2010年12月7日火曜日

『分かること』と『できること』の間

三角関数を教えるとき、sin や cos の値を読み取る練習を必ずします。それは、アナログの時計を読む練習と同じで、少し練習すれば自由に読み取れるようになります。この部分の教え方は人によって大きく異なるところです。ぼくのやり方は、体を使ったちょっと変わった方法です。

ところがこうした練習を馬鹿にする人がそこそこ能力のある人にいます。少しやるとマスターしていないのに練習をしなくなります。『なんでしないの?』と聞くと『分かったから』とか『暗記すれば良いんでしょ?』とか言います。がっくりです。『分かっていない』のです。

時計の文字盤を読むのは『暗記しているから』ではありません。『見ているから』です。そこにあるものをそのように見ているだけなのです。勿論、時計を読む練習の初期には『分かる』ことも『暗記する』こともそれなりに必要ですが、あるレベルからは時計の文字盤を見て時間を『読み取っている』のです。ただ『見ている』だけなのです。なぜ、8時かと聞かれたら、それは定規で8cmのものを測りとるのと同様に『8時だから』というのが理由です。『見ている』ものは忘れることもなければ、間違えることもありません。それが『習熟する』ということです。

少し『賢い』人は『分かる』という部分(理屈)で満足する傾向があります。『分かったからもう良い』というわけです。『分かったのになんで更にやるの?』と思っている節があります。『理屈を理解すること』は『できる』ことの入り口でしかないのです。

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