こんな小さなニュースがありました。
『東京電力は27日、福島第一原子力発電所の敷地内土壌から、放射性物質アメリシウムとキュリウムを検出したと発表した。』
現在、元素は原子番号1番の水素(H)から原子番号118番のウンウンオクチウム( Uuo )まで、約120種が存在、或いはその存在を予測されています。
その中で、94番のプルトニウム以降のものは殆んどその名を聞く機会がありません。周期表の中でしかお目にかかることはないと思っていました。そんな、原子番号95番アメリシウムと原子番号96番キュリウムが現実にそこにある・・・という驚き。そして、それが人類の作為による産物なのだという事実。
不思議な感慨を持たせるニュースでした。
2011年6月17日金曜日
2011年6月14日火曜日
練習態度
サッカーの宇佐美選手がU22代表からもれたというニュースがありました。
ことの詳細や事実関係を知らないのでなんともいえないのですが、上の記事だけで判断するとしょうがないことかなと思います。彼に圧倒的パワーがあればそれでも選出されるのでしょうし、そうでなければ、この社会の常識を学ぶ良い機会かもしれません。
残念なことにこんな簡単なことが分かっていない若者が沢山いることです。『練習態度が悪くて、試合に使うわけないだろ』という当たり前のことが分かっていないのです。
もっとも競技によっては事情が違ってきます。陸上の世界選手権日本代表を選ぶ大会の様子をTVでやっていました。女子100メートルはとても見ごたえのあるものでした。そして、100mを中心にした短距離の選手たちは昔から他のどのスポーツよりも個性派ぞろいです。彼らは自分の力だけを信じてスタートラインに着きます。集団スポーツの選手や同じ陸上でも長距離の選手とはかなり異なった個性です。そこは自分の力以外のものが入り込む余地がとても少ない世界です。練習態度云々と言われることは他の競技よりずっと少ないはずです。その分結果が厳しすぎるほど明確に出る自己責任の世界でもあります。
2011年6月9日木曜日
魂
少し前の話題ですが、元巨人の桑田真澄氏がプロゴルフトーナメントの富士カントリー可児クラブチャレンジカップに主催者推薦で出場しました。
野球では説明不要の活躍をみせた桑田氏のゴルフ転向とあって大きな期待が寄せられましたが、結果はプロの壁に阻まれるほろ苦いデビューとなりました。
同氏は試合後のインタビューにて、プロゴルフの厳しさを語りつつも
「スポーツをやる人はあきらめちゃいけない。」
「2日連続のKOで目標の80にも及ばなかったけど、また挑戦したい。」
とコメントし、その後実弟でプロゴルファーの桑田泉氏の指導を受けていたそうです。
スポーツをする人はあきらめちゃいけない。カッコイイですねぇ。
他の分野だって同様です。また暑い時期が近づいて来ました。
来たる模試の前に、我々も覚えておきましょう。
「受験する人はあきらめちゃいけない。」
「指導する人はあきらめちゃいけない。」
2011年6月7日火曜日
移行措置
中間テストが各中学で少しずつずれている為、今月はずっとテスト対策の補習をしています。しかも、英検や漢検がこの時期に重なり、人によってはかなりハードなスケジュールをこなさなければなりません。
さて、新しい指導要領に向けて、移行措置の分野が理科・数学を中心に中学のテストに戻ってきました。最も大きな変更は理科です。今回の中3理科のテストでは力の合成・動滑車や斜面での仕事・イオンの知識を前提とした電気分解・中和反応・遺伝といった部分がほぼ全部移行措置です。
昨年までの古い教材ではそうした問題が載っておらず、殆んど対応できません。といって20年も前のものはもっともっと難しくて使い物になりません。この間の10数年は『失われた10年』とも言うべきものです。
ゆとり教育に関してはその役割もあったはずで、デメリットばかりでなく、メリットもあったと思うのですがその反省と評価をきく機会がありません。当時の文部官僚は今どう考えているのでしょうか。
イオンという知識がなく、レモンで作った電池で電球がつくことを教える。そんな馬鹿げた理科があったことを忘れないようにしたいと思います。
さて、新しい指導要領に向けて、移行措置の分野が理科・数学を中心に中学のテストに戻ってきました。最も大きな変更は理科です。今回の中3理科のテストでは力の合成・動滑車や斜面での仕事・イオンの知識を前提とした電気分解・中和反応・遺伝といった部分がほぼ全部移行措置です。
昨年までの古い教材ではそうした問題が載っておらず、殆んど対応できません。といって20年も前のものはもっともっと難しくて使い物になりません。この間の10数年は『失われた10年』とも言うべきものです。
ゆとり教育に関してはその役割もあったはずで、デメリットばかりでなく、メリットもあったと思うのですがその反省と評価をきく機会がありません。当時の文部官僚は今どう考えているのでしょうか。
