2011年1月7日金曜日

しなければならないことをどうやって好きになるか

昨日の授業の際に、中学生に国語の問題を解かせていたのですが、あまり点数が良くなかったので、なんでだろうという話をいろいろとしました。
その中学生曰く、どうしても国語の勉強をしていると眠くなってしまうそうです。
そして、眠いのであまり集中できず、問題も適当に答えてしまった、と。
その点は自分でも自覚していて、だから結果が悪かったこともある程度予想通りだそうなのです。

で、僕はテストの時も国語は眠くなっちゃうのかな?と聞いてみたのですが、テストの時は眠くならないそうです。
ですが、普段の勉強の時は眠くなるらしいです。

思えば僕も学生の頃は、嫌いな科目、僕の場合は社会の授業中は眠くなったなぁ、と振り返ってみました。
そしてテストの時はやはりいい点取りたいので、眠くはならずに何とか頑張ったように思います。
ですが、結果として最後まで他の科目よりも社会の成績は悪いままでした。

その後、高校受験の時や、大学受験の時は嫌いな科目でもやるしかないと割り切れたので、そこそこ集中して勉強できるようになりました。

全教科、つまり勉強そのものが好きな人はほとんどいないでしょう。
教科ごとに好き、嫌いがあり、好きな教科を勉強する方が、嫌いな教科を勉強するより集中できるでしょう。
嫌いな教科は何とか勉強しない言い訳を考えてしまう気持ちが分からないでもありません。

そして特に苦手な教科をなんとか勉強させるために、「机に向かって、勉強しろ」と言うことにどの程度の意味があるのか。
「嫌いなことを歯を食いしばってやる」という行為は大人であってもかなり厳しいものです。

そしてそんな話に結構な時間をかけた後、その生徒は残った10分ほどでそこそこの量の英語の問題を解きました。

きっと生徒それぞれ、「なんとかいい点を取りたい」、「そのためにはもっと勉強しなければならない」と言った想いがあるんだろうなぁと思います。
ですが、それでもやはり、目の前の苦痛、困難から逃げてしまうのではないかなぁと。
だからそういった生徒たちも、テスト前はある程度の集中力を発揮するのでしょう。

僕が考えていることは、「結局「勉強しろ」と言って無理矢理勉強させることは意味がない」ということではありません。
そこまで極端ではなくて、もっと良い方法があるのではないかと考えているのです。
よほどの天才を除いて、いやいや勉強し続けた人で、例えば東大に行った人は少ないと思うのです。
どこかで自分なりの楽しみ方というか、やり方を見つけられた人が良い成績を出せたのではないかなと。

いかに「やらされている感」を「やっている感」に変換させられるか。
それが講師の役割ではないかなと。
そしてそれがとても難しいということは分かっています。
だからこそ、大半は「やりなさい」という強制的なアプローチで勉強させようとしてしまうということも。

僕が一つ思っていることは、今回の経験を通して、もっと生徒の意見を聞くことが必要だろうということです。
生徒の悩みを聞き、生徒に自分で考えさせ、僕らはそれを手助けする、というスタンスを取り入れていくということも必要なのではないかと思っています。

難しいことですが、それに生徒とともに挑戦していくことが、教育に携わるものとしての醍醐味の一つだと前向きに考えます。

そんなことを話した後だからか、バリーさんの名言を思い出しました。
今日初めて知ったのですが、バリーさんってピーターパンの著者なんですね。。

幸せの秘訣はやりたいことをするのではなく、やらなければならないことを好きになることである

                            ジェームス・マシュー・バリー


ということで、今週の詩・句を更新しました。

今年もよろしくお願いいたします。

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