大学受験生で英語の長文が苦手な場合、日本語が苦手な場合がほとんどです。
大学受験に出る英文は受験生の英語力が中学生レベル(日本の中学で学ぶレベル)だったとしても、その内容はまともな大人を対称にしたものです。
田中久美が”あなたはどのスポーツが好きですか?”と聞くと、健が”ぼくは卓球が好きです”と答えるような英文を相手にしているのではありません。
例え、英語力がアメリカの3歳児レベルでも、読まされる文章の内容はアメリカの大人を相手にしたものです。
今日ある生徒が読んでいた文章(高校の課題)は”グローバリズムとモノカルチャー経済”に関するものでした。仮に全ての単語を辞書で引いたとしても、その内容を理解することはできないでしょう。日本語で読んでもチンプンカンプンなわけですから。
これには日本語が十分でないという側面と、その背景となる知識が十分でないという2つの側面があります。
新聞を毎日読まずとも眺めていれば”グローバリズム”などという言葉は自然と目に入ってきます。一方、TVやウェブのような主体的に選択する種類の情報では自分の知っているもの、関心のあるもの以外の情報に行き着く可能性がずっと少なくなっています。
電子辞書も同様です。確かに速くひくことはできますが、情報の視野が狭く、得られる知識がまさにデジタルです。同じジーニアスの英和辞典でも本と電子辞書では処理する情報量が異なります。これも、背景をやせ細らせる一因なのかもしれません。
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