イオンという知識がなく、レモンで作った電池で電球がつくことを教える。そんな馬鹿げた理科があったことを忘れないようにしたいと思います。
2011年6月3日金曜日
濃度
濃度が分からないという中学生に濃度を教えました。
やっているうちに濃度ではなく、割合が分かっていないのだということに気づきます。5%の食塩水でも、5%の消費税でも同じ困難が存在しています。小学校の算数でこの辺りの学習が十分でなかったのでしょう。
中学受験する子にとって割合は最も重要かつ難解な部分です。この部分の学習に多くの時間を割きます。その結果、難関中学の生徒の多くは、割合を得意としています。一方、公立に進む子にとってはほんの上澄みをさらっただけで終わってしまいます。消費税が10%に上がるという議論があってもその具体的なイメージが持てません。
もっともこれを小学校教育、あるいはゆとり教育のせいだけにするのは片手落ちです。
・基礎の基礎ですが、200円の6%はという質問に200×0.06と直ぐにやれても。
・同様に基礎の基礎です。200円は持っているお金の6%です。いくら持っていますか?という問いに 200÷0.06 と即座にやれる大人も案外少ないからです。
公教育の衰退は社会の仕組みや内実を理解できない多くの大人を作り出していくことになります。そして、一部の仕組みを理解できる人たちだけがこの国を動かしていくことになりかねません。
それは決して望ましい未来ではないはずです。私たちは学ばなければならないのです。
2011年6月2日木曜日
日本語の助動詞
先週中学3年生に国語の授業をしていました。
テスト範囲に助動詞があったので、復習で問題を解かせていたのですが、あまりにもみんなできないので、もう一度助動詞について説明をしたのです。
突然ですが、問題を一つ。
例題)以下の文章の助動詞を3つ答えなさい
私にはとてもそんなことは信じられません。
さて、この文章には助動詞が3つ含まれているのですが、分かりますか?
僕は中学時代、正直国語の文法は苦手でした。
上の例題ももしかしたら解けなかったかもしれません。
ですが、中学生にいかに分かりやすく教えるかを考えているうちに自分でも理解できました。
そもそも、助動詞というのは言葉のとおり動詞を助けるものなので、動詞(用言)に含まれます。
例文で言うと、「信じられません。」が動詞(用言)ですよね。
この中に3つ助動詞があるわけです。
先に正解を言うと、「られ」、「ませ」、「ん」、の3つです。
この3つの言葉は元々の動詞である、「信じる」を助けています。
まとめてしまうと分かりづらいので、一つ一つ説明してみます。
信じる + られ(可能) = 信じられる
信じる + ます(丁寧) = 信じます
信じる + ない(否定・打消) = 信じない
こう考えると分かりやすいですよね。
それぞれの助動詞が意味を付加していることが分かります。
信じられる + ます(丁寧) = 信じられます
信じます + ない(否定・打消) = 信じません
信じない + られ(可能) = 信じられない
信じられます + ない(否定・打消) = 信じられません
信じません + られ(可能) = 信じられません
信じられない + ます(丁寧) = 信じられません
こういったことを黒板に書いて、初めて自分の頭も整理されました。
日本語でも文法を改めて考えると、それほど深く考えずに使っていますよね。
これが英語になったらどうなるか、と。
文法って本来は言葉を覚えるための先人の知恵だったと思うのです。
明治維新の後に英語を勉強しなければならない状況になって、最初は当然、文法なんていうまとまったものはなく、ひたすら英語の文章を読んだと思うのです。
そのなかで、「ん、このcanってのは動詞の前にくっついて、”可能”の意味を与えているなぁ」とか、「どうも”to”に動詞がくっつくと動詞じゃない役割を果たすようになっているなぁ」とか、傾向に気づいた人がいるはずなのです。
で、それを英語をマスターするための近道として、文法としてまとめた人がいる、と。
日本語だって、文法を改めて見てみると、「そんなに意識して使っていないよ~。なんとなくなんだけど。」と思うことがあると思うのです。
言われてみて、そういえばそうだなぁと思うとか。
そういう意味でいくと、本来は英語を読んだり話したりするための近道としての文法だったはずが、文法を覚えることが目的となってしまったことに問題があるのかもしれないですねぇ。
だって日本語にしたって、文法から覚えさせられたらなかなか話せないですよ、それは。
なんてことを、国語の助動詞を教えたあとに思ったわけでした。
なんか脱線したままですけど、この辺で。。(笑)
テスト範囲に助動詞があったので、復習で問題を解かせていたのですが、あまりにもみんなできないので、もう一度助動詞について説明をしたのです。
突然ですが、問題を一つ。
例題)以下の文章の助動詞を3つ答えなさい
私にはとてもそんなことは信じられません。
さて、この文章には助動詞が3つ含まれているのですが、分かりますか?
