問い合わせが時々あります。文系でも経済や商学部の学生に初歩の線形代数を教えることがよくあります。

教育システムが制度疲労しているように感じます。

2010年11月1日月曜日

自学

今日から11月になりました。今年も残す所あと二カ月ですね。
中学生は今月末からテストがあり、また2ヶ月後の2011年1月には英検を控えておりますので僕たち講師陣にとっては最も大切な季節の一つであると感じています。


僕(長尾)のテスト対策テーマとして、今回は「自学」を挙げています。
何時までに何をすればよいのか、というような道筋や方法論はこちらで準備を徹底するとして、それを能動的に処理することで学習のリズムを身につけさせたいと考えています。


ここで大切なことは、教材が「自分の頭を使って行うもの」であることです。
とりわけ社会や理科等の記憶分野については教科書やノートを見る様な受動的学習になりがちなので、それに留まらないまとめや問題を自分で創作することが大切です。
作成にコスト(時間)がかかる事が欠点ですが、一度作ってしまえば日常やテスト直前などあらゆる場面で役に立つメリットが大きいです。


逆に英検等の対策は各自では中々捗りにくいでしょうから、こちらで手厚くカバーします。その際に単語カードを作成しますので、自宅学習はそちらの記憶に終始します。
また検定は集中して取り組む事が効果的ですので、12月や1月に徹底した対策を取ることが大切です。その為の特別講座も現在検討中です。


いずれにせよ、子供たちにとってはあっちいったこっちいったにならないシンプルな学習を提案していきます。風邪などのトラブルにも気をつけつつ、頑張っていきましょう!