TVで小学受験の番組をやっていました。未だ年中や年長の子達が母親とともにある進学塾で学習するドキュメンタリーでした。
その塾の女性塾長の話です。『小学受験を詰め込みだどうだと批判される人がいますが、とんでもない。小学受験は家庭のしつけが問われているのです。私たちは家庭のしつけの手伝いをしているのです。学力のない子の多くはその家庭のしつけが家庭内でできない子達です。』
そして、今の子供に欠けていることを幾つか挙げていました。
そのうちの一つが、『とにかく今の子供は人の話が聞けない』ということでした。
うーん、我が意を得たりというところです。常々ぼくもそう思っていました。話が聞けないというのは①話を聞いていない。というのと、②聞いてはいるが内容をつかんでいない。の2つがあります。
更に、②は聞いているようで、聞いていない。というのと、聞いているが理解できないと分類できるかもしれません。
その中で気になるのは、②の方です。話をすると、聞いているように思えるのですが、話が全く伝わっていない場合が以前よりずーっと増えているように感じるのです。理解力の問題というより、他者の言説を理解しようという動機が弱いようにも思えます。
さて、その塾では母親にそのことを伝え家庭での躾を促します。その結果、年中では聞けなかった子達の多くが、年長では明らかな成長を見せているのです。それが、学力の基礎になっているのです。
2009年12月2日水曜日
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