僕は中学時代、正直国語の文法は苦手でした。
上の例題ももしかしたら解けなかったかもしれません。
ですが、中学生にいかに分かりやすく教えるかを考えているうちに自分でも理解できました。
そもそも、助動詞というのは言葉のとおり動詞を助けるものなので、動詞(用言)に含まれます。
例文で言うと、「信じられません。」が動詞(用言)ですよね。
この中に3つ助動詞があるわけです。
先に正解を言うと、「られ」、「ませ」、「ん」、の3つです。
この3つの言葉は元々の動詞である、「信じる」を助けています。
まとめてしまうと分かりづらいので、一つ一つ説明してみます。
信じる + られ(可能) = 信じられる
信じる + ます(丁寧) = 信じます
信じる + ない(否定・打消) = 信じない
こう考えると分かりやすいですよね。
それぞれの助動詞が意味を付加していることが分かります。
信じられる + ます(丁寧) = 信じられます
信じます + ない(否定・打消) = 信じません
信じない + られ(可能) = 信じられない
信じられます + ない(否定・打消) = 信じられません
信じません + られ(可能) = 信じられません
信じられない + ます(丁寧) = 信じられません
こういったことを黒板に書いて、初めて自分の頭も整理されました。
日本語でも文法を改めて考えると、それほど深く考えずに使っていますよね。
これが英語になったらどうなるか、と。
文法って本来は言葉を覚えるための先人の知恵だったと思うのです。
明治維新の後に英語を勉強しなければならない状況になって、最初は当然、文法なんていうまとまったものはなく、ひたすら英語の文章を読んだと思うのです。
そのなかで、「ん、このcanってのは動詞の前にくっついて、”可能”の意味を与えているなぁ」とか、「どうも”to”に動詞がくっつくと動詞じゃない役割を果たすようになっているなぁ」とか、傾向に気づいた人がいるはずなのです。
で、それを英語をマスターするための近道として、文法としてまとめた人がいる、と。
日本語だって、文法を改めて見てみると、「そんなに意識して使っていないよ~。なんとなくなんだけど。」と思うことがあると思うのです。
言われてみて、そういえばそうだなぁと思うとか。
そういう意味でいくと、本来は英語を読んだり話したりするための近道としての文法だったはずが、文法を覚えることが目的となってしまったことに問題があるのかもしれないですねぇ。
だって日本語にしたって、文法から覚えさせられたらなかなか話せないですよ、それは。
なんてことを、国語の助動詞を教えたあとに思ったわけでした。
なんか脱線したままですけど、この辺で。。(笑)
2011年6月1日水曜日
時事問題
中間テストのための時事問題を考えています。
前回のテストは新燃岳噴火の直後でした。したがって、その後の時事問題を集めることになります。北アフリカ諸国で始まった反体制運動。オサマビンラディン殺害。府川事件無罪判決。京都大学入試でカンニング。ユッケによる食中毒。ロイヤルウェディング。アメリカの竜巻。その他、いろいろありました。しかし、その全てが、今回の東北大震災と福島第一原発の前に小さな出来事のように感じてしまいます。
今回のことで私の中の価値観の一部が変化したのかもしれません。震災の被害を直接被った人たちは言うに及ばず、そうでない多くの日本人の中でもある種の傷跡が残ったように思えます。
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